俺が見た夢

  

 

 翌朝、朝食を終えて一階の店へジュースを買いに行くと、例のピエロ熊を手にした洋子さんがロビーにいた。その視線の先には、夕の病室にあったピアノを運ぶ職員の姿。


 その様子を眺めていることに気がついた洋子さんが俺のもとへ駆け寄ってくる。


「高樹君。こんにちは」

「こんにちは。あのピアノって?」

「ああ、あれね」


 洋子さんの目はよく見ると赤く腫れている。昨日の今日だ。本当ならまだ泣き足りないだろうに、人前だからと自制しているのかもしれない。


「もう必要なくなったからね。でも捨てるのはもったいないでしょう。だから病院に寄付しようと思ったのよ」


 誰かが弾いて、誰かの心が癒せたらなって、と洋子さんは付け加える。まるで、それが彼女の夢であるかのように。


「高樹君はピアノ弾ける?」

「猫踏んじゃったと流行りのJPOPのサビくらいなら」

「じゃあこれわかる?」


 洋子さんは設置されたピアノの蓋を開き、徐に弾き始める。


 どこかで聞いたことがあるような三拍子。


 これは……、夕の夢の中で流れていた、あの遊園地のBGM。切なさと力強さと、そんな印象が与えられる。


 丁寧に演奏する洋子さんの手を眺めていると、


「Goodbye my dreamっていう曲なの」


 大昔、伝染病を患って、叶うことのなかった夢を語りながら安らかに眠った少女がいたそう。しかし少女は最後まで明るく話していたため、三拍子の明るいレクイエムが作られたらしい。


 まさに夕のような少女の曲。


 実は生きていて、あの笑顔でここに現れるのではないかと思ってしまうくらいに明るい。遊園地で聞いた曲と同じ曲とは思えない。


 診察を待つ人たちも洋子さんのピアノに耳を傾け始める。このフロアにはそこその人数がいるが、誰も不機嫌そうな顔はしない。皆静かに耳を澄ませていた。


 俺は夕への鎮魂歌が響く院内で手を合わせた。


 合掌。


 最後まで弾き終えた洋子さんを、男性の声が呼ぶ。


「脇坂さん」


 洋子さんと同時に振り返るとそこには、白衣を来たこの病院の医者が立っていた。随分と若く見えるが貫禄がある。実際の年齢は予想がつかない。


「まあ、先生。どうされました?」

「手続きの準備が整いました。控え室にご案内します」

「わかりましたわ。ありがとうございます」


 洋子さんが去るのを予期し、俺も自室へ戻ろうとすると、彼女に「待って」と呼び止められる。そして、手元に置いてあったピエロ熊を俺に差し出した。


「もらってほしいの、これ」

「え?」


 耳を疑った。だって、これは夕が一番大切にしていたものだ。それを昨日あったばかりの男子高校生にあげるなんて、彼女は何を考えているのだろう。

 

洋子さんの瞳に目を丸くしている俺が写っている。その目が揺れ動き、洋子さんは切なく笑った。


「このぬいぐるみはきっとあなたを助けてくれるはず。夕と高樹君がどこで会っていたのか未だによくわからないけれど、私はなんとなくこの熊ちゃんが不思議な出来事を起こしてくれているんじゃないかと思うわ」


 不思議なことは、ピエロ熊じゃなくて、夢喰いバクなんていう仕事があることではないのか、と思ったがもちろん口にはしない。


 夕の母親の願いなので、貰いたい気持ちは山々だ。しかし、このピエロ熊が俺の持ち物になることで、昨日のようなことがまた起きるのはかなり嫌だ。


「ありがとうございます。でも、これは夕が心から大切にしていたものなんでしょう。母親である洋子さんが持っておくべきです」 


 丁寧に断るが、「でも……」と、洋子さんは食い下がらない。それを見かねた医者は、


「もらってあげたらどうだい」


 と、口元だけを笑わせて言う。


「きっと、その熊には夕ちゃんの力が宿ってる。君の力になるよ」

「俺の何を知ってるんですか」


 洋子さんや医者の雰囲気がピエロ熊に似てきた。それが俺を苛立たせる。


 夢喰いバクのバイトを始めて、初めて後悔する。なんでこんなことを言われなくちゃならないんだ。俺は夢を喰うのが仕事。それなのに、まるで俺が悪夢を見ている側のよう。


 いや、まあ間違っちゃいないか。夢を喰うのが仕事とか言いながらも、事実、少女を一人助けることができなかった。その悔しさがどんどん大きくなる生き地獄。悪夢そのものだ。


 これが夢だったらどれほど嬉しいだろうか。ピエロ熊が言っていた夢がこの現実ならば。いっそのこと、そう思った方が楽かもしれない。


 俺は洋子さんからピエロ熊を受け取る。


 夢の中なのだ。もらってもいいだろうと思った。それに、これを持つことで、少しでも罪滅ぼしになればいい。


「ありがとうございます」

「こちらこそ。それじゃあ、またどこかで会いましょう」


 洋子さんと医者が受付の奥に消えていくのを最後まで見送り、俺は自室へ戻った。


 一先ず、例のぬいぐるみをベッドの隣にあるテーブルに置く。しかし、こう見るとやっぱりいい気分にはならない。


「何してんだ、俺」


 ベッドに横たわり、目を瞑る。まだ、午前十時を過ぎたばかりだと言うのに、眠気がやってきた。

 

 


 目を開くと、そこは中世のお城の応接間のような場所だった。石畳の床の上には赤い絨毯が敷かれ、大きな窓は朱色に染まっている。きっと夕方だ。


 そしてこれは間違いなく【俺の夢】だ。なぜこんな場所の夢を見ているのかはわからないけれど。


 俺が寝ていたソファから体を起こすと、すぐ目の前に木製の扉を見つけた。外に出ようと、その扉を強く引っ張る。


 その瞬間、あの曲が耳の中に入り込んでくる。


「嘘だろ……」


 豪華なメリーゴーランド。電気が切れかけているポップコーンショップ。間違いない。これは夕がいた夢だ。


「どういうことだ?」


 困惑して、どうすればいいのかわからずにいると、俺が出てきた扉が開く。


「とりあえず、僕が案内するよ」


 人間と同じ大きさになっているピエロ熊だった。やはり、ここは夕の夢? 夢喰いバクの薬は飲んでいない。それなのになぜ? しかも夕は既にこの世にはいないはず。だから、そもそも薬を飲んでもここには辿りつけない。

 

ピエロ熊が俺の前で立ち止まる。


「驚くのはすごくわかるよ。だから、ちゃんと説明してくれる人のところへ行こう」

「説明してくれる人?」


 まあ、この意味不明な状況がわかるなら何でもいい。不本意だが、俺はピエロ熊の後をついていくことにした。


 案内された場所は遊園地最深部にある巨大観覧車。いつの間にかスタッフ服に着替えていたピエロ熊が降りてきたゴンドラの扉を開き、俺を押し込む。


「え?」

「それじゃあね」


 ゴンドラの床に倒れた俺を見ながら、力強く扉を閉じる。


 理解できない。なぜ観覧車のゴンドラに閉じ込められなければならないんだ? 


「大丈夫かい」


 顔を上げると、このゴンドラには先客がいたことがわかった。しかも、その人は俺が知っている人物だ。


「確か、今朝会った洋子さんの……」


 白衣ではなく、夢喰いバクが着るタキシードを身にまとった、あの医者が座席に座っていた。というか、なぜそのタキシードを着ている? しかも獏の仮面は付けていない。だが、彼はこう言った。


「君の悪夢を食べに来た」


 顔色一つ変えない。その様子に俺は取り乱してはいけないような感覚になる。


「あなたは一体何者なんですか」


 その問に彼は淡々と答える。


「医者と……夢喰いバクをしているが、元はただの科学者だ。名前は言えない。呼び名が必要なら、そのままバクとかでいい」

「医者と、夢喰いバクを? 兼業ですか」

「そういう言い方もできるな。まあ、実際はそんな簡単なもんじゃないんだが、そういう認識で構わん」


 バクは俺に反対側の座席に座るように促すと、両肘を膝に乗せて話し始めた。


「それじゃあ、本題だ」


 まずはこの夢の話をしよう。


 彼はそう言った。


 ここは夕が見ていた夢の世界で間違いない。それと同時にお前が見ている夢でもある。つまり、お前は夕の夢の世界を自分の夢で再現しているってことだ。


 そして、夢ってことは現実には起こるはずがないことも起こる。下を見てみろ。


 俺は言われるがままに窓から下を見下ろす。


 ピエロ熊と一緒に、夕がこちらに向かって手を振っている。あの時と変わらない笑顔とセーラー服で。


「夕! 生きてたのか!」

「おい、よく考えろよ。夢の中だぞ。あれはお前が見ている夢だ」

「あ、そうか……。でも……また、生き生きとした夕の姿を見られて嬉しい」

「だから、あれは夢だって言ってんだろ」

「あの!」


 俺はバクの発言に腹が立ち、声をあげる。


「何なんですか。人が喜んでるのに、水を差さないでもらえますか」


 それでもバクは表情を変えずに話す。


「お前が自分で気づいていないからだろうが」

「……はい?」


 バクは立ち上がり、俺の方の座席に向かってくる。二人が片方に寄ったためにゴンドラが傾いた。


「もう夕はいないんだよ。それなのにお前は夢で夕と会うことに今喜んだ。それでいいのか。お前は……夕を救えなかったのに。それを悪夢と思っているから俺が来た。お前を救うために俺が来た。そしてお前はどうしたいのか、自分でよく考えろよ」


 夕が死んだ夜、ピエロ熊に「自分の見ている夢」の話をされたときと同じ感覚に陥った。


 今までは普通に歩けていたのに、足を引っ張って転ばせようとしてくるようなもの。これは何だ?


 俺はそのことをピエロ熊に言う。


「分かってきたじゃないか。お前はずっとこう思ってたろ。自分には夢がない。そんな俺が生きてて、眩しい夢がある夕が生きられていないのが辛いって。それがどういうことか、もっと自分の頭を使って考えててみろ」

「どうしてそのことを……?」

「まあ、夢喰いバクだからな」


 答えになってない気がするが、今はどうでもいい。


 俺は脳をフル回転させる。


 俺は夕に生きてほしかった。夢を叶えてほしかった。叶えさせてやりたかった。


 でも、俺は出来なかった。夕を元の世界に戻せなかった。


「夢喰いバク失格なんだ……」

「ん? じゃあお前はもうこの仕事をやめるのか」

「……やめたいです」

「全く……どこまでも手のかかる奴だ。お前が辞めたら他にも夕のような人が出るぞ。本当にそれでいいとお前は思ってるのか?」


 そんなことはなかった。二度と夕のような人を出したくない。もうこんな思いをしたくない。


 目から涙が流れてくる。悲しさと悔しさと、そんな涙。


「それがお前が見ている夢だろ。自分でその夢を手に入れるんだよ。お前も夢喰いバクなら、それくらいできるだろ」

「俺の夢……?」

「『悪夢を食べて、幸せに導く』ってやつ。夕がお前に気づかせた。お前の大切な夢だろ」

「それが俺が見ている夢って言うのか」

「そうだ」


 全く……。一生夢を見ることなんてないだろうと思っていたのに、実は見ていただなんて。


「誰だって、気づかないうちに夢は見てる。素晴らしい夢を持ってる。それが俺たちに生きる意味を与えてくれる」


 夕のせいだぞ。


 夕に会って、夕が夢の素晴らしさを教えてくれた。


 夕のおかげで俺は夢を見つけた。夢に気づけた。


 ゴンドラが一周し、再び地上に降りてくる。ピエロ熊が扉を開き、俺とバクは地面へと降りる。


 夕がありったけの笑顔と共に出口で待っていた。


「夕……」

「夢、わかった?」


 俺は夕に負けないくらいの笑みを浮かべて答える。


「これからも夢喰いバクを続けたい」


 悪夢を食べて、多くの人を幸せに導くんだ。

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