第11話 割り切れない妥協案
奏音さんの部屋を後にしてから私はどうやって家に帰ってきたのだろう。
彼女に何も言えず、何もしてあげられなかった。
私を救ってくれた人を救えなかった。
後悔だけが残り部屋の中で寝床で縮こまることしかできない。拒絶され無気力に横向きになるとスタンドにかけられたギターが目に入り彼女の顔を思い出す。圧迫感が心を鎖で締め付けるような痛みが走りギュッと目を瞑る。
奏音さんの咆哮が蘇る。
乗り越えていたと思っていたのに私は未だ過去に囚われている。前進したいと思い彼女と同じ部活に入り、悩みを打ち明け救われたと思っていた。
でもそれは思い上がりで、救われてなどいない。おそらく彼女も……。
彼女の中で別の曲を歌うという選択肢はないようだ。奏音さんがクレイドルにこだわる理由とは何なんだろう。時間がないとまで言っていた。苛烈な物言いから私のように過去の出来事が原因かもしれない。
静かな空間に規則正しく時計の秒針の音が耳朶に響く。一定に刻むリズムは私を無気力にさせていき現実感が失わさせる。
――明日どんな顔をしてみんなに会えばいいのだろう……。
思考を巡らせていると静寂を打ち破るかのように携帯の着信が部屋に響き渡る。
ベッドから跳ね起きて携帯に手を伸ばし電話番号を確認する。
綾野さんからだ。
操作する指が止まる。電話に出るか否か、きっと今日のことを聞かれるのだろう。奏音さんを上手く説得できなかったことを話すことに後ろめたさを感じた。けれど、出ないわけにもいかず震える指で画面を操作する。
「もしもし、椿さん?夜遅くにごめんな、もう寝てた?」
「いいのよ、どうしたの?」
「奏音の家にいったんやろ?……どうやった?」
わかってはいたことだけれども……心を落ち着かせ重い口を開く。
「……ごめんなさい、話は出来たのだけれど……」
「あかんかった……やね」
私の震える声で察したのか綾野さんが私の代わりに答えた。そして今日の事のあらましを綾野さんに伝えた。
「あの、綾野さん……私もしかしたら取返しのつかないことを……」
「椿さんが全部しょい込むことないって。椿さんに出来ひんかったらきっと他の人でもダメやったって」
綾野さんのその言葉に少しは気が楽になった。
「うーん、でもどないしよか。奏音のやつバンド抜けるんかなぁ?」
それは嫌だ。せっかく同じ部活に入り、同じバンドを組むことができた。
しかし、クレイドルを奏音さん自身で歌う以外の選択では彼女はボーカルを下りる腹積もりでいる。
「あーあ、明日になったら奏音の声がハスキーボイスがハイトーンに変わらんかなー」
「それは……無理な相談ね。そんな簡単に音程なんて変えれるわけ……」
その瞬間パカンっと心の蓋が開いた。
別の曲に変えることなく奏音さんがクレイドルを歌える方法。
一つだけ……思い浮かんだ。
「ん、どした?もしかしていい案思いついたん?」
「ええ、でも上手くいくかどうか……」
「いいから話すだけ話してみてや!」
先ほど思いついただけでまだ具体的にどうするかもわからないがそのことを綾野さんに伝える。
「ええやん!それやったら全部解決するやん!」
「でも、本当にできるかわからないし、みんな納得するかどうか……」
「その話明日議題にあげようや!やってみる価値あるて!」
そう言うと彼女は満足したのかお休み!と告げて電話を切った。
ふう、と大きく息を吐く。
確かに問題は解決するかもしれない。でも、それに付随して別の課題が発生する。私たちにそれを可能にする技術力がないかもしれない。
でも……私はどうしても奏音さんと一緒に演奏したい。その願いを叶えるためにここにいるんだ。
自分を変えるために、自分を変えるきっかけをくれた彼女を見捨てることなんて私には出来ない。
瞳を閉じ奏音さんの笑顔を夢想する。今度は安らかに目を瞑ることが出来た。
放課後、部室にバンドメンバーが揃っていた。ただし、奏音さんは除く。
事前に私たちだけで昨日綾野さんと話した内容を早稀さんと過田先輩にも説明した。最初は怪訝な表情をし反対していた二人だったけれど、最終的には了承してくれた。
二人の中でもクレイドルを奏音さんと演奏したいという気持ちがあったのだ。
でも早稀さんと過田先輩がその前に確認したいことがあると申し出た。今日は部活は休みだから十分に話し合う時間はある。
部室の扉が開かれ、浮かない奏音さんが肩身狭そうに部屋に入ってくる。
「過田先輩すみません、遅れてしまいました」
「いいえ、時間通りよ。私たちは少し早めに集まっていたから」
そうですか、と小さく呟く。昨日よりかは声に濁りがない。でも彼女からはいつもの陽気な笑顔はない。覇気がなくまるで別人のように感じる。
奏音さんは私に視線を一切合わせてくれない。意図的に私と目を合わせないようにしているようだった。
「今日は今後のことについてお話したいの。クレイドルとは別の曲を演奏した方が私は良いと思っているのだけれど」
二人の申し出。それはそこまでクレイドルという曲に拘る理由を聞かせてほしいということだった。
「私はクレイドル以外の曲を歌うつもりはありません」
奏音さんは攻撃的な獣の口調でそう告げた。居心地の悪い静寂が部屋を包みピリピリとした空気が漂う。
その沈黙を破り早稀さんが口を開いた。
「……どうしてもその曲をやりたいんだ……。クレイドルはまた別の機会で歌えばいい。それじゃダメなの」
「一回生バンドでないとダメなんだ」
「……どうして?理由は?」
「それは……」
やはり奏音さんは答えない。私も彼女と同じ立場で聞かれても答えないだろう。
「……奏音、その理由を聞かせてくれないと先には話が進まない。私たちも納得できない」
「あの、早稀さん」
尋問のように問い詰められている奏音さんを見ていられず二人の会話に仲裁に入る。
「……なに?椿ちゃん」
「えっと……その話は追及しないであげて」
早稀さんは訝し気に私を見遣る。
「……椿ちゃん、何か知っているの?」
「いえ、私も理由は知らない。でも人間誰しも言えないことの一つや二つはあると思う。もし話してしまったら人生すべてが終わってしまうような……」
悲願の気持ちで早稀さんに語り掛ける。
「だからお願い。どうか、どうか……」
言葉に詰まり黙り込む。前髪で隠れた目元からは迷いが感じられる。そして過田先輩と顔を合わし二人は頷いた。
「……わかった。一旦この話は置いておこう」
「ありがとう、早稀さん」
私は胸をなでおろしほっとする。優しい瞳で私を見ていた過田先輩は奏音さんに向きを正す。
「理由はともあれ、奏音ちゃんはクレイドルを歌う以外の選択は考えていない、でいいのね?」
はい、とはっきり返事する。
「ならどうするんですか?私の声帯では歌うのに適していない。なら私がここいることなんてできない」
と自虐的なことを語る。その言葉を契機に今まで黙っていた綾野さんの顔を上げる。
「そこで椿さんが名案を持ってきてくれたんや」
「椿さんが?……名案って?」
眉根を寄せ奏音さんは私を見詰める。
「ええ、名案……かどうかわからないし、実現可能かわからないのだけれど私なりに考えてみたの」
「どういうことか説明してくれないか」
「クレイドルの曲自体のキーを下げるという方法よ」
そう、私の導き出した答え。それは奏音さんが歌える範囲までクレイドルの音程を下げる。
「でもそんなことしたら……」
「わかってる。クレイドルという曲の雰囲気を壊しかねないことになる」
音程を下げると簡単に言ってもその曲が持つ良さが損なわれるかもしれない。アレンジして何とかする、といっても本当に何とかなるものかも怪しい。
「確かに問題は解決する。けど……」
「私たちはそのことを了解済みよ。後は奏音さんの気持ちだけなの」
奏音さんは神妙な顔立ちになる。自分の心と向かい合っているのか複雑な顔を浮かべた後小さく呟く。
「……少しだけ時間をくれないか」
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