妖界曼荼羅アソシエーション

玄行正治

プロローグ


 川へ引きずり込まれそうになった。

 21世紀の東京で。


 川の両岸はどこも整備され、いたる所に転落防止の柵が設置。安全面に配慮されている。

 なのに、今夜だけで、二度も……。


 酔っ払っていることは認める。未成年で飲酒したことも認める。挙げ句にサラリーマンを二人ほど殴り倒したことも認める。いや、あれは向こうも酔っ払ってて、オレだけが悪いんじゃない。でも、それだけだ。


 みんなやってることじゃないか。


 なのに、オレだけ……オレが、何をした?


 ひどく喉が渇く。息が切れる。川を見ていると、喉がひりひりと……。


「なんで、隅田川っ!? いつの間にこっちへ逃げてんだよ、オレ……っ」


 川に引きずり込まれそうになったのに、気づけばまた川。しかも幅広の川。

 何かに追い込まれてる。そう気づいた時、背中にゾッと悪寒が這いのぼってきた。


「交番……っ。いや、橋だ。あの橋っ。万年橋っ」


 とっさにひらめいた自分の直感を褒めてやりたい。しゃにむに万年通りを南へ走り、橋の真ん中まで立ち止まる。

 時間は、深夜3時を回っている。

 人や車の通行はもうほとんどない。来ても運送トラックばかりだ。


 だが、それがいい。万年橋の真ん中で、自分を追ってくるヤツは北か南か。必ず現れる。根拠はないけど。


「もしかして追って来てんの、例の不良狩りか? ふ、ふざけんなよっ。ななんで、オレなんだよっ」


 年明けの爆走を完走した後から、自分の所属しているチームの幹部4人が立て続けにやられている。しかも全員が溺れて入院している。わけがわからない手口。

 けれど自分は違う。幹部ではない。だからなんで自分が命を狙われているのかもわからない。正直、怖い。だからこそか、正体を確かめて安心したい。人なら殴れる自信がある。


 そうとも。〝不良狩り〟の正体をとっくり拝んでやる。相手が男でも女でもいい。裸にひん剥いて年明けの小名木川で寒中水泳させてやらぁ。

 怒りと憎しみを燃やし、橋の真ん中で震えながら待った。しばらく。


「く、くそがっ。こここ、こねぇのかよっ!」


 真新しい革ジャンを掻き抱きつつ、吐き捨てた。その唇さえ震え出す。もう限界だった。


「だめだ。もう待てねぇっ。……酔いも醒めたし、もうかえっか」


 単車。取ってこねぇとな。なんだか馬鹿馬鹿しくなって北──両国方面へ歩き出した。

 その時だった。


 すれ違ったトラック。積載量は10トンだったか、5トンだったかもう憶えていない。

 ふいに自分の横で雪を落としていった。その音で、とっさに顔を上げる。


 荷台の屋根から人影が飛び降りてきたことに気づいたのは、奇蹟だった。

 同時に、不運だった。


 出たっ。時速40キロの走行車両から襲来した影をとっさに避けた。つもりだった。

 影は勢い余って川に落ちると思った。

「なッ!?」

 もの凄い勢いで身体が後ろへ引っぱられる。革ジャンの襟を掴まれていた。

 欄干らんかんに背中から激突。痛みより、恐怖の衝撃が勝った。下は、川だ。


「うわぁああっ。やめ……カッパっ!?」

 時代錯誤の名をわめいた声は、水の爆ぜる音にかき消された。


 しかし、彼──大野ヤスシは忘れていた。


 自分が酒を飲んでいたのは、チーム幹部に繰り上がり昇格した祝杯だったことを。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る