第14話ー⑤ ほんとうのじぶん

 キリヤがマリアの部屋を訪れて数時間――いまだに女子の生活スペースでは何も起こっていなかった。


 遅い時間に……とはマリアも言っていたけれど、これ以上に遅い時間ってなったら、本当に幽霊の可能性が――


 そう思いながらキリヤは時計に視線を向ける。そして、時計の針は23時55分を指していた。


「何も起こらないね……」


 キリヤがそう呟くと、


「今日はこのまま何も起こらないのかも」


 申し訳なさそうな顔でマリアはそう言った。


「毎日起こるわけじゃないんだね」

「うん。一昨日は何もなかったし。今日はそういう日なのかも」

「そっか。それじゃあ、今日はもう帰ろうかな。明日も授業があるしね」


 キリヤはそう言って立ち上がる。そして、


「じゃあおやすみ、マリア」


 マリアに笑顔でそう言うと、


「うん。ありがとう、キリヤ。おやすみ」


 マリアもキリヤに笑顔でそう返したのだった。


 それからキリヤはマリアの部屋を後にする。




 ――廊下にて。


 キリヤは真っ暗な廊下を歩き、自室へと向かっていた。


「こんな時間に施設内を一人で歩くなんてあんまりないからな……」


 これだけ真っ暗な廊下なら、何か変なものに遭遇してもおかしくないかも――


 キリヤがそんなことを思い、歩いている時。


 ガチャン……ガチャン……


 キリヤは変な物音を耳にする。


「え……今のって……」


 何かが壊れる音――?


 ……ガチャン……ガタガタ


「どこから聞えるんだろう?」


 それからキリヤは廊下を引き返し、音の出所を探り始める。


 そして真っ暗な廊下で音だけを頼りに進み、ようやくキリヤがたどり着いた先は――『糸原』と書かれたネームプレートのある部屋の前だった。


「ここって……」


 ここは他の子たちと離れているから、みんな気が付かなかったんだね――

 

 マリアたちが音の出所を見つけられなかったのは仕方がないことだったのかもしれないな、と思いながらキリヤは頷く。


 ドドドド……ガタン、ガタン。


 さっきよりも音が激しくなっている――?


 音の発生源の前に着いたからと言うわけではなく、明らかに破壊音が先ほどよりもひどくなっているんだ――とキリヤは思ったのだった。


「一体、優香に何が……」


 そしてその部屋で何が起こっているのかが気になったキリヤは、扉の前に座り込み、扉の隙間に手を当てる。


 すると、そこから蔓が伸びていき、蔓は優香の部屋の中に入っていった。


 それからキリヤは蔓を伝い、優香の部屋の中を覗き見る。


「これは……」


 キリヤはその部屋の惨状を見て、驚愕した。

 

 部屋のそこら中で物が散乱しており、そしてその中心には髪を振り乱しながら手に持つものを乱暴に投げつける優香がそこにあったからだった。


 なんだか、いつもの優香と様子が違う――


 そう思いながら、不安な表情で優香の様子をみるキリヤ。


 すると、


「……いと」


 優香が小さな声でそう呟いた。


「よく、聞こえないな」


 それからキリヤは蔓に力を集中させて、耳を澄ませる。


「うまく、やらないと。私はまた……」


 うまく、やらないと――? 


 キリヤは優香の言葉を心の中で繰り返した。


 しかし優香のその言葉の意味が分からないキリヤは首を傾げた。


 うまくやるって、何を? 何のことを言っているんだろう――


 キリヤがそんなことを思っていると、優香は急に糸が切れた人形のように、その場に座り込んだ。


「落ち着いたのかな」


 そう呟きながら、優香の様子を窺うキリヤ。


 そしてキリヤはその時に見えた優香の表情が、落ち着いた時のそれではなく、いつもの優香の笑顔からは想像できないほどの不安と恐怖に満ち溢れているものだと知る。


 このままじゃ、優香が壊れてしまう――キリヤは今の優香を見て、直感的にそう思った。


 それから無意識に身体が動いたキリヤは、いつの間にか優香の部屋の扉を開けていた。


「え……桑島君!?」


 突然現れたキリヤに、目を見張る優香。


 そして、そんな優香を見たキリヤははっとする。


 しまった、男子生徒は女子の生活スペースには――


「あ、これは……その」


 焦ったキリヤは、勢いで優香の部屋に入り、その扉を閉める。


「不法侵入ですよっ!!」


 優香は語気を強めてそう言って、キリヤを睨んだ。


 まったくもってその通りなんだけど、でも――


「でもなんか……一人にしちゃいけないと思ったから。だから、ごめんね」

「早く、出て行ってください!」


 それから無言で優香の部屋を一望するキリヤ。


「桑島君、ちゃんと聞いていますか!?」


 さっき蔓で部屋の中は見ていたけれど、実際に見てみるともっとひどいことになっているな――


「ねえ。これは何?」


 キリヤが優香の顔をまっすぐに見てそう言うと、


「何でもないです」


 そう言ってキリヤから顔をそらす優香。


 こんな有様で何もないはずないじゃないか――


「何でもなくないよね?」

「私はただ、部屋の片づけをしようとしただけです」


 優香は顔をそらしたままそう言った。


 もしかして、本当のことを言わないつもりなのか――?


「――それって、昨日の夜も?」

「ええ」

「3日前も?」

「そうです」


 淡々とキリヤの問いに答える優香。


 本当のことを言おうとしない優香に、キリヤは苦い顔をする。


「ねえ……なんで本当のことを言わないの?」

「だから! 本当に掃除をしていただけなんですって!」

「でも――」

「もう、いい加減に出て行ってくださいよ!」


 優香はそう声を荒げた。


 なぜ優香がこうなってしまっているのだろう――


 キリヤは普段と様子が違う姿の優香を見て、ふとそう考える。


 そして、時折見せていたあの苦しそうな表情にヒントがあるのではないかと思った。


 クラスメイトからの相談事を笑顔で聞いて励ましの言葉を送ったり、勉強で困っているクラスメイトには、丁寧に教えたり――優香はいつも誰かのために行動していたことをキリヤは思い出す。


 もしかして、優香はずっと無理をしてきたんじゃないのか。優等生でいなくちゃいけないと思い込んで、一人でいろんなことを抱え込んできたんじゃないのか――?


 優香が好きでやっていることだと思っていた行動が、実は優香にとって大きなストレスになっていることだったのではないか――と言う答えに辿り着くキリヤ。


 そして、


「ねえ、優香。本当は優等生でいることにストレスを感じているんじゃないの?」


 とキリヤは優香にそう尋ねる。


 しかし、優香は口を閉ざしたままだった。


 さっきの『うまくやらないと』は、きっとこの施設での自分の立ち居振る舞いのことを言っていたんじゃないの――?


「実はさっき、見ていたんだ――君がここにあるものを投げつけるところを」

 

 その言葉を聞きながら、ビクッと肩を震わせる優香。


「ごめん。能力を使って、勝手に――」


 それから優香は両手の拳を震えるほど強く握り、


「……最低」


 そう言ってキリヤを睨む。


 最低でも何でもいい。今は、君を……優香を救いたい。今の苦しみから――


「ねえ、どうしてこんなことになったの?」

「……」

「優香?」


 キリヤは覗き込むように、優香に問う。


 すると、


「……ばれちゃったなら、仕方ない、か」


 ため息交じりにそう言う優香。


 そして優香はゆっくりと口を開く。


「私、皆に嫌われたくないの。だから良い子でいなきゃいけない。良い子じゃないと、私はまたみんなに嫌われちゃうから」


 また、嫌われる? でも、優香は女子たちに人気ものだったはずじゃないか――?


 そう思いながら、優香の言葉に首を傾げるキリヤ。


「私はね、もう同じことを繰り返したくないの。だから、たくさんたくさん我慢するの。だって、本当の私のことなんて誰も好いてくれないでしょ?」


 優香は笑いながらそう言った。


 そう言う優香の表情を見たキリヤは、その言葉に込められた悲しさを感じていた。


「ほんとは言ってやりたいことがたくさんあるけど――でも、私は言わないよ。だって私はみんなに好かれる良い子でいないといけないから」


 そう言って俯く優香。


 僕も施設のみんなも、まだ優香の本当の気持ちを聞いていない。それなのに、なぜ優香は良い子でいないと自分が嫌われると決めつけてしまうのだろう――


「なんで――どうして、本当の自分が好かれないって優香は思うの?」


 キリヤがそう問いかけると、優香はゆっくりと顔を上げ、


「だって今までそうだったから。私が悪い子だったから、お母さんもクラスの子たちもみんな私を嫌いになった。みんなの都合の良いように生きられない私には、価値なんてない……」


 悲しげな顔でそう言った。



「価値?」


「私は必要ない存在なんだよ。だから誰かの都合の良い存在でいなくちゃ、生きている意味なんてない。本当の私なんて、誰からも求めてもらえないんだ……だから私は、存在する価値なんてないんだよ!!」


「優香……」



 優香はきっと本当の自分を見てほしいんだ。でも過去の経験からそれを出すことを恐れている。だから偽りの性格で優等生を演じ続けて、それでこんなに苦しんでいるんだ――


 そう思いながら、キリヤは眉間に皺を寄せる。


 このままじゃ、ダメだ。優香が壊れてしまう――!


 そう思ったキリヤはぐっと拳を握り、小さく頷くと、


「優香。君のその考えは間違ってるよ!」


 優香の顔をまっすぐに見て、そう告げた。

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