第6話 新しい風
放課後のジャズ研究会の部室。
この日は全部員がミーティングのために集まり、今後の部活動の予定や方針を決める
ただ今日だけはいつものミーティングと違ってある特別なことを決める。
そのことに昂ぶりざわめく部員たちを、手を叩く音が制した。
「それで、みんなお楽しみ一回生バンドのメンバー編成についてだ」
場を仕切っているのは間宮先輩だ。
私は生唾を飲み込んだ。寄本……いえ、奏音さんと一緒に演奏できるかはこの発表しだいなのだから。
奏音さんに私の過去を告白してから1カ月。私の高校生活は少しずつ変わっていった。
入部届は正式に受理され私は正式にジャズ研究会の一員となった。間宮先輩とマンツーマンの指導のおかげか以前よりもギターに対しての恐怖心はないように思える。
完全に消えたわけではないが前向きに物事を考えれるようになってきた。それは間宮先輩のおかげだ。
それと、もうひとつ。
隣に座る奏音さんを見遣った。私の視線に気付いて目と目が合う。
「ん、どうしたの椿さん?何かついてる?」
「い、いえ、大丈夫よ、いつも通り。気にしないで」
視線が交わるとは思っておらず不意の出来事に目を逸らしてしまった。すると奏音さんは私の耳元まで顔を近づけ小声で、
「一緒のバンドだといいね」
と言った。
ほんの少しの吐息が耳朶を擽って心が溶けそうになる。
硬直したままの私は小さく頷き、彼女の顔は離れていった。
私の心は沸き立ち、自分の顔が赤くなっていないかと心配した。でも奏音さんにそう言ってくれたことが素直に嬉しかった。
――あの告白の日からもっと仲良くなれたような気がする。
今日までで、徐々にだが気安く言葉を交わせるようになった。入学前の私では想像できないくらいの進歩だと思う。
「おっ、椿さんは何か質問でもあるのかな?」
「えっ!?いえ、あ、あの……」
奏音さんとのやりとりを見ていた間宮先輩に何かの勘違いなのか指されてしまった。私はとにかく当たり障りのない質問でお茶を濁すことにし立ち上がる
「ぅ……、えっと、一回生バンドの発表はいつ頃なのでしょうか?」
「発表会は6月の最終週の金曜日。練習期間は1カ月とちょっとあるかな。演奏する曲は1曲だけだから選曲と練習する時間を考えると十分だろう」
「あ、ありがとうございました」
頭を下げ席に座ると隣の奏音さんは手を口で覆いながらくつくつと笑っていた。
「……もう、焦ったじゃない」
「悪い悪い。まさかこんなことになるとはね」
きっと悪びれていない感じで言葉を返され私は小さく嘆息をつく。意地悪な笑みだったが私はそんな彼女を愛おしいと思った。
「それじゃあ、1バンド目からの発表だ。まずは……」
五月の中旬を過ぎたある日の放課後。
バンド発表を先日に終えた私たちは誰もいない教室へと集まっていた。
「よっし!まずは、うちのやりたい曲みんなに聴いてもらうで!……って、これどないしたらええの?わかる、椿さん?」
癖のあるショートヘアの黒髪少女が私に話しかける。
「えっと、あっ、そこかな……」
おお、そうかいな!と八重歯を見せながら満面の笑みを浮かべる私と同じ1年生、ベースパートの天現寺 綾野さんにオーディオプレイヤーの使い方を乞われるも私自身、使い方をよくわかっていない。どうやら私の指摘は間違っていたらしく綾野さんはあれこれと弄っている。
綾野さんの後ろから眼鏡越しに聖母のように優しく見守る少女がこのやりとりに割り込む。
「ダメよ、それはねぇ。そこのジャックにこのケーブルを挿したらいいのよ」
二つ結びの茶色の髪を揺らしながらおっとりとした口調で話す2年生、キーボードパートの過田 夏美先輩がオーディオプレイヤーに接続するためのケーブルを綾野さんに手渡す。
「いや~、すいませんなぁ、過田先輩」
綾野さんはケーブルを手に持つとジャックに挿しこんだ。
「……綾野、そこイヤホンジャック。こっちこっち」
AUX端子を指さしながら指摘する1年生、ドラムパートの未沙 早稀さんが私の横から小さい体をにょいっと忍び込ませる。
目元を隠すような前髪に小柄な容姿。どこか座敷童のような不気味さのある彼女に私はびくりと竦み一歩後退った。
この3人のやりとりを後ろから伺いながら会話に入り込もうとするも、タイミングが見つからずただ後ろから眺めていることしかできなかった。
「このメンツの輪に入っていくのは至難の業だろうね」
聞き覚えのある中性的な声音が聞こえそちらに振り向く。
所在ない私へ話しかけてくれたのは奏音さんだった。
「まったく、騒がしそうなバンドになりそうだ」
そう。私は彼女、奏音さんと同じバンドメンバーとなることができた。
奏音さんと同じバンドであると聞いた時、嬉しさのあまり相好を崩れているのを手で隠していたら間宮先輩にからかわれてしまった。帰ってからもその日の夜は興奮のあまりなかなか寝付けなかった。
暫くしているとオーディオプレイヤーとの接続ができたらしくハードロック調の曲が流れる。
「どやどやこの曲!早稀もええと思うやろ?」
「……この曲。うちの部活向きじゃない」
「ええ!?なんでそんなこと言うん!1回生バンドは別にジャンルの縛りないんやろ」
たしかに1回生バンドはジャズでなくても構わない。過去にデスメタルをやっていたバンドもあった……らしい。
「この曲でもいいのだけれど、綾野ちゃんこの曲テンポすごく早いわねぇ。大丈夫?弾けそう?」
「はっはっはっ……、やっぱり無理?」
過田先輩の指摘に綾野さんは引きつった表情で乾いた笑いをこぼす。
綾野さんはベース初心者で他の楽器も習っておらず音楽経験は皆無に等しい。彼女がこの曲を弾けるようになるにはもっと時間がいるだろう。1カ月しか時間がないことを考えたうえで曲を決めなければならない。
過田先輩は幼少期からピアノを弾いていたらしく、本人は謙遜して否定しているが絶対音感が備わっていると間宮先輩は話していた。
早稀さんは中学生の時に吹奏楽部でパーカッションを担当していた。ドラムの経験はないらしいが吹奏楽部でリズム感が養われており高度な技術を要求しない曲なら問題なく演奏できる。
私と奏音さんも経験者だから選曲の基準となるのは……。
「なっ、なんやなんや!そんな目でうちのこと見んといて!」
「えっと……、まあみんなの能力を加味しつつやりたい曲を決めたらいいよね」
「うぅ……、奏音までそないなこと言う……」
どうやら綾野さんが持ってきた曲はどれも自分の実力に伴っていないものばかりだった。やりたかった曲ができないことに項垂れる綾野さんを私たちは少しの間慰めなければいけなかった。
メンバー全員の能力を考慮したうえで各々曲を出し合い選曲は進められた。
私は部活の雰囲気を崩さない程度のJポップ調の曲を数曲だした。過田先輩は一年生主体だからという理由で辞退し、早稀さんは本場と思しきジャズを勧めてくるも中にはインスト曲も含まれておりボーカルの奏音さんは“私の立場は?”と困惑した目つきで苦笑い浮かべていた。
最後に奏音さんが自信満々に選び抜いた曲を全員に聴かせたところ、みんなの表情が変わった。どの曲も技術的に条件が合わなかったり、全員が演奏したいと思える曲ではなかった。
だが、彼女の曲は違っていた。みな喜々とした顔つきになり満場一致で私たちが演奏する曲が決定した。
「それじゃあ、演奏する曲は“クレイドル”で決定で!」
奏音さんが高らかに宣言すると綾野さんは頭の上で大きく手をたたき、私たちも釣られて拍手した。
「やった!私どうしてもこの曲を歌ってみたかったんだよ!」
買ってほしいおもちゃを貰った子供のように微笑む奏音さんを見て私も笑みが零れる。
「ふふ、嬉しそうね」
「うん、思い入れのある曲だからね」
奏音さんは何かを懐かしむような表情でどこか遠くを見詰める。
「この曲めっちゃええやん!ジャズってなんかもっさりしてて静かすぎるイメージやけどこれはええわ。この曲もジャンルはジャズになんの?」
「正確にはアシッドジャズってよばれるジャンルだよ。ポップスとかファンクとかの要素も入ってるからすごく聴きやすいんだ」
奏音さんの説明通り、ジャズとはまた違うおしゃれさがあり親しみのある音楽だ。
クレイドルはキャッチーなメロディーで聴いているものを飽きさせない魅力的な曲だと私は感じた。そして何より……、
「……ベースの難易度は問題なさそう。だよね、綾野?」
と早稀さんは綾野さんに人の悪い笑みを向ける。
「う、うるさいなぁ、もう!……なあ椿さん、この曲うちでも行けると思う?」
「えっと、聴いた感じだとベースの音は単調だし、後半ちょっと音数が多いもしれないけど、そこは音数を減らしてアレンジしたらいいから、大丈夫じゃないかしら」
選曲で出された曲の中で一番ベースが簡単なのはこの曲だった。他の曲はスラップ奏法や弦移動が激しいものがあり技術を必要とするがこれならどうにかできる範囲だった。
「早稀聞いたか、椿様はいける言うてくれてるで!」
「……いやいや、弾けるどうこうはまだわからないから」
「よし、決まったなら早速家帰って練習や!奏音、楽譜ちょうだい」
「楽譜?ないよそんなの」
綾野さんは顎が床に落ちそうな驚いた顔をした。
「ええっ!楽譜ないの!?それやったらどないして練習したらええん?」
頤に指を当て考え込む過田先輩。
「そう……なら曲を聴いて弾いている音を自分で探さないといけないわねぇ」
「耳コピですか~、うちにできるかなぁ……」
「私も音取りは手伝ってあげるから大丈夫よ」
「ほんまですか!」
綾野さんは過田先輩の両手を握りながら感謝を伝える。そんな彼女にやんわりと笑んでいた過田先輩だったがハッと何かを思い出したような顔をした。
「あっ、でもね、ベースの音は聴きとれるのだけれど、ベースのどこを弾けばその音がでるのかわからないから同じ弦楽器として椿ちゃんにも手伝ってほしいのだけれど」
「えっ、私もですか?」
過田先輩の急な要望に物怖じする。ベースの音取りに自信がないわけではない。ただ、綾野さんの元気すぎる性格にまだ私は慣れていなかった。そんな緊張する相手と……。
「椿さんも手伝ってくれるんか、ありがとうな!」
「あっ、きゃっ!」
過田先輩にしたように私の両手を握りブンブンと振り回す。私はどう反応すればいいかわからずされるがまま動揺して声を上げてしまい顔から火が出そうな思いをした。
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