きゅん死に裁判

@hanakonono

第1話 第一回公判 1

起訴状朗読

 公訴事実、被告人は、令和〇年8月29日午後10時頃、東京都花城区1丁目の被告人自宅で、被告人のファンであった山野さくら、当時46歳が心臓病であることを知りながら、山野さんを襲い、心臓発作を起こし死亡させた。罪状及び罰条、傷害致死罪、刑法205条。以上について審理願います。


弁護人の陳述

 被告人は山野さんが心臓病であったことを知らず、倒れた山野さんが救急搬送されたのは被告の自宅前の道路上でした。被告人は犯人ではなく、無罪です。


 秋晴れの空の下、裁判所の周りには、傍聴席の抽せんに外れてしまった人々があちこちに座り込んでいた。テレビ局の取材班らしき人達も数組いて、なにやら慌ただしくしている。カメラの前の女性が話し始めた。

「今、初公判が行われている裁判所前からお送りしています。人気アイドルグループのナオさんが、通りかかったファンの女性が転びそうになったところを抱き留めて、きゅん死にさせてしまった事故は先日ニュースになりましたが、今回は、その女性の娘さんが、ナオさんを相手に、傷害致死事件として訴えている、とのことです。」

 この事故はリアルきゅん死にとして話題になったが、そんなことで人が死ぬのか、と事故を疑う声もあった。ただ、被害者は心臓病だったので、ナオが責められることはなく、世間はむしろ、推しに抱きしめられて死ねるなんて最高、と山野を羨む声が大半だった。

 だが、ナオ自身は事故後ショックで引きこもってしまい、仕事もすべてキャンセル。どこにも情報がなく、ナオが今どうしているのか世間では全く分かっていなかった。今日久しぶりに人前に出ている。被告人席に座っているのがナオだと気づいた傍聴席のファンからは、息を飲むような悲鳴が聞こえた。それほどにやつれ、ひげの手入れもされないまま、目は落ちくぼんでいた。


検察側冒頭陳述

 被告人は、独身で、高校卒業後留学を経てダンサーになり、今では誰もが知っているアイドルグループのメンバーです。現在38歳で、結婚を考える年頃ですが、交際相手はおりませんでした。映画の仕事で出会った山野さんに好意を持ち、自宅に誘い出し、襲いました。

 原告である山野さんの娘、山野華さんの携帯に、当日被告人の自宅の一室で自撮りをする山野さんの写真が送られてきています。華さんには、被告人と友達付き合いをしている、心臓病のことも話している、と言っていました。山野さんの左上腕に、強く掴んだような圧迫痕がありました。これは、抵抗する山野さんを被告人が押さえつけたという証拠です。

 被告人宅にいたはずの山野さんが、道路上で救急搬送されたのは、被告人が犯罪を隠蔽しようとして、心臓発作を起こした山野さんを道路に出してしまったからです。これは被告人自宅の向かいにお住まいの浦野翔子さんが見ています。


弁護側冒頭陳述

 被告人は、当日以降沈みこんでしまい、話をすることができません。当時山野さんが倒れたところから現場にいたマネージャーに話を聞きました。

 被告人は当日夜10時頃コンビニエンスストアに行こうとし、門から出たところ、ばったり山野さんに会いました。驚いて転びそうになった山野さんを抱き留めたところ、山野さんが突然苦しみだしました。被告人はすぐに救急車を呼び、搬送されるまでずっと心臓マッサージをしていました。被告人が最善を尽くしたにも関わらず、山野さんは亡くなってしまいました。

 被告人自宅での自撮り写真については、山野さんは被告人のファンであったため、写真を合成した可能性があります。その背景は、被告人がよく動画撮影をしている場所なので、容易に合成写真を作ることができます。または、不法侵入した可能性もあります。向かいにお住まいの浦野翔子さんが、当日被告人宅を覗いている怪しい人影を見ています。防犯カメラが設置されていましたので、証拠として提出の協力をお願いしましたが、ダミーである、とのことでした。

 圧迫痕ですが、山野さんは被告が抱きとめた後、意識を失ったので、慌てた被告人が強く握ってしまった可能性があります。意識を失った人の重さは通常時より重く、抱きとめた姿勢から路上に寝かせるまで、力加減が難しかったと思われます。


 その後、証拠の取り調べが行われたが、娘の携帯に送られた写真は合成ではなく、場所も自作の絵が飾ってあることからナオの部屋と特定された。娘とのメッセージのやり取りの中で、ナオに病気のことを言ってある、という内容も証拠書類として提出された。圧迫痕は握られた手の向きが判別でき、おそらく左手で握られたものということだった。左上腕を左手で握るには、同じ方向を向いている必要があり、転んでいるところを抱きとめたとしては無理がある。これは、壁などに後ろから押さえつけた跡と主張された。

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