第11話 名馬、グラウンドを駆ける

 左打席に戻ってきた守の目は、ギラついていた。さっまでとは少し違う、野心に溢れた目……それまでは目の前のエサに食いついていただけの馬が、遥か先に待つ有馬記念のゴールを目指すようになっていた。


「ボール!」


 3球目、守は高めの釣り球に引っかかることなくしっかりと見送った。

 この時甘いニンジンを無視し、考え無しの全力疾走をやめるようになった無名の雑種への中谷の見方が、ほんの僅かに変化した。


 4球目、きわどいコースだったが、見極めてボール。

 5球目、インコースのストレートに食らいついてファール。

 6球目、外のボールに辛うじてバットを当ててファール。

 7球目、スライダーで三振を奪いにいったが、バットは動かずボール。

 8球目、チェンジアップに泳がされるが、なんとかファールゾーンにボールを飛ばしてファール。

 9球目、顔に近いインハイのストレートを見逃してボール。


(……ボール球は確実に見逃し、ストライクゾーンのボールはカット……コイツ、急に粘るようになりやがって……)


(これだよ、コレ。俺の本来のバッティングはコレだ。とにかく粘って、食らいついて、ひたすらにチャンスを待って……)


「……ボール、フォア!」


(泥臭く塁に出る!)


「よしっ! ナイッセン! 森内!」


「いいぞ守ー! ナイス繋ぎー!」


(……そうだよ……打てない相手から無理にヒットを狙う必要なんてない。打てないんなら打てないなりに、出来ることはあるだろう!)


 10球粘った守が四球フォアボールを選んだことにより、二死ツーアウトながら満塁。客席が全て埋まり、フィールドのボルテージが最高潮に達した場面で打席に立つのは……朱護学園最速、名馬小久保だ。


「……っし……俺も、打てないなりに何か策を講じなきゃね……」


 ここまでの小久保は第一打席で投手ピッチャーゴロ。第二打席では三振とさっぱりである。

 特に小久保を苦しめているのは、ストレートとチェンジアップの緩急。初球から積極的にガンガン振っていく小久保に対し、三杉学舎バッテリーはチェンジアップを有効に使って小久保のタイミングを外している。


(正直言うと、俺遅いボール苦手なんだよな~……やっぱりバッターってのは、豪速球を弾き返してこそって感じがするじゃん?)


カキーン!


「……ファール!」


(……ま、そんなこと言っといて初球からきたストレートを打ち損じるとは……意識させられてるなぁ、チェンジアップ……)


 小久保は初球のストレートに振り遅れながらも当てるが、打球が飛んでいったのは一塁側のファールゾーン。

 ストレートを待っているはずなのに、チェンジアップを意識させられて振りが遅れる、最も中途半端で打てる見込みのない状況に今の小久保は置かれている。


(……ヤバいな。で、ここでまたストレートに意識が向いちまったところで……)


 2球目はチェンジアップ。小久保は全くタイミングが合わずに空振った。


(……2球で追い込まれる、か……ヤバいな。打てる気がしない。何試合に1度かはある、絶不調の日だ、今日は)


 小久保は味方のベンチを、各ベース上にいるランナーをそれぞれ見る。彼らが自分に向けている信頼をありがたいと思うと同時に、重くも感じる。


(……いや、高々練習試合のプレッシャーを重いなんて言ってちゃ、甲子園の重圧でプレー出来るわけないな。……っし、切り替えろ! 俺は名門朱護学園のレギュラーだ! さっき必死のパッチで出塁した森内を見習え! 俺にだって、打てなくても出来ることがあるだろう!)


 3球目、中谷は打ち取れるという自信満々の顔で、再びチェンジアップを投じた。

 それに対して、小久保が取った構えは……バントである。


(名馬小久保、いっきまーす!!!)


 三塁線、ギリギリへのセーフティバント。切れるかどうかギリギリのラインで三塁手は躊躇するが、投手の中谷は一切の躊躇なくボールへと突っ込み、素手で白球を手に取る。


(……ヤッベェ! アイツ速すぎだろ!)


(まずい! 一塁の小久保は間に合っても……ホームの船曳が間に合わんかもしれん!)


 本塁と三塁を繋ぐライン上に立っている今の中谷にとって、近いのは一塁ではなく本塁である。満塁でのプレーは全てタッチの不要なフォースプレー。そして三塁ランナーの船曳は、決して俊足とは言えない走力の持ち主。


(ホームアウトでチェンジだ!)


(ぬおおぉっ! 間に合え、間に合えぇー!!!)


 必死の思いで、前へ前へと足を運ぶ船曳。よし速く進むため、より強く大地を蹴っ飛ばし、蹴り飛ばされた土は彼の後方に向かって元気よく宙を舞う。


 腰を落としてボールを掴み、その低い体勢のままホームに送球しようとする中谷。そんな彼の目線は、ちょうど船曳の蹴っ飛ばした土が舞う高さと同じ位置にあった。


「土がぁ! 目に入るぅ!!!」


 土に視界を阻害された中谷は思わず悪送球。なんとか捕手がボールを後ろには逸らさなかったものの、その体はホームベースから離れてしまい……


「セーフ、セーフ!!!」


「よっしゃあぁ!!!」


 朱護学園高校、1点を勝ち越す。

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