ファム・ファタールの宝石

葛原 あおい

第1話

来年度の生徒会会長は望月諒さんに決まりました。

現生徒会会長の原嶋進のその一言で、望みが丘学園高等部第七十五回生徒会総選挙が閉幕した。

中等部からの親友がついに念願の生徒会会長になった事で、児玉瑛介はほっとする反面少し寂しさが入り交じった妙な感覚にいつもの無愛想な顔を顰めた。

生徒会会長になりたいと中学一年から諒は話していた。成績優秀で誰にでも人当たりのいい諒は、加えて祖父が学園長というお墨付きである。

「瑛介、今日用事ある?」

ぼうっと講堂の席から動けずにいた間に、クラスメイトは既に帰ってしまっていた。

一声かけてくれればいいのに、と瑛介は気を悪くしたが、クラスメイトは声をかけていた。瑛介が気が付かず無言だったので「またいつもの無反応か」と放っておかれてしまったのである。

不愉快を浮かべた瑛介を特に気にすることなく、次期会長は瑛介の足元に置かれたリュックを拾い上げる。

「無いけど。なんで?」

「ちょっと話したいことあんだよ」

特に早く帰る理由も無かった瑛介は、諒から受け取ったリュックを右肩にかけてようやく歩き出した。




屋上庭園とは名ばかりの、クリーム色のコンクリートが広がる屋上は誰もいない。

諒はスクール鞄の内ポケットからセーラムライトを取り出すと、手馴れた手つきで火をつけた。

「あんたさぁ、流石に会長になってからはまずいんじゃないの」

手持ち無沙汰になった瑛介は自殺知らずの脳天気な柵に寄りかかる。

「まーバレたらまずいんじゃん? 瑛介が言わない限りは大丈夫」

「あ、そう」

クラスメイトに向ける屈託の無い笑顔を取り払った諒はほとんどヤクザだ、と瑛介は常々思っていた。

キッチリと制服を着て、髪を染めることも無く清潔感を身にまとった優等生であるが、今みたいに素の表情を浮かべる諒の目は空虚だった。

「瑛介こそ髪染めないのかよ。生徒指導うるさいんじゃないの?」

鼻で軽く笑いながら煙を吐く諒を横目に、舞台袖に濃淡な紺を滲ませた赤色の天蓋を仰ぐ。

特別に何かした訳でもない。病気になった訳でもない。瑛介の髪はある日を境に真っ白になった。

「うるさいけど、地毛だから」

「信じてもらえてないけどな」

「あんたもうるさいよ」

担任の教師は瑛介の髪がある日突然そうなったことを半信半疑で納得していたが、それを良しとしない教師は少なからずいた。

もっとも、モンスターピアレンツを恐れているせいか無理やりにでも髪を染めさせる教師は現れなかったが。


瑛介の髪が白くなったのは、瑛介の母親である児玉美代子が亡くなった夜だった。

美代子が息を引き取った時、隣に立っていた父親の悟志が「泣いてもいいんだぞ」と呟くように零した瞬間堰を切ったように瑛介は泣いた。

美代子と特別仲がいい訳ではなかったが、ずっと出てこなかった涙がその時になって溢れ出したのだ。

そして翌朝目を覚ました瑛介は、泣き腫らした顔よりも頭髪に目を奪われて言葉を無くしたのである。


「あんまり蒸し返したか無いんだけどさ、」

少し言いづらそうに口を開いた諒を見ると、いつも空っぽなその目はギラギラと燃えていた。

夕日を映しているでもない、灯油を孕んだ豪炎のような目。

黙ったままの瑛介をそのままに諒は話を続ける。

「おばさんを生き返らせたいと思わない?」

「……は?」

思わず脳天気な柵をこれまた脳天気に乗り越えそうになった。危うく父よりも先に母に再会しているところだ。

「……あんた、会長になれた嬉しさで頭やられたんじゃないの」

諒が目元まで歪めて笑う。

「見つけたんだよ、人が生き返る方法を」

人が変わったような諒に瑛介は何も言えなかった。

舞台袖からこちらを見ていた控えめな紺色がやっと天蓋を覆い尽くして、瑛介の足元には煙草の吸殻が五本転がっている。

遠くの方で五時を知らせるチャイムが鳴った。



「……話したいことって、それ?」

ややあってようやく瑛介が捻り出した声は掠れていた。

じんわりと手汗の感覚が肌を撫でる。

諒はギラついた目を遠くのビルへ向けて話し始めた。

「おばさんが亡くなってから、瑛介本当に笑わなくなっただろ。何してもつまらなそうな顔で」

最後の煙草を捨ててから諒は瑛介と目を合わせた。

「心配だったんだ」

素直に喜べなかった。

「まず死んだ人は生き返らない。それと、」

「それと?」

あんたの目は何か隠してる。

そう言おうと口を開きかけた時、視界の横で勢いよくクリーム色に塗られた鉄の扉が曲線を描いて飛ぶのが見えた。

「何時だと思ってんだ馬鹿野郎!!!」

ゴオォン、と重厚な音をたてて扉は地に伏せられる。

「梶セン」

扉をイカロスに仕立てあげたのは瑛介たちのクラスの担任である梶遙だった。

名前は「はるか」と可愛いが、見た目は完全にジャージを着たゴリラである。

俺は武田鉄矢を目指して教師になったんだ、と始業式後のオリエンテーションで梶は豪語していたが、松岡修造だろ、と瑛介はこっそり思っていた。

「すみません、先生。俺……会長として上手くやっていけるか不安で。児玉くんに相談してたんです」

本当に申し訳なさそうな表情で諒は梶へと詰め寄る。

「そうか……望月なら大丈夫だ。俺は確信している。お前は頭もいいし器量もいい。困ったら何でも相談に乗るから。な」

流石は情に厚いゴリラであった。

「でも親御さんも心配してるだろうし、早く帰るんだぞ」

屋上から階下へ降りていく黒のジャージが見えなくなったところで、諒は何ともないといった感じで元の位置へと戻り

「あのゴリラ扱いやす過ぎるよな」

鼻にかけた嫌な笑い方をすると足元に散らばった吸殻を庭園にポツンと置かれた錆びたゴミ箱に押し込んだ。

「まあいいや。また情報が入ったら話そうぜ。疑ってると思うけど……死んだ人が生き返る方法、俺見つけたんだよ」

「気が向いたら聞く」

この話には踏み込まない方がいい。

瑛介の第六感がそう教えていた。

梶センに僅かばかりの感謝をしながら、瑛介は諒と一緒に帰路についた。


その夜、瑛介は美代子の夢を見た。

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