第92話 私に惚れ直してくれ

 速い。

 風のように軽やかな動きだ。

 豪奢で重そうな甲冑をまとっているのに、短距離走のスプリンター並みのスタートダッシュである。


 これには大トカゲも驚いたようで、「キェッ!?」と短い警戒音を口から発する。……そして、それが奴の断末魔となった。


 イングリッドが大トカゲの正面に立った時、すでに剣は振り下ろされていた。


 一刀両断。

 2メートルの大トカゲは、綺麗に1メートル&1メートルの肉隗となった。


 荒れ狂う激流を思わせる破壊力と、針の穴を通すような精密な狙い。

 まさしく、聖なる騎士の名に恥じない、見事な剣撃だった。

 まあ、本人曰く、聖騎士はやめたらしいが。


 イングリッドは、汗一つかかず、こちらを振り返る。


「どうだ。惚れ直してくれたか?」

「だから、別に最初から惚れてないってば……」

「ふふふ、ツンデレというやつだな。わかるぞ」


 ツンデレではないが、実際、素晴らしい剣さばきに、若干心がときめいたのは事実だ。しかしそれを正直に言うのは少々癪だったので、集落の中央に視線を逸らせる。


 どうやら、大熊と大トカゲの戦いもクライマックスのようだ。

 お互いに疲れてきているのか、動きが鈍っている。恐らく、次の一撃で勝負が決まるだろう。


 先に動いたのは、大トカゲだ。

 先程俺にしたように、口をがばりと開いて、圧縮された水の大砲を、大熊の頭に向けて勢いよく発射する。


 いかに頑強な熊でも、至近距離であの水の砲弾を頭部に食らえば、ただでは済まない。どう防ぐのか見ものだ。


 巨体を揺すってかわすのか、それとも腕を上げてガードするのか。


 そのどちらも、大熊はしなかった。

 自ら水の砲弾に向かって行くように突進し、当然の帰結として、砲弾は大熊の頭部を直撃する。


 馬鹿な。

 自殺行為だ。

 大熊の頭は、砲弾が炸裂した勢いでちぎれ飛び、天高く舞った。


 ……いや、待て待て。

 いくら水の砲弾が強力とはいえ、熊の太い首を切り離すほどの威力があるとは思えない。


 そんな威力があれば、さっき俺が攻撃を食らったとき、精霊の服でダメージをやわらげたとしても、致命的な重傷を負っているはずだ。


 俺は、目を皿のようにして、いまだ宙を舞っている大熊の頭を見る。

 よく観察すると、血肉のようなものがまったく飛んでいない。


 そこで、気がついた。

 これは、兜だ。

 熊の頭部を、剥製はくせいのように外側に取り付けた、鋼鉄製の兜だ。


 ガラン、ゴロゴロ……

 熊の兜が地面に転がるのとほぼ同時に、何かが潰れる嫌な音がした。


 音の方向に、目をやる。

 大熊の胴体から伸ばされた、丸太のようなたくましい腕、その先端の拳が、大トカゲの頭を打ち砕いていた。


 大トカゲは、悲鳴を上げる暇もなく、そのまま地面に崩れ落ちる。

 凛とした強い意思を込めた声で、大熊は言った。


「邪悪竜の眷属め。私がいる限り、この集落をお前たちに蹂躙させたりはしないぞ」


 それは、思っていたよりずっと若い、青年の声だった。

 改めて、大熊の(いや、もう彼が本当の熊ではないとは分かっているが)姿をよく見る。


 よく日に焼けた肌をした、黒く短い髪の、原住民の青年だ。

 熊の兜と同じく、体にも熊の毛皮を縫い付けた鎧を身に着けており、それで熊に見えたのだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る