第211話 託す

 それは戦などではなく、ただの殺し合いだった。

 兵士が妖魔を切り伏せる。すると別の妖魔が背後から兵士に飛び掛かり首を噛み千切る。そこへ駆けつけて来た兵士が妖魔の背に剣を突き立てる。

 止まらない死の連鎖。

 この状況を神が望んだのだとしたら、その神は邪神に違いなかった。


「はぁはぁ……くそッ、キリがねぇ……」


 修介は狂ったように向かってきたゴブリンを斬り伏せたあと、その死体を見下ろして我知らず吐き捨てた。

 疲労は限界に達しており、アレサを握る手の感覚もない。何体の妖魔を斬ったのか、もはや数えてすらいなかった。


「……旦那、ありゃあまずい」


 隣で戦っていたイニアーが肩で息をしながら声を掛けてきた。

 指し示された方を見て、修介はその発言の意図を理解した。

 戦場の中心ではランドルフとデーヴァンが未だにサリス・ダーと死闘を繰り広げている。そこへ一部の妖魔が向かっているのが見えたのだ。

 このまま妖魔がなだれ込めば、いかに彼らと言えどひとたまりもないだろう。

 修介はイニアーに目で合図を送ると、妖魔どもを阻止すべく走り出そうとした。


 その時、視界の端で信じられない出来事が起こった。

 目の前にサリス・ダーがいるにもかかわらず、ランドルフがいきなり手にした剣を明後日の方向に投げたのだ。

 剣が飛んでいった先を見て、修介は「あっ」と声を上げる。

 ランドルフが投げた剣は、離れたところからデーヴァンに向けて魔法を放とうとしていたイリシッドに見事に突き刺さっていた。

 あの激戦のさなか、ランドルフはイリシッドの存在に気付き、それに対処したのだ。とてつもない視野の広さだった。

 だがその結果、彼は武器を失っていた。そしてそれは、デーヴァンとの連携で辛うじて保たれていた均衡が崩れ去ったことを意味していた。


「ガアアアァ!」


 武器を失ったランドルフを見てサリス・ダーは猛然と襲い掛かる。

 デーヴァンがランドルフを庇うようにサリス・ダーの前に躍り出る。

 だが、いくらデーヴァンでも一対一では分が悪い。

 サリス・ダーはデーヴァンの苛烈な攻撃を平然といなし、逆に鋭い鉤爪の一撃で彼の太ももを深々と切り裂いた。

 たまらずに片膝をつくデーヴァン。

 それを見たランドルフが予備の短刀で果敢に攻撃を仕掛けるも、雑に振り回されたサリス・ダーの腕に弾き飛ばされ地面を転がった。

 サリス・ダーは動けぬデーヴァンに止めを刺そうと腕を振り上げた。


「――兄貴ッ!」


 イニアーが叫びながら駆け出した。

 だが、修介はそれよりも早く動いていた。


「うおおおおおッ!」


 修介はサリス・ダーを挑発するように雄叫びを上げながら全力で走る。

 魔法の援護とか実力不足だとか、そんな細かい理屈は頭から消し飛んでいた。

 仲間の危機に動けずして何のための力なのか。

 大切なのは己の分をわきまえ、最善を尽くすことだった。


 修介の存在に気付いたサリス・ダーは振り上げていた腕を下ろし、猛獣のように体勢を低くして一気に跳躍した。

 迫りくる黒色の妖魔の姿に、修介は己が殺される未来を確信した。

 勇気だけではどうすることもできない、生物としての格の違いが存在することを一瞬でわからされた。仮に身体強化の魔法の援護を受けていたとしても、勝機は万に一つもないだろう。


 だがその時、修介の目は同時に二つのものを捉えていた。

 こちらに向かって駆け寄るランドルフの姿と、地面に落ちている盾――


「――アレサ、後は頼んだッ!」


『マスター!?』


 修介はアレサの柄を強く握りしめ、ランドルフに向けて放り投げる。そして滑り込むようにして落ちている盾を拾いあげた。

 サリス・ダーの腕が振り降ろされたのと修介が盾を構えたのは、ほぼ同時だった。

 凄まじい衝撃音と共に盾が砕け散り、修介は残骸ごと吹き飛ばされた。石ころのように二回、三回と地面を跳ね、長い距離を転がったところでようやく止まる。


「――がはっ!?」


 起き上がろうとしたが、身体に力が入らずそのままうつ伏せに倒れる。全身の骨がばらばらになってしまったかのように感覚が失われ、自分が致命傷を負ったのかどうかさえわからなかった。

 だが、そんなことよりも――修介は反射的にアレサの行方を目で追う。

 霞む視界に映ったのは、アレサを手にしたランドルフが敢然とサリス・ダーに立ち向かっていく姿だった。




――――――――――――――――




 目の前で修介が剣を放り投げたの見て、ランドルフは驚愕した。

 あの局面で武器を他人に渡そうなどと誰が考えるだろうか。考えたとして、それを実行に移せる人間が果たしてどれだけいるのか。

 騎士ならば己が使命の為にと、その行動が取れるかもしれない。

 だが、彼は騎士ではない。それどころか一年前まで剣すら握ったことのない、ただの臆病な青年だった。その青年が命の危険を顧みず、勝利の為に剣士にとって命とも言える剣を他人に託したのだ。


 ――ランドルフの心に熱いものが滾る。


(その勇気、たしかに受け取った!)


 ランドルフは放り投げられた剣を掴み取り、一瞬でサリス・ダーとの距離を詰めると、溜め込んだ怒りをすべてぶつけるように全力の一撃を振るった。

 それは雷光のごとき速さだった。

 斬られたサリス・ダーの左腕が血しぶきをあげて宙を舞う。


「ガアアッ!」


 片腕を失いながらもサリス・ダーは振り返りざまに右腕で攻撃を繰り出した。

 ランドルフはその攻撃を刃で受け、滑らせるように軌道を変える。そして相手がバランスを崩したところへ懐に飛び込み、返す剣を叩き込んだ。

 サリス・ダーは苦痛の呻き声を上げながらたたらを踏む。ぱっくりと裂けた傷口からはおびただしい量の血が噴き出していた。


「これは……」


 とてつもない威力を発揮した剣を見て、ランドルフは思わず声を漏らす。

 手にしている剣は間違いなく魔剣だった。

 それもただの魔剣ではない。握っている柄が異様な熱を帯びていた。柄を通して魔剣の激しい怒りが伝わってくるようだった。

 魔剣の中には持ち手の精神に影響を及ぼす物も存在するという。この魔剣にもそういった類の魔力が付与されているのかもしれない。

 だが、この魔剣から感じる怒りの感情は、持ち手に対してではなく、斬るべき対象――サリス・ダーへ向けられているように感じられた。


「いいだろう……お前のその怒り、俺が発散させてやる!」


 ランドルフは再び間合いを詰め、サリス・ダーの真正面に身を躍らせた。咆哮と共に繰り出された拳を上体の動きだけで躱すと、魔剣に導かれるように右腕を斬り飛ばした。

 左腕に続いて右腕も失ったサリス・ダーは悲鳴をあげてのけぞった。

 そこからは一方的だった。

 ランドルフは血まみれになることも厭わず、狂ったように魔剣を振るった。

 烈火のごとき怒りに染まった魔剣が一振りごとにサリス・ダーの命を冷徹に削り取っていく。

 全身を斬り刻まれたサリス・ダーは、苦悶の咆哮を上げながら自らの血で泥濘と化した大地にどうと倒れた。


「……くたばれ」


 唯一残された頭部に向かって、ランドルフは無慈悲に剣を振り降ろした――

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