第139話 神の領域の力

 ウーフの集落に戻ったときには、かなり遅い時間だったから、族長のテントにソゥラを連れて行くのは明日にしようかとも思ったが、もしかして、集落のどこにもソゥラの姿がないので、ウーフが心配してるかもしれないと考え直し、俺たちは、覚悟を決めて族長のテント――その入り口をくぐった。


「ソゥラを連れてきてくれたのですね。ありがとうございます。ああ、ソゥラ。駄目じゃないか、こんな時間に外をウロウロしていては」


 ほっとした様子のウーフが、慈愛溢れる動作で大きな体を屈め、ソゥラを抱きしめる。


「あー、ううー」


 ソゥラが呆けたような声を上げ、俺とレニエルは身をこわばらせた。

 ウーフが、ソゥラの異変に気がつき、俺たちに詰問してくると思ったからだ。


 しかし意外にも、ウーフは特に驚いた様子を見せない。


「さあソゥラ、今日はもう遅いから眠ろうね」

「あぅー、あー」


 そして、ひょいとソゥラを抱えると、彼女を寝床に下ろす。

 ソゥラは疲れていたのか、あっという間に眠ってしまった。


 ……なんでだ?

 どうして、ソゥラが幼児退行したというのに、俺たちに何も聞いてこないんだ?


 俺は、覚悟を決めて、自分から話を切り出すことにした。


「あ、あの、ウーフさん。ソゥラちゃんが、ああいう感じになってしまったことなんですけど……」


 冷や汗たらたらの俺に対し、ウーフは柔和に笑いかけてくる。


「ははは、もうそろそろ年頃だというのに、あの子は幼児のままのようで、困ったものです。小さい頃から、ずっとああですが、まあ、そこが可愛いところでもありますがね。集落の皆にも、子供のように可愛がってもらっていますし」


 ……なんだって?

 今、なんて言った?


『小さい頃から、ずっとああですが』だって?

『集落の皆にも、子供のように可愛がってもらっています』だって?


 そんなわけあるか。

 ついさっきまで、ソゥラは……

 そこで、レニエルが俺の肩を叩き、耳打ちした。


「もしかしてこれが、ルミオラの言う、『すべての者の精神を整えた』ということなのかもしれません。ソゥラさんを取り巻く人々の精神を、現在の事実に適合するような形に、変えてしまったのかも……」


 そんな馬鹿な。

 多くの人々の精神を、一斉に変えてしまうなんて、言うなれば、神の領域の力だ。とても、いち魔装の力とは信じられない。


 信じられない、が。

 今目の前で起こっている、ウーフの変化を見るに、信じざるを得ない。


 訝し気な俺とレニエルの表情を、ソゥラに対する憐れみだと勘違いしたのか、ウーフは困ったように微笑む。


「そんな目で見ないでください。確かに、あの子は知能が発達していませんが、それ故に良いことも沢山あるんです。もし、他の娘と同じようであれば、成長するにつれて賢くなり、自我が強くなって、私は今のように、ソゥラと仲良く過ごすことができなかったかもしれませんからね」


 それは、なかなかに真実を捉えた言葉だった。


 精神が変調する前のウーフは、言うことを聞かないソゥラを怒鳴りつけ、ソゥラもまた、思春期なせいもあるのだろうが、兄に反抗していた。


 傍から見ても、今の方が、よっぽど仲良し兄妹で、幸せそうに見える。


「私は思うのです。知能というものは、人々を幸せにする薬であると共に、無用な苦しみを生む毒でもあると。我々が、このような僻地に閉じこもり、イハーデンとの交わりを極力避けているのも、外界から伝来する必要以上の知恵を身に着けてしまうことで、結果的に災いを招いてしまうのを、恐れているからなのです」


 俺は、ただ頷くことしかできなかった。

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