第223話 お姫さまの鍋
息も絶え絶えで、今にも倒れそうなイングリッドに、ヴィルガは感心したような声を上げる。
「やるやん、インコ。一発も急所にいれられんかったわ。武者修行の旅も無駄やなかったな」
「ありがとうございます……でも木刀じゃなくて真剣だったら、私は確実に出血多量で死んでますけどね……」
「ふふふ、それを言うたらおしまいやろ。なんにしても、弟子が強なるのは嬉しいもんや。今夜は久々に高い酒開けようかな」
上機嫌なヴィルガを見て、俺は深いため息を吐いた。
つい先程、頑張るぞと決意したばかりだが、あのイングリッドが一撃も加えられない相手の顔面に、この俺が、一ヶ月で攻撃を当てるなんて、本当にできるのだろうか?
そんな思いがありありと表情に出ていたのか、ヴィルガは俺の顔を見て、カラカラと笑う。
「安心しい。明日になったら、色々と秘策を考えたるから。とにかく今日はゆっくり休むんやな。ウチの攻撃を食らったのもあるけど、あんた、ここ最近、随分無理なトレーニングしてきたやろ? 体が悲鳴上げとるわ。たまにはしっかり休養取るのも、大事なことやで。なんやったら、そのまま、少し眠ったらええわ。その間に、飯の用意しとくさかい」
うーむ、さすが、イングリッドが最高の指導者と言うだけある。
この一ヶ月の、俺の無茶なトレーニングのことも、体を見るだけでわかってしまうとは。
俺は素直にヴィルガの言うことを聞き、瞳を閉じた。
彼女の指摘通り、俺の体は相当に疲れているらしく、あっという間に眠りに落ち、目が覚めた時には、茶の間に鍋の用意がしてあった。
むくりと体を起こすと、箸や取り皿を持ってきたヴィルガと目が合った。
「今晩は鍋や。ウチ、あんまり難しい料理はできんけど、鍋は結構得意なんや。ふふ、姫の得意料理が鍋っちゅうのもあれやけどな」
「姫?」
首をかしげて聞き返すと、ヴィルガは少し照れくさそうに笑う。
「せや。ウチの通り名、知らん?
あれ?
何かイングリッドから聞いてた話と違うぞ。
彼女の通り名は確か……
「違いますよ、お師匠。とうきの『き』は姫じゃないです」
ヴィルガの後ろから、酒瓶を持ってやってきたイングリッドが、ぴしゃりと言う。
「は? 姫以外に何があるん?」
幼児のように頭を
「鬼ですよ、鬼。お師匠の通り名は、闘いの姫じゃなくて、闘いの鬼です。闘鬼ヴィルガ・レインズですよ」
「嘘やろ!? なんやそれ!? 怪物みたいやん! ずっと闘姫やと思ってええ気分やったのに!」
「いやあ、普通気づきますよ。お師匠、お姫様って感じじゃないじゃないですか。胸も大きすぎるし」
「乳のでかさと姫は関係ないやろ! あかんわ……ごっつテンション下がってもうた……」
「まあまあ、誤解もとけたことですし、皆で楽しく鍋を囲みましょうよ。ほら、お酒もありますし」
「人んちの酒勝手に持ってくるなや……お前、そういうとこ、全然変わっとらんな……」
そんなこんなで食事をとり、夜も更け、ぐっすりと眠り、再び朝がやって来た。
軽めの朝食の後、俺とヴィルガは、庭で向かい合っている。
これから朝稽古だ(イングリッドは日課のランニングのために、少し前に飛び出していった)。
昨日、ヴィルガは秘策を考えると言っていたが、何か妙案は浮かんだのだろうか。
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