第138話 無垢なるもの

「ソゥラさんが、イハーデンの商人や集落の人を殺害したのは、ピジャンの指示であり、彼女の精神状態を考えれば、それを拒否することは不可能でした。だから、罪の大部分は、ピジャンにあると言えます」

「ああ、そうだな。俺も、そう思う」


 レニエルは頷いて、話を続ける。


「しかし、ルミオラはこう言うのです。『では、ソゥラという娘に、まったく罪はないのか。そんなことは、誰にも言えないのではないか。どんな理由があれ、実際に人を殺め、多くの命を奪ったのは彼女だ。死者の友人や家族は、ソゥラを許すだろうか』と……」


 俺は、黙り込んでしまう。

 そのルミオラとやらの言い分に、一理あったからだ。


 あるいは、スーリアの人々なら、ピジャンの命令だったと知れば、嘆き悲しみつつも、仕方ないことだったと認めるかもしれないが、犠牲となった若いイハーデンの商人――その親や友達、あるいは恋人は、『神様に命令されたから、どうしようもなかった』なんて言われても、絶対にソゥラを許しはしないだろう。


「ルミオラは、さらに言いました。『だが、最も罪が重たいのは、彼女に指示を下した者であることは間違いない。だから私は、彼女から知恵と記憶を奪う代わりに、罪悪感と苦しみに満ちた心を救い、無垢なるものとして、残りの人生を過ごす権利を与えたのだ』」


 残りの人生を過ごす権利を与えた、か。

 まるで、神様気取りだな。


「でも、これで良かったのかもしれません。僕がどれだけ説得しても、ソゥラさんの心を救うことは、できそうにありませんでした。あのままだったら、ソゥラさんは、一生良心の呵責に苦しんだことでしょう。……見てください、この無垢な笑顔を。この微笑みこそが、『救い』そのものなのかもしれないと、僕は思うんです」


 言われて、ソゥラの顔を覗き込む。

 確かに、可愛らしい、優しい笑顔だ。

 大人びていて、どこか陰のあった面影は、もうまったくない。

 俺は、静かに口を開く。


「……かもな。さて、いつまでもここにいても仕方がない。ウーフの集落に戻ろうか。しかし、どうしようか。ソゥラのことや、ピジャンのこと、彼にどう説明すべきかな」


「それなんですが。ピジャンが死んだ以上、もうスーリアの人々が傷つけられることはないでしょうし、ウーフさんには、ピジャンが大トカゲやソゥラさんに指示を出していたことは、言わなくていいと思うんです。あまりにも、衝撃が大きすぎますから」


「えぇっ、でも、ピジャンは身勝手で悪い神様だったって、教えてやった方が良くない?」


 レニエルは首を左右に振る。


「知らない方が、いいこともありますよ。何も知らなければ、これからもピジャンという存在は、慈愛溢れる神様として、スーリアの人々の心のよりどころになるでしょう。多くの人がハリボテドラゴンに怯えている今、無用に真実を伝え、人々を混乱させることは、良いことだとは思えません」


「ふーん、そういうもんかね。まあ、お前がそう言うなら、それでいいよ。でも、幼児同然になっちゃったソゥラのことは、どう説明する?」


「そのことなんですが、ルミオラが、一番最後に言ったんです。『ソゥラに関わる、すべての者の精神を私は整えた。懸念は必要ない』って」


「精神を整えた? なんじゃそりゃ?」


「よくはわかりませんが、懸念が不要ということは、今の状況を丁寧に説明すれば、分かってくれるという意味ではないでしょうか?」


「うぅん……そればっかりは、実際に話してみないとわからんよな。まあ、悩んでてもしゃーないし、帰ろう。ほら、ソゥラちゃん、行こうか」


「あー、うー」


 俺とレニエルは、ソゥラを真ん中に挟むようにして、手を繋いで、湿地帯を歩いて行った。

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