ジョージ

小山雪哉

第1話

 拓士たくじは街道沿いを煌々と明滅するLEDに目を伏せながら、駅の方へ歩いていた。午後九時というのに人々の足並みはたかぶっている。戛戛かつかつと家路を急ぐ革靴、大きな足に挟まれて小躍りする運動靴、隣と付かず離れずの間合いを保つ新品のブーツ――それらに囲まれた草臥くたびれたスニーカーはあまりに場違いで、拓士は無意識に歩道の脇へ脇へと歩みを寄せた。


 大学一年目、明日から冬期休暇という日の夜。拓士は最後の授業が終わると、駅までシャトルバスで二十分の距離を、二時間かけて歩いてきた。

 クリスマスだった。毎夜見慣れたせいで、もはや有難みの薄れたイルミネーションに照らされながらも、道行く誰もが今日だけは幸せであろうと躍起になっている、そんな気がした。


 長い赤信号に焦れる人々を横目に、拓士はただ、自分の吐息が白く膨らむのを見つめる。

 信号が変わり、流れに押されて横断歩道を渡り切ると、駅の東口が見えた。今しがたロータリーに停まったバスから乗客が吐き出されてくる。歩道の人波と縺れ合いながら駅舎へと流れていく後ろ姿を見ながら、拓士はバス停手前の階段を登り始めた。

 ご丁寧に手摺子の一本一本にまで巻き付けられた青白い豆電球を辿ると、広々としたペデストリアンデッキに着く。駅の二階と両側の百貨店への連絡通路であるT字のデッキは、街中にもまして色とりどりの光で埋め尽くされていた。


 拓士は背負ったリュックと、左肩にかけたギターケースの太いベルトを掛け直し、右前方――デッキの中央に視線を遣る。

「……先、越されちまったか」

 呟きながら高欄こうらんに沿って数歩進み、地べたに荷物を下ろした。

 デッキ中央には、シンボルの常緑樹を中心に、背凭れのない円形のウッドベンチが設置されている。そのベンチの、駅とは正反対の席が、路上ライブにうってつけの場所だった。前には多少観客が集まれる空間がある。その奥には旧宿場町を示す石碑があるだけで、人通りは極めて少ない。にも関わらず駅の灯りは十分届き、両サイドにそびえる百貨店帰りの客も見込める。これまで咎められたという話は聞いたことがないから、最初からそういう用途を想定して造られたのかもしれなかった。

 深夜まで居座るつもりだろうか、今夜の場所取りに成功した男は、フードとマフラーをヒマラヤ登山のごとく厳重に被り、膝の上にアコギを置いてチューニングしていた。

(帰るか……)

 先客がいれば邪魔をしない、というのが暗黙の了解だった。誰がどこで演奏しようが自由だとか、下手な方が淘汰されるのは当然だという反論を持ち出す者もいたが、拓士は単純に、音が混ざるのが苦手だった。

 それに、拓士はライブをするつもりなどなかった。人前で演奏するのはサークル内、それも観客のいない内輪の集まりでだけ。駅前で見知らぬ人間を相手に演奏するなど、考えるだけでも顔から火が出そうになってしょうがない。それなのに、この場所に来て、先客がいたことを落胆した自分が、とても不思議だった。


 拓士は回れ右をして、背後の柵に両腕を組んで乗っけた。眼下のロータリーには、車がひっきりなしに入ってくる。市営バス、タクシー、迎えの乗用車――赤い尾を引いて円弧を描く単調な光景をぼんやり俯瞰していると、後ろから濁声だみごえが掛けられた。

「よう兄ちゃん、何か歌ってくれよ」

 スーツを着た中年の男だった。緩んだネクタイ、第二ボタンまで開いたシャツ、顔の赤らみからすると既に一杯呑んできたのは決定的だ。ふらりとよろけた身体を、部下と思しき青年が横から支えていた。

「申し訳ないです。今夜は歌いません」

 酔っぱらいは調子に乗ると面倒だ。丁重かつ簡潔に断ると、連れの青年が申し訳なさげに苦笑する。

「いきなり済みません。駅前で歌でもやってるかなと連れてきたのは僕なんです。僕も音楽をやっていたものですから」そう言って足元のケースを見る。「ギターを弾かれるんですね」

「……いや、弾きません」

 青年は少々怪訝な顔をして、

「それは、お兄さんのギター……ですよね?」

「……下手なんです」

 だから弾きません、と拓士はぶっきらぼうに言い放つと、また後ろに向き直る。上司の非礼を取り繕おうとする彼の気持ちは分かるが、今は詮索されたくなかった。

 その態度はなんだぁ、と突っかかりかけた上司を抑え、青年は拓士の背に声を掛ける。

「また出会えたら良いですね。風邪ひかないように……」

 穏やかな声で気遣う彼に、拓士は背を向けたまま軽く頭を下げた。


 十分もそうしていただろうか。不意に風が強くなって、悴んだ鼻先に鋭い痛みが走ったとき、背後からギターのストロークが聞こえた。「ラスト・クリスマス」だ、と直感して振り返る。果たして続いたイントロは、確かにワム!の名曲だった。

 ――クリスマスは独りでいる方が安心するよ。

 唐突に、脳裏を懐かしい声が過る。

 ゆったりと弾かれるイントロを聴きながら、拓士は地べたに座り込んだ。

(悠と話したのは、ちょうど今頃か)

 去年の今頃、悠はアメリカへ戻ることを拓士に伝えた。正確には迷っているということを。

 ――英名イングリッシュネームがあればいいな。

 冗談半分でそんな会話をしていたことを思い出す。悠は「You」と混同されることを嫌っていた。そして「ジョージ」はどうだろうと提案した。悠はワム!のボーカル、ジョージ・マイケルが好きだった。

 ――また会えるかは分からない。

 そう言って、駅の明かりに吸い込まれていった悠の後ろ姿を、今でも思い出す。


 アンプも繋がず歌も歌わず、ギターの乾いた音色だけが寒風に運ばれてくる。

(クリスマスに独りでいるなんて寂しいだけだ)

 そう思いながら、拓士は膝を抱いて俯いた。

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