第7話 そうか、あなたも……

「ごきげんよう、椿ちゃん」

 スタジオに向かう途中の廊下で背後から声をかけられ振り向くと過田先輩が駆け足でこちらに近づいてくる。

「ちょうどよかったわぁ。これからスタジオでベースの音取りをするのだけれど、椿ちゃんも来てくれない?」

 この前の選曲の時に話したことを思い出す。

――そうだ、ベースの音取りを手伝うのだった……。

 忘れていた……というよりはあまり思い出さないようにしていたのかもしれない。

 正直……綾野さんが苦手だ。私と性格がかけ離れすぎている。ついこの間まで普通にお喋りできるような人がいない私にとって彼女は異端だった。いつも明るくこんな性格の私にも分け隔てなく話しかける。いつもどう返事をしていいか悩む。

 彼女は出会って1日も立たないうちに部活の先輩や同級生と仲良くなっていた。私なんてやっと普通に奏音さんと間宮先輩とお話ができるようになってきたところだというのに……。

 早稀さん、過田先輩もきちんと話をしたのもバンドが決まってからでこちらから話しかけるのもままならない。

 友人と呼ぶにはまだまだほど遠いように感じる。

「あら、先に来てたのね」

 ほんわかとした口調でキーボードパートの戸を開けると先に綾野さんがパイプ椅子の上で胡坐をかきながらベースを弾いていた。

「あっ、過田先輩、椿さん。うち自分で耳コピできたかも!」

「本当なの?一度聴かしてもらえないかしら?」

「もちろん!まだ、半分くらいまでですけど」

 曲を流し合わせるようにベースを弾く。ベース特有の低音が室内を振動させる。溌剌とした綾野さんの性格とは裏腹に細く繊細な右手の人差し指と中指が交互に弦をはじく。

 集中しているのだろう。耳を傾け音の世界に同化しようとしている。それは同じように楽器をしているものからすればわかることだった。

 元々リズム感がいい方なのだろう。テンポが大きくずれる箇所はなかった。うんうん、と過田先輩は頷く。

 ただ、正直に言ってもいいのだろうか……。

「過田先輩、どうでしたか?」

 弾き終え綾野さんは過田先輩に顔を向けた。過田先輩はいつもの優しい笑みを崩さず綾野さんを見遣る。

「うん、音全然合ってない」

「ええ!嘘やん!?」

 死刑宣告をする裁判官のようにはっきりと告げた。

 綾野さんの弾いた音は原曲に掠りもしなかった。たしかにベースの音は低すぎて音取りは困難だけれども……。

「昨日徹夜までやったのに、なんで、どこが違うんや~!」

 頭をがりがりと掻く綾野さん。過田先輩は部屋の隅に置かれているピアノの前に行き椅子をひいた。

「綾野ちゃん、悪いけど最初からやり直しましょうか。私たちも手伝うから、3人でチェックしたら間違えないと思うわ」

「……はい、お願いします……」

 明らかに落ち込んで項垂れている綾野さんに私は何も言えなかった。


「このパートはこの音ね」

 過田先輩は的確にベースの音を拾っていく。

 ピアノで弾いた音を私がベースで弾くポジションに置き換え綾野さんに伝える。

ギターとベースは同じ弦楽器だ。ギターの3弦から6弦がベースの1弦から4弦と同じ音に当たるので私が綾野さんに教えるのが適任だと判断し過田先輩は私に協力を申し出たのだろう。

 過田先輩が採譜したベースの音を忘れないように紙に書き留める。

「ふう、少し休憩しましょうか」

 綾野さんは大きく伸びをし、私は息を吐いて過田先輩を見遣る。

――本当はすごい人ではないだろうか。

 間宮先輩の言っていた絶対音感は本当だったかもしれないと思った。ただでさえ聴きとりが難しいベースの音を他の楽器の音に惑わされることなく正確に聴きとっていた。

「なんで過田先輩ベースの音わかるんですか?」

 私も思っていたこと綾野さんが問う。

「うーん、なんとなくかなぁ。これかなぁって感じでね」

「いや、それで合ってるんですからほんますごいですよ!小さいころからピアノやってたらそうなるんですか?」

「さあ、どうかしらねぇ……」

 コンコンとノックの音がして私たちの雑談が遮られ戸が開かれる。入ってきた人に見覚えはない。緑のリボンをしているので2年生だと分かった。

「見つけた、過田さん!」

「あっ、桜田さん!」

「あっ、って私の顔見て思い出したわね!あなた今日私と日直当番でしょ!」

「そうだったわ!二人ともごめんなさい、ちょっとだけ抜けるわね」

 そう言って過田先輩は慌ててスタジオから出ていった。


――気まずい……。

 二人きりになり何かしなければと思うも、綾野さんは先ほど教えてもらったパートを真剣な眼差しで繰り返し練習している。

 いつもはずっとしゃべり続けているイメージを持っていたが、集中すると自分の世界に入り込み一切話さず、無言になるらしい。

 私は手持無沙汰を感じつつも声をかけることができなかった。目線は右往左往と部屋を往復し、話しかけようとするも何て声をかければいいかわからない。

 綾野さんの姿を見てはまた視線が泳いでしまう。これを繰り返していると綾野さんは大きく息を吐いてベースを弾いていた手を止める。話すなら今しかない。

「……すごい集中力ですね」

「うおっ!椿さん……居たんや……」

 彼女の身体が大きくびくっと跳ね、驚きの表情でこちらを見遣る。

「えっと、あの……さっきからずっと居たのだけれど……」

「ごめんごめん、てっきり過田先輩と一緒に出ていったと思ってた」

――私ってそんなに存在感ないのかしら……。

 嘆息をもらしそうになるも綾野さんに気づかれたくないために堪える。代わりに心が深く沈んでいく。

 綾野さんはハッと何かに気付き両手をワタワタとさせる。

「ああ、ちゃうちゃう!別に存在感が薄いなんて思ってないで!」

――思ってたんだ……。

 その言葉を聞いて私の心はさらにさらに深く沈んでいく。

「えっとえっと……。あっそうや!つ、椿さんってその……ち、小さい時からギターしてたんかな?」

 唐突に綾野さんは話題を変えてきた。顔は引きつり無理やりにでも笑みを作っているのは丸わかりだったが、いつまでもこんな空気に耐えられないので私もその話題に乗ることにする。

「ええ、小学生の時からやっていたわ。中学生の時はほとんど弾いてなくて久しぶりにギターを手に取ったのだけれど」

「そうやったんや。なるほどなぁ~、通りで上手いわけや」

「そんなことないわ。綾野さんもすごいと思う。リズム感もあるし、本当に初心者からベースを始めたのよね?」

「えへへ、そうやで初心者からやで」

 彼女は自慢げに八重歯を見せつけながら微笑む。

「まあたぶん、お母さんの影響もあるんやけどな」

 一転して影のある表情に移り変わった。

「うちのお母さんな、バンドやっててベース弾いててん。そういうのもあってうちも始めてみたんよ」

「ならお母さんにベースを教えてもらえるわね」

「ええっと……それは無理やな」

 綾野さんは少し強張った表情をした。どこか遠い虚空を見る目。彼女のそんな表情を私は初めて見た。

「うちが中学生の時にな、お母さんが病気で死んでもて……」

「あっ……そうだったの、ごめんなさい」

「ううん、謝らんといて。それでな、ちょっと引きこもってた時期があるんよ」

 綾野さんの琴線に触れてしまったかもしれないと思い罪悪感を抱きつつも彼女の言葉に耳を傾ける。

「病気がわかって1カ月もせんうちにころっと逝ってもて。すっごい周りに迷惑かけてもて、学校にも行かなくなって、何にも考えたくなくなくなって。今思うとほんまにどうしょうもなかったな、うち……」

 綾野さんの言葉が途切れる。きっといろいろな感情が混ざり合って言葉にできないのだろう。

「でもね。うちこのままやったらダメやって気付いた。お父さんと弟に、うちがお母さんの代わりにならなあかんって思った。そこから家事や料理はうちがやるようになって、お母さんがベースやってたの思い出して音楽に興味持って、うちもベースをやってみたくなった」

 悲しい瞳。でも、顔の緊張は解け少し照れたような顔を私に向ける。

「なんか湿っぽくなってもたな、ごめんやで」

「いいえ、そんなこと……」

 経緯は違えど私と同じく心に傷を受けていたと知り彼女に対して初めてシンパシーを感じた。

「あっそうや。音取りしてもらったところやねんけど、音数が多くて上手く弾けへんねん。やっぱり減らした方がいいんかなぁ?」

「そうね、サビ前後はちょっと難しいかも」

「だからな。今日は音取りに集中するとして、今度でいいからまたアレンジ方法一緒に考えてくれへん?」

 乞われ、今までならあまり良い気持ちで返事をすることができなっただろうけど。彼女のことを知った今は違う。私の中で助けてあげたいという感情が芽生えていた。

「ええ、もちろんよ」

 綾野さんの苦悩を、心の傷を癒せるように。

 私は少しでも力になりたいと思い彼女の申し入れを受諾した。

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