最後の、

 在るはずのないDay6。

 隙間風の差し込んだカーテンの隙間から、白い光が入ってくるのに気付いて瞼を開ける。

 涙が絶え間なく流れ出て、ズキズキと頭が痛んだ。熱い喉の奥には、苦い後悔。

 隣に横たわる春人は、未だ睫毛を濡らしたまま眠っていた。


 身を起こし、事実を確認しようと『メティス』の本体を取り出す。

 タイムリミットは既に過ぎてしまった。

 そう理解していて、罪の意識と絶え間ない後悔に胸が押しつぶされそうなのに、それを確認しなければ気が済まない。私の科学者としての気質だった。


 端末は立体映像であるから、遮るものさえなければどこででも展開できる。

 もう春人に全て打ち明けてしまったから、見られても問題はなかった。

 私は時折カーテンが揺れる窓際にモニターと入力端子だけを展開する。そして、『メティス』のスリープを解いて、データを確認する。

 起動を始めた『メティス』がモニターに映し出す情報を、震えそうな思いで見つめた。


 ―――――『メッセージ+チャージ』


 そこには、受診履歴が残っていた。ただ一言。

『守る』と。

 そして、『メティス』の1日分程のエネルギーが、補給されていた。


 私は、一度息が止まった。余りにも、あり得ないことだった。

 ジャンザリだ。彼が、これを用意した。


 千年離れた場所に、これほどのエネルギー供給なんて、どうやったのか予想もつかない。私はそんな手段まで用意していなかった。

『メティス』の消費エネルギーは莫大だった。

 私がこのタイムマシンを開発して数か月、その間ずっと出来うる限りのエネルギーを収集、蓄積して5日間がやっとだったのだ。

 それを、この5日間で、あと1日分追加なんて。それも、供給手段を開発して、実行するだなんて。

 どんな事をすれば、そんな魔法みたいな事が出来るのだろう。それくらい非常識であり得ない事だった。

 天方家のマザーは今頃ダウンしているのではないだろうか。

『守る』

 そう、ジャンザリは、私を守るために、手を尽くして最後のチャンスをくれた。



 今なら。

 そう、今なら、春人の寝顔にお別れができる。


 私はタイムマシンを起動した。



 窓辺に現れる、不自然な青を帯びた光の立体映像。ここに来るときに潜ってきた扉。

 そこにゆっくりとエネルギーは蓄積し、強い光を帯びていく。

 この扉を潜って、ここに来た。来たときは、何も怖くなかった。

 希望と、期待と、高揚と。止まれない想いでいっぱいだったのだ。

 そして今は、無くしたくないものばかり抱えて、失う事を恐れている。

 大事だからだ。

 この想いくらいは、永遠に。事実として私が持っていたい。

 無かった事になんかしたくなかった。

 だから、帰るのだ。

 失わせなんてしない。



 順調にエネルギーを重鎮させていたタイムマシンが、不意に警告の点滅を見せる。

「エラー:座標確認中」

 小さな警告音と共に、『メティス』が冷静な人の声で告げる。


 座標?

 そう、到着した座標は予定より2m上空。

 つまり、帰還は2m下となるのか。

 私は自分の管理の怠慢さに声も出なかった。

 天方家の研究室の2m下は、分厚い防護壁だ。シェルターになるほどの、強固な素材の壁なのだ。

 その中に現れたなら、私は化石のようにそれの一部になって終了だろう。


 私はタイムマシンを苦々しく見つめる。

 エネルギーが足りない。現状をキャンセルしての再起動。どうあっても足りない。

 私が現実に向き合わず、期限を超過した上にメンテナンスを怠った結果だった。


 その横で、急激に『メティス』が複雑な演算を初めて、そして画面を落とした。

「再計算中」

 再び最低限のアナウンスが響く。


 ほんの一本だけ残された、細い細い神経のような情報端子を辿って、ジャンザリが手を加えている。

『メティス』に残された必要最小限のエネルギーを、なんとか維持しようと。

 ジャンザリの声が聞こえた気がした。

 そう、天方ノゼリーナは、まだここで終われないのだ。



「ノゼちゃん、行ってしまうんだね」

 枯れた声が聞こえて振り返る。

 瞼を重そうに持ち上げた春人が隣にいて、私の腕を掴んでいた。

「ごめんね、わがままばかり言った」

 少し困ったような眉尻が下がった笑みを浮かべて、春人が私を見つめる。

 その瞳は、まだ濡れたままだった。

 私も不格好に笑う。

 言いたいことはたくさんあるのに、何一つ言葉にならない。


 掴まれた手が、ぐっと両手で包まれた。

「ノゼちゃん、絶対に、僕は君に会いにいくよ」

 包んだ手を額に当てて、祈るように春人が言葉を紡ぐ。

「こんな奇跡で出会ったんだから、きっとまた会える。絶対に君に会いに行く」

 顔を上げた春人は、柔らかい笑みで、強く輝く瞳で、そう言った。



「―――完了。修正確率低下。エネルギー水準以下。」

 光を落としたままの『メティス』が、簡素に告げる。

 何とか、飛べる。だけどやはりエネルギーは足りないようだ。

 100%帰れるとも言い切れない。だが、それも仕方ない。

 これが今できる最大限なのだ。そうでなければ、ここまでやってのけたジャンザリが中断しない訳がないのだから。


「ありがとう、春人。ずっと、待ってる」

 私は、心の底から笑った。私の全てを、春人が覚えていてくれるように。

 命を懸けた恋だとか、春人の大好きな物語のようでしょう?



 そうして、私が作った時を超える扉を潜った。

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