第7話ー⑨ 僕(『織姫と彦星』狂司視点)
「待ちなさいよ、狂司!」
それは今まで一番強い言葉でした。依頼でも懇願でもなく、命令。彼女からの命令は初めてでした。
だから単純に驚いたのだと思います。
それから僕がゆっくりと振り返ると、織姫さんが僕の胸に飛び込んできました。
「え……?」
身体を剥がすことは容易でしたが、抱きしめられている腕の力の入り方から察して、本気で僕を止めようとしているんだと感じたのです。
「勝手にどこか行くなんて、絶対に許さない。もうお願いなんてしない。これは命令よ。ずっと私と一緒にいなさい。私はもう、あなたに頼り切りの私じゃないんだから!」
顔を埋めてそう言う織姫さんの頭上を見下ろしながら、弱っていた時に頭を撫でたこともあったな、懐かしいなとふと思い出しました。
でも。今の僕が彼女にそうするだけの価値は、ない――
「これからはあなたが私を頼りなさいよ。これまでたくさんしてきてくれたことを、今度は私が返すから――だから、もうあなたをどこへも行かせない! この手は絶対に離しませんからっ!!」
離さないって。まったく、この人は……それに。頼りなさい、ですか。
でも、それが不快ではないのは、なぜでしょう。
「言っていることがめちゃくちゃだって自覚はあります?」
「わかってる」
これじゃ、今までと変わらないじゃないですか。どうやら精神面の成長はまだまだ未熟のようですね。
「もう一人でも大丈夫かと思って、別れを告げに来たのに。あなたは何も変わりませんね。子供のままと言うか……」
「嫌味?」
織姫さんはギロリと僕を睨みます。少し狂気的ですね、怖いです。でも、嫌いじゃありません。
「いいえ。そういう織姫さんはとても魅力的ですし、一緒にいて飽きないなあと思えるんですよ」
「は、恥ずかしいこと言わないで」
織姫さんはそう言って、僕の身体を拘束している腕により力を込めてきます。
このまま僕は、織姫さんに絞殺されるのでしょうか。死因が再会時のハグ、ですか……少しダサいですね。
それから僕はこのまま絞殺される可能性を鑑みて、とりあえず遺言代わりに僕の想いを伝えようなんて思ったわけです。
「ごめんなさい。本当は僕、逃げたんですよ。織姫さんとこのままで良いのかって」
「……」
呆れて言葉も出ない、ということでしょうか。
仕方ないですね。だって、逃げた僕が悪いのですから。
そして僕は、沈黙を破るために言葉を続けます。
「――本当は一緒にやっていきたかった。でも、そうすることが織姫さんの成長の邪魔になるんじゃないかって思って、僕は距離を置くことにしたんです」
本当は織姫さんの為ではなく、僕自身が傷つかないために、ですけれど。
しかし、結果としてこの行動は正しかったわけです。だって、織姫さんは一人でだってうまくやれたのですから。
「似たような話を実来から聞いています。勝手に何を決めつけているのです。私はあなたのペットでもなんでもない。ちゃんと一人の人間です。頭が固いから、少し人より成長に時間はかかりましたが、ちゃんと前に進んでいますよ」
確かに変化の兆候はいくつも目にしてきたように思います。でも、それは僕が助けたことで、織姫さんの成長を阻害してしまった結果なのではないかとも考えていました。
「そう、ですね」
「ええ。だからいいのです。これからは一緒にいてください。一緒にいてくれないと、楽しさも嬉しさも分かち合えないじゃないですか。これは私一人で始めたプロジェクトじゃない。だから狂司も一緒じゃないとダメです」
一緒に……その言葉が、どれだけ僕に力をくれると思っているんですか。
自分の目頭が熱くなっているのがわかります。きっと必要とされていたことが、嬉しかったのかもしれません。
そんなことを言われたら、僕はその言葉に甘えたくなってしまう――
僕は織姫さんの想いの応えようとした時に、ふと思い出したのです。
――織姫さんがなぜ、このプロジェクトを始めたのかを。
彼女は実家の後継ぎになることを目標にしている。そうだとしたら、やはり僕と一緒にと言うのは、賢くはないのでは?
「僕と一緒にやることで、後継者のことは遠回りになるかもしれませんよ」
「いいです。いくら遠回りになっても、ゴールが同じならば、私はそれで。それよりも今は狂司とあのプロジェクトを成功させたい。一緒に楽しみたいんだから」
兄さんのことがあって、もう壊れたものは戻らないとそう思い込んでいたのかもしれない――織姫さんの言葉を聞き、僕はふとそんなことを思います。
諦めたくない。まだチャンスがあるのなら、この手を伸ばしたい。
少し子供っぽくはありますが、今はこの言葉がしっくりきます。
だから僕は、織姫さんの想いに応えましょう。
「そんなにわがままを言う方でした?」
「幻滅したの?」
さっきまでの威勢はどこへ行ったのかというくらい、自信なさげに織姫さんはそう言いました。
幻滅した? そんな、とんでもないですよ。むしろ――
「なんだか特別扱いされているようで、嬉しいです」
他の誰でもなく、僕を必要としてくれたことが嬉しい。
でもきっと――織姫さんにだから、この感情を抱くのかもしれないですね。
それから織姫さんは首を小さく振り、
「それで、答えは?」
僕の顔をまっすぐに見つめてそう問いかけてきます。
その目を見て、僕は今まで悶々と悩んでいたことが馬鹿らしく思えてきました。
冷静にとか要領よくとか、実際どうでもいいことだったんですよね。関係の修復が不可能かどうかだって、僕一人じゃわからなかったことだった。
結局のところ、僕は大人なんじゃなくて、大人ぶっていた子供なだけだったのでしょう。
子供じみた考えが急に芽生えたのではなく、もともとあったものをようやく僕自身、気が付いたというわけですか。
まあドクターの言う通り、変化と言えば変化だったわけです。
では、もう大人ぶることはないでしょう。大人ぶるとか子供っぽいとかではなく、烏丸狂司のまま成長していけばいいのですから。
「まったく……じゃあ織姫さんが飽きるまでは付き合ってあげますよ。僕、面倒見は良いほうなので」
僕がそう言うと、織姫さんは随分と怪訝な顔をしました。
「もしかして、私のことを子ども扱いしていますか?」
おっと、これはなかなかイジリ甲斐のある返答ですね!
そう思った僕はすかさず、
「そんなことはありませんよ?」
悪い笑顔でそう答えます。
「不愉快ですっ!」
織姫さんはいつものように、頬を膨らませてぷりぷりと怒ります。
そんな彼女が可愛いなと僕は今日も思ったわけです。
「ははは! じゃあ、またこれからお世話になります」
「ええ」
僕は織姫さんの顔を見て、そう答えました。
冷静にとか、要領よく考えてとか……そんな大人ぶる必要なんてなかったんです。僕らしく、僕の思うままに。そうやって少しずつ大人になっていけばいい。
それで何か起こっても、まあ何とかなるでしょう。
だって、僕は1人ではないのですから――。
「狂司、今日のスケジュールは?」
「はい。この後、夜明学園で三谷学園長との打ち合わせが――」
これは大人ぶるとか子供っぽいとかではなく、僕が僕らしく成長していくということに気が付くまでの物語でした。
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