第226話 頑丈な理由
『ひーっ』で一気に息を吸った後、さらに『ひいぃっ』で、過剰なまでの呼吸を強いられるので、なかなかしんどい。そして、最後に思いっきり『ふううぅぅ』と、肺の中の空気を空っぽにするまで息を吐ききる。
ここまでで1セットだ。
全ての神経を集中して、真剣にやると、それだけで全身から汗が噴き出してくる。
お、思ったより疲れるな、これ。
呼吸の響きこそ、子供を出産する時の、あの呼吸法に(ラマーズ法、だったかな?)似ているが、全くの別物だ。
こんなことを一週間もの間、ずっと続けなきゃいけないのか。
本当に、根気がいるな。
あんまり先のことを考えると気が滅入りそうだったので、俺は息を吸って吐くことだけに集中し、その後数時間、ひたすら呼吸法の習得に努めた。
そして昼になると、ランニングに出かけたイングリッドが戻って来て、俺に怪訝そうな視線を向ける。
「……何してるんだ?」
うん。
まあ、変に思うよな。
俺だって、一人汗だくで、ひっひっふーって全力呼吸してる奴見たら、『何してるんだ?』って聞くわ。
どうしよう。
もう普通に喋っても大丈夫だろうか。
朝から、もう5時間はこの呼吸法を続けてるから、吸って吐くリズムを保ったまま、会話することも出来そうな気がしたが、万が一呼吸が途切れたら、今までの苦労が水の泡なので、俺は紙とペンを持ってくると、『呼吸の修行中だから話せない』と書き、イングリッドに渡した。
それで合点がいったらしく、イングリッドは縁側に腰かけ、昔を懐かしむように語りだす。
「ああ、なるほど。『アクセラなんちゃら』とか言う呼吸法か。私も昔、やり方だけはお師匠に教わったよ。まあ、私の場合は、それほど血管が頑丈ではなかったから、結局覚えることは断念したけどね。あれは獣人……もしくは魔物でなければ、完全に習得することはできない技だ。あなたは人間なのに、才能があったのだな、さすがだ」
そうなのか。
人並外れた筋力・体力の持ち主であるイングリッドでも、血管は普通だったということか。
……『獣人や魔物でなければ、完全に習得することはできない技』か。
俺の血管が頑丈なのは、もともと魔物だったからだろう。
これを才能と呼んでいいかは怪しいものだが、とにもかくにも、俺にアクセラレーションを覚えることのできる、最低限の資質があったのは、ありがたいことである。
さて、集中集中。
とにかく、この呼吸を保ったまま、せめてまともに会話くらいはできるようにならないとな。
それができなきゃ、たぶん飯も食えないし、水だって飲めそうにない。
俺はすべての意識を呼吸に集中し、夕暮れまで、ひたすらひっひっふーを繰り返した。
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普段とは違う、特殊な呼吸のままで(それも、限界まで吸ったり吐いたりしなきゃいけない)日常生活を過ごすのは思った以上に大変であり、結局、アクセラレーション呼吸法を保ったまま、自然に喋ったり飲み食いができるようになるまで、たっぷり四日間もかかってしまった。
しかし、一度コツを掴むと案外簡単なもので、呼吸法の練習を始めた日に感じた肺の痛みも、少しずつ慣れてきたのか、あるいは、肺そのものが強くなったのか、ほとんど痛みを感じることはなくなった。
そして、ひっひっふーをするようになって五日目の朝から、本格的な武術の稽古が始まった。
相変わらずアクセラレーションの呼吸を保ったまま、朝と晩、ひたすらヴィルガと模擬戦闘を繰り返すというシンプルな修行内容だが、ヴィルガの超人的なスピードを、必死に目で追い続けることで、俺の動体視力はグングンと向上していった。
何より、技の使い方がヘタクソな俺にとって、達人中の達人と言ってもいいヴィルガと実際に戦うことは、これ以上ないほど素晴らしい訓練だった。彼女の動きを真似ることで、自然と無理のない技の使い方を覚えることができるからだ。
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