第23話 感謝
異次元のスピードで一息に三塁を陥れた柳田の走塁を見て、球場に詰め寄せた高校野球ファンは熱狂する。
そんな観客達の熱狂を受けて恍惚の表情を浮かべながら、柳田は自分の後を打つ4番打者に向けてビシッと指を差すのであった。
「つーわけでキャプテン! 俺の神走塁が生きるバッティング、オナシャス!」
「………………まかせろ」
『4番、ファースト、原田クン』
神奈川最強のスラッガー、
先ほどの柳田が見せた走塁と合わせて観客の熱狂は完全に蒙光サイドに寄っており、経験豊富な朱護学園ナインもこれにはたまらず浮き足立つ。
……ただ1人、ダイヤモンドの中心に立つエースを除いて。
「……今日は体も心も、ビックリするほど軽い……野球を純粋に楽しむには最高のコンディションだぜ」
野球を楽しむ。それを信条にしているエース鈴本は、どんなピンチの最中だろうと、どんな強打者相手だろうと、決してその笑顔を絶やさない。
「……フハハ! いいぞ鈴本! それでこそ俺の好敵手だ!」
(……なんでこの状況で笑えるんだ、この人達……俺みたいな凡人には着いていけない世界に、この人達は住んでいるんだろうなぁ……)
元ボーイズナンバー1キャッチャーである清水をもってして自分を凡人と自虐したくなるほどの、エースと4番のやり取り。それは1度目の対戦から長く続き、その勝負は7球目を迎えていた。
(……やっぱスゲェな、鈴本さん。今日はストレートも変化球もキレキレだったけど、原田さんを相手にして更にワンランク上のボールを投げている気がする……もしかしたら、はじめての150kmもここで出るかも……)
「タイム」
その時、突然原田がタイムをとって打席を外す。1度気合いを入れ直してくるのかと、清水はそう警戒していたのだが……彼は、原田の目から流れているものを見て驚愕してしまった。
(……ハァ!? いやいや、まだ1回の裏だぞ!? なんでこの人早くも感極まって泣いてるの!?)
(始まったよ。ウチの大将の変人ムーブ)
(俺が唯一、敵と気持ちを通わせるのがこの瞬間だぜ)
朱護学園ナインはもちろん、味方である柳田や万谷にも引かれながら原田は泣いていた。なぜ彼は泣くのか? それは彼が、好投手との対戦を通じて自分が野球を出来ている喜びを実感しているからだ。
(……今この舞台に立てていることに感謝……鈴本のような素晴らしい投手と対戦出来ることに感謝……俺に野球をさせてくれている両親に感謝……俺をここまで成長させてくれた、学校に感謝……俺という人間を作ってくれた、17年の人生で出会った全ての人間に、感謝を込めて!)
原田は涙を拭いて、鈴本がインコースに投げ込んだ150kmのストレートに反応する。腕をたたみ、遠心力を使ってバットをしならせ、下半身と上半身の力をシンクロさせることで生み出した異次元のパワーは……重い重いボールを、軽く場外まで運んでみせた。
「……これが感謝の力よ」
「……笑うぜ、ホントに」
『入ったあぁ~!!! 横浜蒙光高校4番原田、場外への特大、逆転ツーランホームラン! 3番、4番の力であっという間に試合をひっくり返してしまいました!!!』
普通のホームランと場外ホームランでは、観客へと与えるインパクトの強さが違う。
普通のホームランと逆転ホームランでは、受けた方に与えるダメージが違う。
その2つが合わさり、まだ初回でありながら球場の色は武骨な白と黒の蒙光カラーに染められていた。
「ゴラァテメェ! 俺の走塁を生かすバッティングしろって言っただろ! ホームランじゃ俺の走塁関係ないやんけ!」
「ハッハハ、すまんすまん。俺も打つ以上はホームランを打ちたいのでな」
4番の1発に盛り上がる蒙光ベンチに対し、朱護学園ナインは早くも見える世界が味気ないモノクロに変わってしまいそうになる。
……が、そんな世界に朱護学園カラーであるえんじ色を差し込んだのは、やはりこのエースだった。
「……すまん! 早速逆転されちまった!」
「……鈴本……」
「やっぱエグいな、蒙光! 三杉学舎の中谷みたいな化け物が9人並んでるとか頭おかしいわ! マウンド立ってみろ、笑っちまうぜ!?」
「……お前が笑ってんのはいつものことだろ、野球狂。よくそんなに笑えるもんだなぁ……」
「笑えるだろ。だって……野球は楽しいことだらけなんだからさ」
鈴本は思い出す。夏の予選決勝、自分が打たれたホームランで先輩の夏を終わらせた瞬間を。その時だけは、野球をしていても笑えなかった。試合が終わってもしばらくは、黙って落ち込むか声をあげて泣くかしか出来なかった。
そんな時、先輩に言われた言葉がある。笑え、野球を楽しめ。泣いて野球をするより、笑って野球をする方が楽しいに決まっているだろうと。
(……どうせやるんなら、楽しくやろうぜ。所詮これは部活なんだからよ)
「まずは逆転しようぜ。蒙光のベンチ見てみろよ……試合をひっくり返すってのは、あんなに楽しいんだぜ」
そう言って能天気に笑う鈴本を見て、船曳が、守が、清水が、同じように笑っていた。
「……そうだな。まだ1回だ。逆転するチャンスはいくらでもある」
「逆転する確率を高めるためにも、まずはこれ以上点をとられないようにしなきゃいけませんね」
「よっしゃ! じゃあ俺に全部打たせろ! そうすりゃこれ以上の失点は防いでやる!」
「おっ。頼もしいねぇ、守備大将。……大将に限らず、頼りにしてるぜ、お前ら」
エースはそう言い残して、再び孤独なマウンドへと戻っていった。
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