夢喰いバクの見たユメ
雨瀬くらげ
君に会った夢
高校生という人生でたった三年間しか味わえない青春を病室で過ごすことになった俺は、思っていたよりも絶望はしていなかった。授業はオンラインで受けられる高校に進学したし、別に不治の病ではないし、少し時間はかかるけれど、ちゃんと治ると医者も言っていた。最新の医療は本当にすごいなあ、と感心する。
しかし、絶望はしないと言っても、毎日病室となると暇にはなる。そこで俺は自宅でも(俺の場合は病室だけれど)要は室内かつ個人作業のバイトを探した。世の中には色々な仕事があるもので、俺はパソコンの画面に表示されたある文字に目を止める。どこか、不思議な雰囲気が醸し出されている言葉の羅列。
『悪夢を食べて、人を幸せに導こう』
よく考えると怪しい。怪しすぎる。しかし、当時の俺はそんなことを全く思わなかった。ただ、退屈しないものが良かった。それだけなのだ。
面接をテレビ電話で受けてから、二年と六ヶ月。今日もそのバイトがある。
上田高樹様、と書かれた封筒から一粒の錠剤を取り出す。黄色く、グリーンピース程の大きさの薬。仕事をする前にこれを飲まなければならない。
俺は水と一緒にそれを胃に落とし、布団を被って眠りについた。
そう、夢を喰う仕事なだけに、職場は夢の中なのだ。
薬が効き始めたのを感じ、目を開ける。ここは【誰かの夢の中】だ。あの薬によって、世界中の誰かが見ている悪夢の中に入り、その夢を食べることができる。
ポケットから手鏡を取り出し、ちゃんとタキシードを着ているか、妖獣・獏の仮面を着けているかを確認。場合によっては相手の心の問題と関わるので、こちら側が清廉潔白に見えるように、素性がバレないようにする必要があるのだ。
「よし」
確認を終え、辺りをよく見回す。どうやら、この夢の舞台は古びた遊園地のようだった。音の狂ったピアノが奏でている愉快な音楽が場内に流れており、どこか少し不気味な雰囲気が漂う。
空は朱色に染まっているので、夕方だろうか。人は見当たらない。一見すると、悪夢のようには見えないが、一先ず散策してみることにする。
点在するほとんど葉のない木、照明の寿命が尽きそうなポップコーンショップ。さらに歩みを進めると、巨大なメリーゴーランドが現れた。豪華な照明を煌めかせながら、悠々と馬たちが走っている。周りが廃墟と化した風景の中でのそれに、俺は思わず見惚れてしまった。
「綺麗だ……」
そう呟くと、突然目の前が真っ暗になる。しかし、背中に人の体の感触があり、誰かに目を塞がれたのだとすぐに気がついた。
「だれでしょう」
犯人にそう訊かれたならば、答えを知りたくなってしまう。俺は自分の手で犯人の手を外し、一体誰なのかを確かめるべく後ろを向くと、
「想像の斜め上でびっくりなんだけど、誰」
誰かと訊くより、何かと訊いた方が適切かもしれない。俺の前にいたのは、ピエロの格好をした茶色い熊だった。着ぐるみにしては精巧なその熊は、不思議なことに、口角が動いているし、瞬きもしている。まあ、どうせ夢の世界だ。現実世界と違って何でもありなのである。
「楽しんでる? 獏のコスプレとかしちゃって、遊園地を楽しむ気満々だね! ナイス!」
どこか鼻につく喋り方に少しイラッとするが、相手がどんな人物かわからない限り、絶対に警戒を解いてはならない。俺は慎重に言葉を選ぶ。
「お褒め頂きありがたいが、残念ながら今日は仕事で来たんだ。お前がこの夢の主か?」
俺が問うと、ピエロ熊は首を横に振る。
「いいや、僕はただの夢の住人さ。彼女の夢に住んでいるんだ」
と、ピエロ熊はメリーゴーランドの方へ太く茶色い指を差した。すると、流れていた音楽が次第に緩やかになり、それに合わせて馬たちも速度を落としていった。完全に動きが止まると、先程まではわからなかったが、ある白馬に同い年くらいの女の子が乗っていた。セーラー服、長めの黒髪、少し整った顔。いかにもティーンエイジャー少女というルックスだ。
彼女はこの世界にとって異質な俺の存在に気がつくと、馬を下り、テクテクとこちらに歩いてやって来る。
「あなたは誰? この世界の新しい住人?」
彼女は目を輝かせながら、ピエロ熊と同じようなことを訊いてくる。それに対し、俺は同様の答えを提示した。
「いいや、現実世界から仕事で来たんだ」
「へー、で、どんな仕事?」
「簡単に言うと、君の悪夢を食べに来た」
俺は素直に答えたが、彼女はきょとんとした顔で、何を言っているかわからないとアピールしてきた。そうか、そりゃあ夢を食べるって言われてもよくわからないよな。夢の世界とはいえ、すぐには納得できないはずだ。
「私、悪夢なんて見てないよ」
これはまた予想外の答えだったが、よく考えてみると彼女の言っていることは正しそうだ。確かにこの世界は景色こそ不気味なものの、決して悪夢には見えない。しかし、絶対に悪夢でなければおかしいのも、また事実なのだ。俺が飲んだあの薬は必ず悪夢の世界へとリンクする。誤って普通の夢世界へ行ってしまうなんて考えられない。
俺が自分の脳をフル稼働させていると、
「まあ、何でもいいんだけどさ」
と、彼女が俺の袖を引っ張る。
「せっかく、この夢に来たんだし、私と遊ぼうよ! あなた久しぶりのお客さんだし! 私、脇坂夕」
あなたは? という夕の問いに、
「上田高樹だ」
と答える。
「たーくんね! じゃあ早速遊ぼう!」
夕はそう言いながら、俺を連れて行こうとするが、本当にいいのだろうか。バイトとはいえ、一応勤務中だ。しかしずっとここにいても、謎が解明されるとは思えなかった。とりあえず、何か行動をするべきだ。
俺は彼女に向かって答える。
「じゃあ、遊ぶか」
夕はやったー、とはしゃぎながら走り出す。随分と子供っぽいなと感じながら、俺とピエロ熊はその背中を追った。
夕が立ち止まったのは、赤く平仮名で「おばけやしき」と書かれた古い日本家屋だった。恐ろしいと言うより、怖い絵本に出てくるような雰囲気。まさか、ここに入るつもりなのか。夕の方を見ると……笑っていた。これは入る顔だ。
かなり心配だったが、中は思っていたよりも怖くなかった。しかし、夕は何度も奇声をあげながら楽しんでいた。本当に子供だ。
「たーくん。そろそろご飯食べようよ。私お腹空いた」
わかった、と再び俺たちは彼女についていく。
それにしても未だに謎が明らかにならない。あのお化け屋敷といい、夕の様子といい、やはり悪夢とは思えない。この世界に何の問題があるというのだ。
もう少し……様子を見るか。
何か食べ物がある店を探していると、夕がケーキショップを指差す。
「私あれ食べたい」
「はあ? お腹空いてるんだろう? もっとちゃんとしたものじゃなくていいのか?」
「いいの! 私はケーキが食べたい!」
それを聞いたピエロ熊が「僕の番だ」と言いながら、店の裏へ回ったかと思うと、カウンターにエプロン姿になって現れた。この熊が何者なのかもまだわからない。
「私が買ってくるから待ってて」
と、外のテーブルで待たされる。やがて、二枚の皿を持ったピエロ熊と夕が戻って来る。その間、夕はケーキからずっと目を離さずにしていた。
夢世界のケーキは食べたことがなかったけれど、見た目以上の美味しさだった。さすが夢。
「私ね、ケーキ屋さんになりたいの。ケーキって美味しくて幸せになるでしょ? だから、私もケーキを作ってたくさんの人を幸せにしてあげたいんだ」
「ケーキ屋? いいんじゃないか。頑張れ」
あまりに純粋な笑顔で夢を語る夕に対し、俺は適当に返してしまう。しかし、次の夕の言葉で俺はフォークからケーキを落とした。
「たーくんは、何か夢がある?」
今までそんなことを考えずに生きてきた。趣味もなく、適当に勉強をして、適当に友達と遊んで、今は「悪夢を喰う」なんていうバイトなんかして。全く、悪夢になる夢さえも持たない人間が人の夢を食べるなんて意味がわからないが、でもきっと、俺はこのまま生きていくのだろう。夢なんて持たないまま、死んでいくのだ。それでいい。
「夢なんてないよ」
夕は最後の一切れを食べ終えると、
「見つかるといいね。夢」
と、笑った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます