宰相の一人息子の胸の内
これは夢かもしれない。
これまで何度も何度も、そう思った。
そして、覚めた時には、俺はきっと絶望して泣くのだろうと。
エレアーナ嬢に告白する機会を与えられた時。
彼女が頰を染めて、やきもちを焼いたのだ、と呟いた時。
俺を慕っていると言ってくれた時。
賢者くずれを捕らえた後、生きてそこにいる彼女を見た時。
俺の差し伸べた手に、彼女のそれを重ねてくれた時。
そして、婚約の申し込みを承諾してくれた時。
夢ならどうか覚めないでくれ、と。
願い続けて。
そしてその願いは今も叶っていて。
まだ俺は夢の中にいる。
目の前で微笑む彼女は、その瞳の色と同じ美しい碧のドレスを纏い、身を飾る同色の宝石とドレスを飾る銀糸の刺繍とが、広間の光をきらきらと反射して。
光を纏って踊る妖精のようだ。
「ケインさま?」
ファーストダンスを踊りながら、エレアーナが首を少しだけ傾げる。
見惚れていたのに、気づかれたようだ。
「・・・君はダンスも上手だな」
「ふふ、ケインさまこそ。ちょっと意外でしたわ、こんなにお上手だなんて」
彼女は悪戯っぽく笑う。
ターンをするたびにふわりと広がるエレアーナのドレスと、美しく輝きながら揺れ動く銀色の髪。
あまりに幻想的で、彼女のいる空間だけ時間が止まったような気さえしてしまう。
・・・レオン。
この幸せを、俺が得る事を許してくれた大事な友人。
同じくらい、彼女を大切に思ってくれた、俺の主君。
君は今、眼を細めて、俺たちの踊る姿を見てくれているのだろう。
きっと、令嬢たちから避難して、どこかのバルコニーにでも隠れたままで。
今もまだ、エレアーナを映すその眼に、少しの切なさが滲んでいることは知っている。
なのに、これまでと変わらず、俺に優しく笑いかけてくれていることも分かっている。
申し訳なさという言葉とは少し違う、感謝という言葉だけでは表しきれない、この複雑に入り組んだ感情は、きっと生涯にわたって君に告げることはないであろうもので。
そして、それはきっと、俺だけではなく、エレアーナも持っているもので。
この先も永遠に、俺たち二人は、この感情を大事に抱えながら生きていくのだろう。
きっとそれは、払わなければならない代償なのだから。
何の制約もなしにその腕に抱けた筈の彼女を敢えて自由にしてくれた君へ、俺たちはそれくらいしか返すことが出来ないから。
だからせめて、今のこの幸せが、この目も眩むような陶酔感が、君が傷を負いながらも開いてくれた道の上にあることを、俺たちは決して忘れたりはしない。
君がその手でもたらしてくれたこの幸せを、決して疎かにはしない。
そう改めて、心に誓う。
曲が終わる数秒前、ドレスをふわりと翻して軽やかにターンを決めたエレアーナに、会場が沸く。
たった数分間のファーストダンス、エレアーナのデビュタントは、こうして拍手と歓声と共に始まった。
「疲れてはいないか?」
「大丈夫ですわ。ケインさまと踊れて、とても楽しゅうございました。ありがとうございます」
飲み物を手に、体の熱を冷まそうと夜風を求めてバルコニーへと向かう。
レオンハルトもすぐに見つかった。
あちらも俺たちが現れるのを予想していたようで、驚きもせずに迎えてくれた。
「とても素敵だったよ。エレアーナ嬢はダンスも上手なんだね。皆の注目の的だったじゃないか」
「お褒めいただき恐縮です、殿下。ケインさまの巧みなリードのおかげで、なんとかステップを間違えずに最後まで踊れましたわ」
「ああ、ケインも見事なものだったよ。そういえばさ、ケインとはかなり長い付き合いなのに、誰かと踊るのを見るのは初めてなんだよね」
「まぁ、そうなのですか?」
「うん、これまではずっと、僕と一緒にバルコニーに避難してたんだよ」
「ああ、そうだったな」
二人は、懐かしそうに笑いあった。
と、その時、広間の方から歓声が上がった。
「なんでしょう?」
まだ夜会に不慣れなエレアーナが、怪訝な表情を浮かべていると、レオンハルトがグラスを傾けながら会場にちらりと視線を送る。
「ああ、陛下がいらっしゃったんだよ。僕たちも挨拶に行かないとね。エレアーナ嬢は、陛下とお会いするのは初めてかな?」
「はい」
「きっと陛下も君に会えるのを楽しみにしてる筈だ。とても優しい方だから、緊張しないで、いつも通りに挨拶すればいいよ」
「では、エレアーナ嬢。俺たちも行こうか」
「はい」
ケインバッハの差し出した手に、エレアーナはそっと自分の手を重ねる。
レオンと同じ金色の髪に紫の瞳のシャールベルムは、威厳がありながらも、物柔らかな雰囲気をまとっていて、今日がデビュタントの者たちにも、優しく声をかけていた。
それは勿論、エレアーナにも。
恭しく頭を下げて臣下の礼を取るエレアーナに、シャールベルムは「ようやく会えたな」と目を細める。
「ケインバッハと婚約したそうだな。めでたいことだ」
「ありがとうございます」
「私には娘がおらぬゆえ、こういう時の父親の気持ちというものは分からないのだがな。ルシウスは喜んでおったか、それともがっかりしておったか、さてどっちだった?」
苦笑して、互いの顔を見合って。
それからケインバッハが口を開いた。
「殴られることはありませんでしたが、手放しで喜んでもらえた訳でもありませんでした。相手が自分だったことに、がっかりされていないことを祈るばかりです」
その答えに、シャールベルムが、くくっと笑う。
「そうかそうか、真実はわからぬか。まぁ、親というものは、いざ子どもの事となると欲が出るからな。どれだけ良い相手でも、手放しでは喜べぬのだろう」
一旦言葉を切り、レオンハルトの方に目を向けてから、言葉を継いだ。
「王太子もいずれは、どこかの令嬢をかっさらう身だ。それまで大事に育ててきた娘を、親の手から奪うことになるのだ。せめて、この相手ならば幸せにしてもらえる、と思ってもらえる程の男にならねばな」
「・・・承知しております」
少し気まずそうに、父の言葉に答えて。
そんな息子の反応が面白いのか、王の笑みが更に深まる。
「ケインバッハもだ。ブライトン家の掌中の珠を手にするのだから、せいぜい大事にするのだぞ」
はは、と笑いながら、そう告げられて、二人の顔はちょっとだけ赤くなった。
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