部活設立編
勢いが肝心なので
始まり
遡る事一か月前――四月。
登校途中に彼が見たこの
札幌の中心部から少し離れた場所にある私立
その門の前には一人の青年が立っている。
今日は始業式。
時計はもうすぐ午前九時を示そうとしていて、周囲に生徒の姿は無い。彼はつい先日一人で越してきたばかりで、これから始まる学校生活や初めての一人暮らしなど、様々な不安と緊張から歩みだせないまま校舎を眺めていたのだ。
「おーい! 正多くーん!」
しかし、そんな正多の不安を大声でかき消す様に、正面玄関からダウンジャケット着た女性に呼びかけられる。
手を振りながら呼びかける彼女はこの学校の教師である
「もしかして玄関の位置で迷ってたのかな?」
玄関の前で軽く挨拶を済ませると奈菜は気まずそうに問いかけた。
「え?」
「生徒玄関が工事中だって説明をしていなかったから、それで迷っちゃったのかなって」
彼女の指さす方向を見ると、正多が春休みに訪れた時に説明されていた生徒玄関は緑色のシートで覆われている。
一方、二人が居る正面玄関にはいかにも仮設的な外見の下駄箱が置かれており、どうやら生徒たちはこちらを利用しているようだった。
「えっと、まぁ、はい」
見当違いな見立てにとりあえず苦笑いで返しながら、鞄から出した上靴をひょいと床に投げ、靴下のままで足を付ける。するとそこは床はまるで氷のように冷たく、正多は思わず「うわっ」と声を上げた。
「あっ。実は一階の暖房も工事中で床も壁も冷え冷えなの、言うの忘れてた。ごめんね……」
「古い校舎って言うは聞いてましたけど、冬の暖房は致命的では……」
「春先で雪が解け始めて、雨漏りとか色々あってね。あの玄関もそれが原因なの」
「な、なるほど」
「工事で安全性こそ確保されてるけど、何分半世紀前の建物だからね、次から次へと急に壊れて、教師も生徒も大迷惑だよ」
「あの、もしかして教室の暖房も壊れてたり?」
「ああ、大丈夫、寒いのは一階だけ。教室のある二階から四階はあったかいから」
彼女は笑みを浮かべながら、
「で、そんな寒い一階で申し訳ないんだけど応接室でホームルームが終わるまで待っててもらっていいかな……?」
「一階ですか……」
「う、うん、ごめんね。で、でも応接室は温めてあるから寒くはない――」
と、奈菜の声を遮るように校舎にチャイムが響く。
「あっ! もうこんな時間」
「応接室って、確かあっちですよね?」
チャイムの音に驚きながら腕時計を確認する彼女を見て、この寒い玄関で待たせてしまっていた事に申し訳なくなっていた正多は、これ以上迷惑はかけられないと思い記憶を頼りにして応接室の方を指差した。
「あっ、うん、そっちそっち。SHRの次の時間が転校生の紹介だから、終わったらすぐに呼びに来るから、それまで部屋の中で待ってて!」
そう言うと正多が返事を返すよりも早く、全速力で階段の方へと走って行った。とても養護教諭とは思えないほどの速力で。
付け加えるなら外靴のままで。
そんなことなどつゆ知らず、正多は彼女の背中を見送ると応接室の方へ歩みを進める。
「北海道ってすごい場所だな……」
未知の土地に驚きを口にしながら廊下を進んで行くと、応接室にはすぐにたどり着いた。しかし、
「こ、これは、どうしよう」
ボソリと呟く正多は応接室の古めかしい木製ドアの前に立っている。別に彼は好きで凍える寒さの一階と暖かい部屋との区切りであるドアの前に突っ立っている訳ではない。応接室に入れないと言った方が正しいだろうか。
「――Angst――――Vielleicht――ist in Ordnung――」
その扉の向こうから微かに聞こえる声、これが原因だ。
その言葉が発音的に外国語である事はさすが分かるが、内容はおろかそれが何語か正多には全く分からない。そんな状況で、彼は室内に居る人が誰かと会話中なら邪魔をしてはいけないんじゃないだろうか、とかそもそも中に入ったとして会話ができるのだろうか、と色々考えてしまっていたのだ。
「はぁ……寒すぎる……もう限界……」
とはいえ、小刻みに震えながら白い息を吐いた正多はもうすでに限界で、結局寒さに耐えかねドアを急いで二回ノックすると応接室に入った。
「失礼しますっ」
「えっ、あっ……」
応接室の中、ソファーに腰を掛けている少女がドアを開けられた事に驚いたように声を上げ、ふと正多と目が合うと気まずそうな声を発する。
その少女はヨーロッパ系の顔立ちに明るい金髪と碧色の瞳の持ち主で、その両手の手の平には紐で繋がれた黒い指輪と黄金色をした宝石のような物を乗せていた。
「……え?」
少女に続くように、今度は正多が驚いて声を出す。
驚いたのは少女の外見の事ではない。
応接室には一人しかおらず、電話を掛けているわけでもない。つまり独り言だったからだ。
驚きのあまりか、しばらく固まっていた少女の手の平から紐状のペンダントに繋がれていた二つの飾りがするりと落ち、ペンダントはそれぞれ首元と左手首にぶらさがる。
「……えっと……その……聞いてた?」
少女は驚きと困惑を混ぜ合わせたような表情を浮かべながらも流暢な日本語で問いかける。
「き、聞こえてたいたけど、何語か分からなくて聞き取れなかった……です」
正多は想像以上に流暢な日本語で話しかけられたので、少し驚きながら答えると、少女は眉をひそめて一瞬難しい顔をしたが、その顔はすぐに緩んだ。
「あはは……できればそのまま聞かなかった事にしておいてほしいな、なんて」
正多が頷くと苦笑いに近い笑みは緩み穏やかな笑みを浮かべて「よかった」と小さく呟き、その言葉の後、部屋を少しの沈黙が支配する。
しかし、このままではいけないと少女は思い、正多話しかけようと軽く深呼吸してから、彼の方を向いて、
「あの! えっと、その……」
少女の言葉にはその出だしこそ勢いがあったが、すぐにどう話そうかと悩んだせいで声はどんどんと小さくなり、最後には口を閉じて「うーん」と声に出しながら頭を抱えるようなしぐさをした。
それから少し間を開けて、少女はハッと何かを思いついたような顔でもう一度、
「こ、この部屋に来たってことは君も転校生、かな?」
必至に悩んだ末の話題だったようで、その前まで少女が浮かべていた柔らかな笑みは一転して無理やり作ったようなぎこちない笑みへと変わっている。
「い、いや、ダメ、ダメだ。こんなんじゃ普通すぎる、きっと話が広がらない……」
正多が答えようと、口を開くより先に少女はその言葉を取り消すように首を横に振った。
「何かもっと、おもしろい話題とか……」
少女は明らかに話したがっているが、どう話を切り出したらいい物かと頭を抱えながら悩んでいて、そんな様子を見る正多はこの調子じゃ埒が明かないと思い口を開く。
「そうだよ、俺も転校生。
少女は会話を続けてくれたのが嬉しかったのか笑みを浮かべながら、
「わ、私、シャルロッテ、シャルロッテ・ブラウン。あだ名はロッテ! よろしくね、ナミキ君……いや、セータ君の方がいいかな、うん、そっちの方がいい」
「よろしく、ブラウンさん」
「ロッテでいいよ!」
そう言うと彼女は握手を求めるように両手を前に出し、正多が右手を出すとロッテは彼の両手でがっちりと付かんで上下にブンブンと振り回す。
「い、いや~あはは、すっごく緊張した~」
正多の腕を振り回した後、手を放したロッテの口調はまるで別人のように滑らかで、彼女に対する印象はその一瞬で別人のように変わっていた。
「私さ、緊張すると言葉が出てこなくなるタイプなの。日本語、いっぱい勉強したんだけどね……」
「すごく上手って言うか、てっきりネイティブかと」
「本当に? すごく嬉しい! 努力の甲斐があったよ! あ、そうだ、今の自己紹介、何か変なところとかなかった? 大丈夫?」
「変な所っていうと……どういう意味?」
「私ね、こうやって日本人の友達に自己紹介をするのは初めてで、だから上手くできていたかなって」
「友達?」
彼女の口から滑らかに出た言葉に、まだ自己紹介をしただけで「友達になっている」という認識まではなかった正多は、彼女の距離の詰め方に驚いて思わず聞き返す。
「も、もしかして、私たちって、まだ友達じゃなかったかな……ど、どうしよう……日本では何か儀式的な物が必要とか……」
「え? あっ、いや違くて、ロッテが札幌に来てから初めて出来た友達だったから、今のはその……確認……的な?」
不意に出た言葉にロッテが頭を抱えながら何やら日本文化を誤解し始めたため、これはまずいと思った正多はもう友達であることを彼女に向けて必死にアピールする。
「ほ、ほんとに?」
「うん、本当に。俺たちはもう友達だから」
その言葉を聞いたロッテはぱぁっと明るい笑みを浮かべた。
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