第235話 あっという間に三週間
俺を抱きかかえたまま、ヴィルガは縁側から寝室に入り、敷きっぱなしだった布団に、たおやかな手つきで俺を寝かせてくれた。
その、全てにおいて頼もしく、優しい動作は、シルバーメタルゼリーであった俺が知るはずもない、母親の温かな面影を思い出させるようだった。
あるいは、転生前――前世の母の記憶が、心に去来しているのだろうか。
なんとも懐かしく、温かく、それでいて、面映ゆい気持ちだ。
ヴィルガの穏やかな微笑みは、先ほどの怒りに満ちた獣の形相とは、完全に別人である。
どっちが、本当の彼女なのだろう。
……きっと、どっちも、本当の彼女なのだろうな。
疲労の極に達し、段々と、闇に飲まれるように、意識が消失していく。
苦痛から解放され、夢の世界に落ちていく間際、最後に思い浮かんだのは、憎悪に牙を剥くヴィルガと、彼女の仇敵――写真で見た、バセロ・レインズの、柔和そうな顔だった。
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翌日から、アクセラレーション呼吸法――その加速モードを維持し、使いこなすための、本格的な訓練が始まった。
ヴィルガの言う通り、加速モードを使った反動の苦しみと激痛は、二日目以降、格段に落ち、三日、四日、五日と、日を重ねるごとに、使用後の苦痛は弱まっていった。
また、反動が小さくなればなるほど、加速モード使用中の、異様な動悸の激しさや、意識の混濁も落ち着いていき、加速モードの修練を始めてから二週間経過した現在では、使用中、多少気分が高揚する程度だ。
そして使用後は、ガクンと疲労こそするものの、それでもまだ運動を継続できるくらいには、体力を残しておくことができるようになった。
加速モードの持続時間も、連続30秒にまで伸び、修行は実に順調だった。
だが――
「はぁ、はぁ、はぁっ……、ちくしょうっ、なんでだっ、かすりもしないっ……」
このレグラックに来て、早くも三週間が過ぎた。
アーニャとの再試合は、もう一週間後に迫っている。
加速モードにも随分慣れたので、五日ほど前から鬼ごっこは卒業し、実戦形式で、ヴィルガと練習試合をしているのだが、俺はいまだに、ただの一撃も、彼女に攻撃を当てることができなかった。
時間は、早朝。
やっとこさ昇ってきた太陽に照らされ、滝のように流れ落ちる俺の汗、そして、銀色の髪、それから、ヴィルガの長い金髪がキラキラと輝く。
それなりに長い時間、訓練をしていると言うのに、驚いたことに、ヴィルガは一滴の汗もかいていなかった。
例え、加速モードを使っていても、俺ごときの攻撃をかわす程度じゃ、汗などかかないということか。
いつまでも埋まらない彼女との力の差に、目の前が少々暗くなり、その場に倒れ込みそうになるが、こんなところでへばっているわけにはいかない。
一週間後、俺が負ければ、今度こそジガルガは解体されてしまうのだ。
そんなこと、絶対に許すわけにはいかない。
俺は、萎えそうになる心と、ふらつく足腰に気合を入れ、「もう一試合お願いします」と、ヴィルガに頼んだ。
「ちょい待ち」
ファイティングポーズを取り、向かって行こうとした瞬間、ヴィルガが手のひらを突き出し、俺を制止する。
それからしばらく、顎に手をやって、何かを思案している。
俺は肩を上下させ、荒い息を吐きながら、それを見つめていた。
やがて、思考がまとまったのか、ヴィルガは静かに口を開く。
「ナナ、この三週間、よう頑張ったな。いや、本当に、よう頑張った。ウチの予想以上に、よう頑張っとると思うよ、ホンマに」
なんとなく、嫌な予感がした。
ヴィルガが、こんなふうに褒めてくれる時は、だいたい、その後で『駄目出し』するときの前振りなのだ。
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