第8話ー① 正義の味方

 ――9月1日、三谷家にて。


 朝食を終えた水蓮は、洗面所の鏡の前で寝癖を直していた。


「昨日はちゃんと髪を乾かしてから眠ったのになあ」


 そんなことを呟きながら、なかなかいう事の聞かないぴょんっと跳ねた前髪にブラシをかける水蓮。


「今日から新学期なんだもの。シャキッとしないとね」


 それから水蓮は蛇口のハンドルを上げ、その蛇口から出た水で両手を濡らす。濡れた両手で跳ねていた前髪をとかした。


「これでよしっ!!」


 鏡に映るディープブルーの髪が整ったことを確認すると、水蓮は満足げに微笑んで頷いた。


 それから洗面所を出たところで、母の奏多が父の暁を送り出そうとしているところを目撃する。


 昔はジャージ姿ばかりをしていた父が、今では毎日スーツを着ている。


 スーツって動きにくそうだな。生徒たちに何かあった時、すぐに駆け付けられないんじゃないかな。


 なんてお節介なことを初めは思っていた水蓮だったが、今ではその姿も見慣れて、もうそんなことを思うことはなくなっていた。


「今日は何時頃にご帰宅ですか?」


 奏多は笑顔でそう告げる。


「会議が長引かなければ、19時には帰れると思うよ」


 優しく微笑みながら、そう答える暁。


 そんな暁に、奏多は嬉しそうな顔をする。



「そうですか。それではその時間に間に合うよう、夕食を準備しておきますね」


「いつもありがとな、奏多」


「いいえ。私がやりたくてやっていること、ですからね! それでは、お気をつけて」


「おう!」



 それから水蓮の存在に気が付いた暁は、水蓮に視線を向ける。


「水蓮も遅れるなよ!!」

「はーい」


 水蓮は右手を上げて、溌溂はつらつとそう言った。


「それと――」


 暁は奏多の傍に寄り、


青葉あおばも、行って来るからな」


 奏多の腕でニコニコと笑う青葉の頬をつついてそう言った。


 青葉は昨年の春に生まれ、父親の暁に似てよく笑う男の子だった。


「ほらほら、遅刻しますよ?」


 奏多はそう言ってやれやれと言った顔をする。


「ああ、そうだな! じゃあ、いってきます!!」

「いってらっしゃい!!」

「いってらっしゃい。またあとでね、お父さん!!」

「ああ!!」


 それから暁は家を出て行った。


 玄関の扉が完全に閉まりきるのを確認してから、奏多は水蓮に顔を向ける。


「水蓮は支度を終えていますか?」


 いつもの優しい笑顔で、奏多は水蓮にそう尋ねた。


「はい! ス……私は準備完了ですよ!!」

「うふふ。今日から新学期ですものね。たくさん学んできなさいな」


 奏多はそう言って微笑む。


「はい!」


 それからしばらくして、水蓮も家を出たのだった。




 家を出て数分。スクールバスの停留所で水蓮は迎えのバスが来るのを待っていった。


「あと5分か。早めに出てきちゃったかな」


 そんなことを呟きながら、停留所のベンチに座って両足をプラプラとさせる水蓮。


 時折吹く生暖かい風が、水蓮のセーラー服の黄色いリボンと肩につくディープブルーの髪を揺らしていた。


「今日から新学期。久しぶりにみんなに会えるんだ」


 夏休みの思い出をたくさん聞かなくちゃ――そう呟いて、水蓮は微笑んだ。



 

 水蓮の通う、国立夜明よあけ学園は、水蓮の父である三谷暁が創設した『白雪姫症候群スノーホワイト・シンドローム』の能力者と一般生徒が混在する新たな学び舎だった。


 夜明学園の学年システムとしては、元の学年ではなく入学した年によって割り振られていた。


 高等部からの編入なら最短でも3年、中等部は6年、初等部ならば12年の在籍をすることが、卒業の条件として定めされた。


 水蓮は9歳(学年にして小学3年)の時に夜明学園一期生として入学し、早4年経過していた。


 小学6年の夏休みを明け、水蓮はこの日から2学期が始まろうとしていた。




「あ、バス来た!!」


 水蓮の視線の先に、白い車体の観光バスが映った。


 初めてそのバスを目にした時、「旅行に行くバスなのはなんで?」と暁に尋ねたことがあった水蓮。


 都内の観光バス事業を営む経営者が、子供たちのためならば――と観光バスを数台、送迎バスとして貸出してくれているものだと暁はそう答えたのだった。


 父のやっていることに手を貸そうとしてくれる人が多くいるのは、きっと父のこれまでのやってきたこととその人柄によるところなんだろうな――と水蓮は父のことを誇らしく思っていた。


 徐々に近づくバスを見て、水蓮は立ち上がり、バス停の前でそのバスの到着を待った。


 そして目の前で停車したバスの扉が開くのを見ると、


「おはようございます! よろしくお願いします!」


 そう言って水蓮がバスに乗り込んだ。


 乗り込む水蓮に、「おはようございます」と運転手の男性はニコッと微笑んだ。


 それから水蓮がバスの一番後ろの席に座ると、バスは動き出したのだった。


 水蓮は都会の喧騒から離れた土地に建つ家から、スクールバスで学園まで通っていた。


 友人たちは皆、学園の寮か都内から通学しており、なかなか会えない寂しさはありながらも、水蓮は今の家に住むことに不満はなかった。


 夜、家から見える星空が綺麗だったり、家族と共に過ごす時間が長くとれるからだった。


「ももちゃんも愛李あいりも夏休みの間は元気にしてたかな」


 そんなことを呟きながら、水蓮は窓の外を見つめる。


 久しぶりに会える友人の姿を想像し、水蓮は嬉しそうに微笑んだのだった。


 そして初めは車の通りの少ない山道を進んでいたバスは、いつの間にか街に降りて、大きなビル街や住宅街などを通り抜けていた。


 それから何度か停留所を経由し、40分後。水蓮を乗せたスクールバスは夜明学園の門前に到着したのだった。


「行ってらっしゃい」


 運転手の男性にそう送り出されて、水蓮は「行ってきます」とバスを降りた。


 国立夜明学園――門の横にはそう刻まれている石碑がある。汚れが破損がほとんどないその石碑は、この学園の歴史の浅さを表しているようだった。


 その石碑を見るたびに、お父さんの創ったこの学校はこれからどんな歴史を創っていくんだろうな――と水蓮は少し楽しみに思っていた。


 それから水蓮はその石碑を横目に、校舎へ向かって白いアスファルトで舗装された道を歩きだす。


 少し眩しく感じる白いアスファルトが、太陽の照り返しの強さを教えてくれているようだった。


「9月って言ってもやっぱりまだ夏だねぇ」


 水蓮が手で団扇を作りながらあおぎ、そんなことを呟いて歩いていると。


「スイちゃ~ん!」


 そう呼ばれる声がして、水蓮はゆっくりとその声の方に顔を向けた。


 そこには右手を大きく振りながら駆けてくる黒髪を両耳の下で結わえた少女――鎌ヶ谷かまがや愛李の姿があった。


「愛李、おはよう! 久しぶりだね」

「おはよう! 久しぶり~」


 それから愛李は水蓮の隣を歩く。


 鎌ヶ谷愛李は10歳で水蓮と同じ夜明学園の第一期生。都内から通う愛李は、水蓮とは違うスクールバスで通学していた。


「夏休み、どうだった?」


 水蓮がそう尋ねると、


「お兄ちゃんとたくさん遊べて、楽しかったよ!」


 愛李は笑顔で嬉しそうにそう答えた。


 前に、最近お兄ちゃんが勉強で忙しそうでなかなか遊べていないと悲しそうに言っていた愛李の顔を思い出した水蓮。


 愛李は家族と楽しい夏休みを過ごせたんだなあ――と嬉しく思い、水蓮は微笑んでいた。


「そっか、良かったね」

「うん! そう言うスイちゃんはどうだった?」

「私はね――」


 それから水蓮と愛李は夏休みの思い出を話ながら教室へと向かった。




 水蓮と愛李が教室に入ると、


「水蓮ちゃん、愛李ちゃん。おはよう」


 そう言って水蓮たちの方を見ながら微笑む、ピンクのシュシュで背中まで伸びた髪をまとめている少女――宇崎うざきももがいた。


「ももちゃん、おはよう!」

「おはようございます!」


 宇崎ももも水蓮たちと同様の夜明学園一期生で、現在15歳。水蓮たちの姉のような存在だった。


 水蓮と愛李はそれぞれ自分の席で鞄を下ろしてから、もものいる窓側の席に集まった。


「夏休み、2人はどこかへ行った?」


 ももはニコニコとそう尋ねた。


「私はお兄ちゃんにたくさん遊んでもらったよ!」

「私は家族でお出かけに行った!!」

「そっか~2人とも楽しい夏休みだったんだね」


 そう言って微笑むもも。


「私はお盆に実家へ帰った以外、特に何にもなかったからなあ」


 腕を組み、小さく頷きながら、ももはそう言った。


「ももちゃんは寮生だったよね! お父さんやお母さんに会えなくて、寂しくないの?」


 愛李は首を傾げながらそう尋ねる。


「うーん。もう慣れちゃったかな! もともと両親と上手くいっているってわけじゃないから、会わないなら会わないでも平気かもしれない!!」


 そう言って笑うももの姿が、少し寂し気に映る水蓮。


「そっか……」


 愛李も心配そうな顔をしてそう言った。


 水蓮や愛李が家族の話を出すたびに、ももはいつも寂しそうな顔をしていた。


 ももの家庭事情をよく知らない水蓮だったが、いつかももが両親と仲良く笑って過ごせたらいいなといつもそう思っていたのだった。


「私のことはいいの! それよりも――」


 ももがそう言いかけた時、始業ベルが学園内に鳴り響いた。

 

「もう時間かあ。じゃあ、またお昼の時に夏休みの思い出を聞かせてね!」


 ももがそう言うと、水蓮と愛李は嬉しそうに顔を見合わせて微笑んだ。


 その後、担任教師――長瀬川ながせがわ小夏こなつが教室にやってきて、水蓮たちの2学期が始まりを迎えたのだった。

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