第156話 未知なる世界の理

 ジガルガは、ゆ~っくりとした瞬きを三回繰り返し、ぽつんと呟く。


「……知らん。まったく」

「へぇ。お前でも知らないことがあるんだな」


 こいつはなんでも知り尽くしていると思っていたので、純粋に驚きである。

 しかし、今の俺の発言は、ジガルガのプライドをいたく傷つけたらしく、彼女は弱々しく顔を逸らせた。


「わ、我にだって……知らないことくらい……ある……そんな、侮蔑の目で見るな……」

「見てないよ! どうしたんだ、今日はえらく打たれ弱いな」

「ぬしには分かるまい……高い知能と豊富な知識は最強の人造魔獣――その頭脳担当である我の誇りだ。その我でも分からない、世界の理があるなんて……恥ずかしい……穴があったら入りたい……」


 そう言いながらジガルガは、座っていた棚の一段目を開け、もぞもぞと中に潜り込んでしまった。


 ああ、うん。

 ちょっとだけなら分かる。

 得意なことで成果をあげられないと、確かに若干へこむよね。


 俺としては、もう少し話していたいが、ジガルガはもう、楽しく会話を続けるような精神状態ではなさそうだ。


 最強の人造魔獣がそんなメンタルで大丈夫かと尋ねたくなったが、これ以上落ち込んだらかわいそうなので、そっと胸にしまう。


 その時だった。

 ガタガタと、音がした。


 なんだ?

 窓の方だ。


 泥棒か?

 こんなボロ宿に盗みに入るなんて、よっぽど困窮してる奴だな。


 とはいえ、盗人ぬすっとにみすみす侵入を許すほど、俺もお人よしじゃない。

 小声で呪文を詠唱し、窓が開くと同時に、大怪我させない程度の雷光を、侵入者に放った。


 ビシャッ!

 稲光の弾ける、小気味よい音が響く。

 命中だ。


 しかし侵入者は、窓からはじき飛ばされることもなく、平然と中に入って来た。

 背筋に、ぞくりと恐怖が走る。


 なんだこいつ。

 手加減したとはいえ、正面から雷光が直撃したんだぞ。


 それが、無傷どころか、意にも介さないなんて。


 ただもんじゃない。

 俺は思わず、ジガルガが引きこもった棚を開けて、助けを求めた。


「おい、ジガッ……」


 言葉の途中で、絶句する。

 ジガルガは、もういなかった。

 どうやら、ふて寝して、いつものように姿を消してしまったらしい。


 んもー、肝心な時に。

 こうなったら、逃げるしかない。

 バネのように飛び上がり、身を翻した俺の背に、か細い声が聞こえてきた。


「いたい……」


 それで、一気に緊張がゆるむ。

 よく知っている声だったからだ。

 振り返って、侵入者の姿をよく見る。


 それは、こげ茶色の、薄汚れたフード付きコートをすっぽりと被ったイングリッドだった。

 大きめのフードが目元まで覆っているので、よく観察して、初めてイングリッドだと理解できた。


 安堵と共に、小さな怒りがこみ上げ、俺は声を張り上げた。


「お前、こんな時間まで何やってたんだよ! しかも、なんで窓から入ってくんだよ! それに、なんだよその恰好! びっくりして魔法使っちゃっただろ! ごめん! 大丈夫だったか!?」


 色んな感情がごちゃ混ぜになって、怒鳴りながら謝る俺に、イングリッドは蚊の鳴くような声で言った。


「だって、ドアは鍵がかかってたから……」


 言われて、夜も遅いので施錠していたことを思い出す。

 いやいや、それにしたって、ノックするなりなんなり、すればいいだろ。

 普通は、突然窓から侵入しようなんて思わない。


 まあ、こいつの常識の無さは筋金入りだから、それはもういい。


「今まで何してたんだ? そのコート、どうしたんだよ?」

「橋の下で泣いてたら、ホームレスのおじさんがくれた……」

「知らない人から物を貰うんじゃない! 馬鹿!」

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