王太子殿下が心配で

ケインバッハは、至極真面目に悩んでいた。


『コクレバ』とは何のことだろう?


あの時、確かにライナスは言った。

『ハヤクコクレバイイノニ』と。


『ハヤク』は、きっと『早く』で。

『イイノニ』は、そのまま『いいのに』だろう。


では『コクレバ』とは一体何のことだ?

文章のつながり方からして恐らく動詞、ならば原形は『コクル』であろう。


だが、そんな動詞は聞いた事もないし、辞書を開いても見つからない。

一体、どんな意味の言葉なのだろう。


もし、それがレオンの悩みを解決するのであれば、一刻も早く対応しなければならない。


仕方ない、と恥を忍んでライナスに教えを請いに行ったのだが、何故か「まぁ、しばらくは見守るって事でいいんじゃないの」とはぐらかされてしまった。


見守るとはどういうことだ。

そんな流暢に構えていていい筈がなかろう。


レオンはあんなに参ってしまっているというのに。


だが教えてもらえないものは仕方ない。

次に父の下に行った。


「あー、うんうん。まぁ、おいおいってとこでしょ。何とかなる筈だから心配いらないよ」


・・・意味が分からなかった。



「どうかしたか? 先ほどから難しい顔をしているが」


思案しているところを、アイスケルヒが心配して声をかけてくれた。


そうだ、アイスケルヒだ。

彼なら答えを知っているに違いない。


選り抜きの文官だし、語学の才に秀でていることで有名だ。

知らない言葉なんてないだろう。


だが、期待とは裏腹に、彼は答えを提示してはくれなかった。


ただ「当事者でないと如何ともしがたい」とだけ。


あとは「時が解決する」と言い残して去って行ったが、レオンがあれだけ焦燥しきっているというのに、本当にそれでいいのだろうか。


それにしても、皆は何故その言葉の意味を教えてくれないのだろうか。


ベルフェルトに至っては、「お前という男は、頭がいいのか悪いのか分からないな」などと意地の悪い笑顔で揶揄われてしまった。


それでも、教えてもらえたのなら揶揄われた甲斐もあるというものだが、結局は「まぁ、どうせそのうち落ち着くのだから放っとけばいいのだ」と言い捨てられた。


・・・捻くれた物言いはしても、実は親切な男だと信じていたのに。


手詰まりだ。


これはどうしたらいいのか。


仕方ない。

知識不足を露呈するのは恥ずかしかったが、最後の手段としてエレアーナに聞いてみた。


「コクレバ、ですか? わたくしも初めて耳にしますね。一体、何のことでしょう」


エレアーナは知らないようだった。

そのことに少し安堵を覚えたのは内緒だ。


皆が知っているのに自分だけ知らないというのは、とてつもなく無能な気がして少々悲しかったりもしたのだ。

エレアーナほどの才女が知らない事であれば、俺が知らなくとも仕方がないと思うことが出来る。


「コクレバ、コクレバ・・・。うーん、分からないですね。何でしょうか?」


ああ、それにしても、首をこてん、と傾げて思案する様子はとても可愛らしい。


思わず手を伸ばしてその髪を一掬い手に取り、唇に押し当てる。


「ケ、ケインさま・・・?」

「ああ、すまない。少しだけ、このままでいてくれないか」

「は・・・はい・・・」


真っ赤になって俯く姿が、また愛おしくて。


普段は完璧な淑女のエレアーナが、俺の前でだけ見せるその照れた顔。

真っ赤な頬。

少し潤んだ瞳。


「あ、あの・・・ケインさま。わたくし、機会を見つけてアリエラさまたちにも伺ってみますわ」

「ああ、頼む」


銀の絹糸のような柔らかさを指と唇で楽しみながら、言葉を返す。


エレアーナ。

俺を幸せにしてくれた碧の瞳の妖精。


ああ、君は本当に・・・。


・・・いやいやいや、待て待て待て。

何をやっているんだ、俺は。


危うく本道から逸れてしまうところだった。


俺だけが幸せというのは駄目なのだ。


俺はレオンに恩を受けた。

レオンの幸せのために奔走しなければならない。


いや、そうすべき人間だ。


社交という世界には、色目を使ったり、出会い頭にぶつかってくるような令嬢ばかりがいるわけではない。

可憐で、清楚で、素晴らしく魅力的な令嬢もいる。


たとえば、エレアーナのように。

たとえば、アリエラ嬢のように。

そう、たとえば、カトリアナ嬢のように。


・・・シュリエラ嬢は、レオンの方にトラウマが残ってるようではあるが、今は大丈夫なグループに入れていいと思う。


・・・ん?


何だ? 俺は今なにか重要なことに気づいたような・・・。




◇◇◇




「・・・というわけですの。皆さま、コクレバ、という言葉の意味をご存知の方はいらっしゃいませんか?」

「・・・」

「・・・」

「・・・」

「・・・皆さま?」


予期せぬタイミングで振ってきた沈黙という名の静寂。

それぞれに視線を走らせると、なんだか皆、微妙な表情をしている。


温い目、俯いた顔、興味深そうに瞬く瞳・・・本当にそれぞれだ。


「・・・皆さま、もしかして意味をご存知なのでしょうか?」


あら、いけない。


嬉しくて思わず声を弾ませてしまった。


はしたなかったけど、今日は親しいお友だちばかりのお茶会だから大丈夫よね。


あら? でも・・・。


「シュリエラさま?」

「ええと、わたくし・・・。ええ、そうですね、わたくしは・・・(なんと説明したらいいのか)よくわかりませんわ」

「・・・アリエラさま?」

「はい? ああ、ええと、そうですね。うん、わたくしも・・・(その言葉を上手く婉曲に説明する方法を)知らないですわ」

「カトリアナさま・・・って。え? どうなさったんですか? お顔が真っ赤ですわ! お熱でもあるのではないですか? 大変、もしやお風邪でも召されましたか?」

「は、はい・・・。あ、いえ、そうではなく・・・。わ、わたくしは何ともありませんわ」


とてもお顔が赤いのに、何でもないとおっしゃる姿がとても心配で。


「少し横になってお休みになりませんか?」


そう提案したけれど。

「いえいえいえいえ」と全力で遠慮されてしまった。


でも、あんなに赤くなっていらっしゃるのに。

カトリアナさま、大丈夫なのかしら。


王太子殿下のことも気がかりだけれど、カトリアナさまの体調まで心配になってしまったわ。

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