第157話 魔法で風呂を作ろう

 コートは明日、ホームレスのおじさんに返しに行くとして、『橋の下で泣いてた』か……


 やっぱり、妹に酷いことを言われていたのを知ったがショックだったのか。


 とにかく、今日はもう遅い。

 気持ちを鎮めるためにも、寝てしまった方がいいだろう。


 とはいえ、イングリッドの奴、日中も随分と走り回って汗だくだったし、寝る前に体は拭いておいた方がいいだろうな。


 ……いや、どうせなら、風呂にでも入れてやった方が、リラックスして、気持ちが落ち着くかもしれない。


 このボロ宿に、浴室などという上等なものはないが、俺にちょいとアイディアがある。


 大きなおけと、魔法を使って、即席の簡易風呂を作るのだ。


 前から一度、試してみようと思っていたが、ちょうどいい機会だ、いっちょやってみるか。


 俺は、以前廃品置き場から拾ってきた直径1メートルの大きな桶に水を入れると、中に両手をひたし、最低レベルの閃熱呪文を使った。


 またたく間に、水は温度を増していき、熱湯となる。


 うぉっ、思ったより熱いっ。

 湯浴みするには、もう少し温度を下げないとな。


 というわけで、今度は桶の上から、最低レベルの氷雪呪文をちょっとだけ使って、お湯を冷ます。


 さて、どんな具合かな?

 再び湯の中に手を入れると、自分でも驚くほど良い湯加減だった。


 うーむ、なんでも挑戦してみるもんだ。

 俺は、いまだにしょんぼりとうなだれたままのイングリッドに、ニッコリと笑顔を向ける。


「どうだ。思いつきの即席風呂にしては悪くないだろ。安っぽいが、しゃがみ込めば腰くらいまではお湯にかれるし、何より温かいお湯で身体を洗えるから、タオルで汗を拭くだけよりは気持ちいいと思うぞ」


 そう言って即席風呂に入るよう促すと、イングリッドは素直に服を脱ぎ、ちゃぽんと湯に浸かった。


 ついでだ。

 背中も流してやろう。


 俺は物干し竿からタオルを持ってくるとお湯につけ、桶の外、イングリッドの背後にしゃがんで、彼女の背中を擦ってやる。さすがに年中鍛えているだけあって、引き締まりながらもしっかりと筋肉のついた、美しい背中だった。


 思わず見惚れていると、それまで無言だったイングリッドが、小さく囁いた。


「……ありがとう。私のために、ここまでしてくれて、本当に嬉しい。気持ちも随分と落ち着いたよ。坊やはどうした? こんな時間なのに、姿が見えないようだが」


 ゆったりと背中を流しながら、イングリッドが出て行ったしばらく後、レニエルとフロリアンが旅立ったことと、そうなるまでの経緯いきさつを語る。


 イングリッドは、自分でも上半身に湯をかけながら、優しい微笑を受けべ、言う。


「そうか。国王陛下のことは残念だったが、坊やは兄上と和解できそうで良かったな。本当に、良かった」

「ああ。フロリアンさんの話によると、レニエルの兄ちゃんは、そもそもレニエルのことを疎ましく思ってなんかいなかったみたいだし、これからは、きっと兄弟仲良くやっていけると思うよ」


 そこで、イングリッドの笑みは、寂しげに歪んだ。


「兄弟仲良く……か。私も、いつか妹と仲良くやれる日が来るのだろうか」


 きっと来るさ。

 ……なんて根拠のない励ましは、言うことができなかった。


 フロリアンの話を聞く限り、イングリッドの妹――ベルサミラの姉に対する感情は、単なる不仲の姉妹というより、軽蔑に近い。


 彼女たちの関係についてほとんど知らないのに、軽々けいけいに口を出すと、せっかく落ち着いたイングリッドの気持ちを、再び傷つけてしまうような気がして、俺は黙り込む。

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