第6話ー⑧ 信じることの難しさ

 ――研究所にて。


 暁がキリヤを抱えながら車を降りると、キリヤは入り口で待機していた研究所の大人たちに連れて行かれた。


 そして暁は研究員だけが入れる観測ルームに特別に入れてもらえることになり、そこで検査をするキリヤを見守っていた。


 暁がキリヤをガラス越しに見つめていると、


「やあ。しばらくぶりかな。元気にしていたかい、暁君」


 所長は暁の背後からそう言った。


 暁はゆっくりと振り向いて、


「所長、お久しぶりです。自分は問題ないです。でも――自分の失態で生徒を……」


 そう言って俯いた。


「君の失態ではないよ。だから、そんなに思いつめないでくれ」


 所長はキリヤの方を見ながら、そう言った。


「はい……」


 俺のせいじゃないのかもしれないけれど、でも自分の生徒を心配しない教師なんているはずないじゃないですか。キリヤは俺の大切な生徒なんだから――


 それから所長はゆっくりと暁に視線を向けて、

 

「しかしね。今の君には少し酷かもしれないけれど――もしかしたらキリヤ君は助からないかもしれない」


 と静かに告げた。


「え……?」


 そんな……助からないかもしれないって――


 暁はそう思いながら、呆然と佇む。


「すまないな。私達が力不足なばかりに辛い思いをさせてしまって……君を教師に推薦したのは私なのに」

「そんな――何かないですか!? キリヤを救う方法は!」


 暁は所長の目をまっすぐに見て、そう訴えると、


「助かる可能性は、ゼロではない」


 所長はぽつりとそう言った。



「じゃ、じゃあ――!」


「だが、私たちにできることは何もないんだ。私達は彼の心を信じて待つしかないんだよ。彼が助かる方法は――彼自身が戻ってきたいと思えるかどうかなんだ」


「そう、ですか……」



 そう言って暁は再びガラス越しにキリヤを見つめた。


「キリヤが戻ってきたいと思えるかどうか、か……」


 キリヤはどうなんだろう。もう誰も信じられないと絶望し、戻らない選択をするかもしれない――


 はっとした暁は首を横に振る。


 きっと俺の言葉は届いたはずだ。俺は信じる。キリヤのことを――


 それから暁は検査が終わるまでの間、観測ルームでキリヤを見守ることにしたのだった。




 暁が観測ルームにいる間、そこにいる研究員たちはいそいそと働いていた。


 もしかして邪魔をしてしまっているのかな――と申し訳なく思った暁は、窓からキリヤが一応見える一番端の方に寄って座った。


 それから暁は黙ってキリヤを見つめていると、研究員たちのささやきあう声がふと耳に届く。


「かわいそうに……この子には、もう未来がないなんて」

「でも仕方がないよ。これが能力者の運命さだめなんだからさ」


 その言葉に暁は反論しようとするも、自分の言葉を飲み込み、眉間に皺を寄せた。


 それじゃまるで、キリヤがもう助からないみたいな言い方じゃないか――


 そう思いながら、暁はキリヤに視線を向ける。


 頭部に脳波計をつけられたキリヤは、目を瞑ったままピクリとも動かない。


 俺は、俺以外の全員が無理だと言っても、キリヤが戻ってくると信じる。何があっても、俺だけは絶対に信じるって約束したんだからな――!


 暁はそう思いながら頷く。


「だから必ず戻ってこいよ、キリヤ」


 キリヤの方をまっすぐに見たまま、暁はそう呟いたのだった。




 ――数時間後。一通りの検査を終え、キリヤは個室へと移された。


 暁は所長に頼み込み、個室に入ることを許され、ベッドで眠るキリヤの傍の椅子に座っていた。


「何ができるってわけじゃないけど、俺はキリヤを信じると決めた。だから俺はここでキリヤを待つよ」


 キリヤは必ず目覚めると信じて――


 そして暁は、キリヤの手をしっかりと掴んだのだった。



 * * *



「僕、どうしたんだっけ……」


 目を開け、最初にそう呟くキリヤ。


 キリヤが周囲を見渡すと、そこは真っ白で何もない空間だった。


 僕はあいつとあの時……それから僕はどうなったんだっけ――?


 キリヤはこの空間に来る直前のことを思い出していた。


「たしか、職員室の前を通りかかって――そうしたら、マリアとあいつが……」


 そうだ。それから僕はあいつと戦って、そのまま意識を――


 キリヤはそう思いながら、自分の両手を見つめた。


 もしかしたら僕の心は壊れてしまったのかもしれない。この空間は、虚無になった僕の心なのかな――


 能力の暴走をすれば、心が崩壊する――それは前に暁から聞いた言葉だったことをキリヤは思い出す。


「僕は、本当に独りぼっちになってしまったんだな」


 でも、これでもう誰かに裏切られることもない。ここにいれば、僕はもう傷つくことなんてないんだ――


「これでよかったんだよね」


 そう呟いて、キリヤは膝を抱えた。


 そして意識が途切れる前に聞いた、暁の言葉をふと思い出すキリヤ。


「何があっても信じる、か……」


 もし本当にそうなら、僕はまた心から笑える日が来るかもしれない。だけど。また裏切られて傷つくのは、怖い――


 そしてかつて自身を裏切った女性教師の顔を思い浮かべるキリヤ。


 当時の自分が、本心から周りの人間を信じようとはしていなかったことにキリヤは気が付き、今回のことはその天罰なのだとそう思った。


 でも。もし叶うなら、もう一度だけ信じるチャンスがほしい。今度こそ、僕は心から誰かを信じたい……僕は、変わりたいんだ――!


 キリヤがそう強く願った時、真っ白な世界に何かが広がっていった。


 それから真っ白だった世界が、少しずつ壊れ始める。


「これは、一体……?」


 キリヤは驚きながらそう呟いて、壊れていく世界を見つめた。


 僕はこのままここで終わりってことなのかな――


 止まらない世界の崩壊を見て、キリヤはそんなことを思っていた。


 すると、そんなキリヤの前に小さな少年が姿を現す。


「君は……僕?」


 キリヤの問いに答えることなく、幼い姿をしたキリヤは、


『本当に信じられるの? また裏切られるかもしれないよ? それでも耐えられる? 次はきっともうないよ?』


 不安そうな顔をしてそう言った。


 次はもうない、か。確かにそうだね。でも――


 キリヤは幼いキリヤの目をしっかりと見つめて、


「信じるさ。僕を信じると言ってくれたあいつと僕自身を」


 そう言って、ニコッと微笑む。


『そっか、わかった。……きっと、今の君なら大丈夫そうだね』


 幼いキリヤはそう言って優しく微笑み、キリヤの前から姿を消したのだった。


「帰ろう。僕を待っているあの人の元へ」


 そして足元が崩れて、キリヤは闇の中へと落ちていったのだった。




 キリヤはゆっくりと瞼を開ける。


 ここ、どこだろう――?


 そう思いながら、まだ視界がはっきりしない目で、目の前の光景に目を凝らすキリヤ。


 見たことがない天井と、どこからか聞こえるたくさんの機械音……ここは、いつものいる施設ではないみたいだね――


 それから意識がはっきりすると、キリヤは左手の方に温もりを感じていた。そしてその温もりの正体を確かめようとその方に視線を向ける。


 誰かが、僕の左手を? でも、一体誰が――


 そう思いながら、キリヤはまじまじとその主を見つめた。


 するとそこにはキリヤの手をしっかりと掴んだまま、スヤスヤと寝息を立てて眠る暁の姿があったのだった。

 

 キリヤはそんな暁に驚き、目を見張る。


「せん、せい?」


 キリヤは眠っている暁に恐る恐るそう呼びかけるが、暁からの返答はなかった。


 もしかして僕の意識が途切れたあの時から、ずっと僕のそばにいてくれたのかな。もしそうだとしたら――この人はほんとに馬鹿だな――


 キリヤはそう思いながら、はにかんだ。


 僕が目覚めることを信じて疑わなかったんだね――


 そしてキリヤは、「ふふっ」と小さく笑う。


「……んん」


 そろそろ暁が目覚めることを悟ったキリヤは、合図をするように暁の手をぎゅっと握った。


 そして暁はゆっくりと身体を起こし、キリヤの顔を覗き込む。


 それからキリヤと目が合った暁は、明るい表情をして、


「キリヤ!? 目を覚ましたのか!! よかった!! ほんとによかった!!」


 そう言って、思いっきりキリヤを抱きしめた。


「先生、そういうの暑苦しいよ。それに痛いんだけど……」


 キリヤはそんな暁の勢いに圧倒されて、そんな悪態をついた。


 でも、嫌ってわけじゃない。本当は嬉しかったけれど、こういう時になんて言えばいいのか、僕はわからないだけなんだ――


 そして暁は申し訳なさそうな顔をして、キリヤの身体から離れた。


「ははは……悪い、悪い! そうだ! ちょっと待ってろよ! 所長に報告してくる!」


 そう言って暁は、大童で部屋を飛び出していったのだった。


「せ、先生!?」


 キリヤはそう言って身体を起こし、暁の出て行った扉を見つめた。


「はあ。もう少し再会を喜びたかったけどな……まあいっか。先生との時間はまだまだたくさんあるからね」


 そう呟きながら、キリヤは笑っていた。


 そしてキリヤはいつの日からか、自然な笑顔ができなくなっていた自分に気が付く。


 こんなに自然に笑えたのはいつぶりだろうか……僕はこの感覚をずっと忘れていたかもしれない――


 久しぶりの本当の笑顔に、キリヤは嬉しく思っていたのだった。

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