ジョーカー
三山 響子
ジョーカー
ゼミ合宿の夜に始まったトランプゲームは思いのほか盛り上がり、六ターン目を迎えていた。
「せーの」
掛け声に合わせて一斉にひっくり返された十五枚のカードの上を、瞬時に視線が飛び交う。
俺は目の前に置かれた自分のカードを見て大声を上げた。
「あー、俺ジョーカーだった」
「うわー私も」
ジョーカーを引いたもう一人が
俺と佳乃の落胆した声と、ジョーカーを免れた他のメンバーの喜びと安堵の声が、部屋中に
「さてさて、どうしようかな」
亮介がニヤニヤ笑みを浮かべながら俺と佳乃の顔を交互に見た。
独自ルールの王様ゲーム。ジョーカーを引いた二人は、エースを引いた王様の命令に絶対従わなければならない。
男同士でキスさせられた奴らもいるし、激辛スナックを大量摂取させられた奴らもいた。俺と佳乃にはどんな試練が課されるのかと身構える。
「
亮介からの下命に周りの連中はわっと盛り上がり、俺と佳乃は一斉に抗議した。
「え〜、絶対嫌だ」
「何で俺たちだけこんな暗い中外に行かなきゃいけないんだよ」
亮介が指定した墓地は、宿泊している宿から五百メートル程離れたところにある。面積は狭いけど歩道に面している一辺以外は深い林に囲まれており、正常な人間なら夜中に用もなく足を踏み入れようとは思わない場所だ。
「いいじゃん、ひとつくらいホラー系のミッションがあった方が盛り上がるし」
「だからって女子を送り込む必要ないでしょ、男子だけで行ってくればいいじゃない」
「男二人で行ったって面白くないだろ。さあ、早く早く。一分以内に出発しないと墓地での写真撮影をミッションに追加するぞ」
他のメンバーから強引に背中を押され、俺と佳乃は反論する間もなく部屋着のまま夜道に放り出された。
目の前に伸びる一本道は、右手には木々が生い茂り、左手には広大な畑が広がっている。見通しは悪くないものの外灯がほとんどないため道の先は真っ暗で、男の俺でも足がすくむ。けれども。
「行きたくない……」
隣で縮こまっている佳乃の姿に、ここは男を見せなければと、恐怖を胸の中に閉じ込めて足を進め始めた。
「大丈夫。まだ夜更けじゃないし、今のうちに早く行って早く帰ろ」
「相手が弘樹で良かった。女二人だったらきっと一歩も動けなかったよ」
佳乃の言葉には特に深い意味は無いのだろうけど、俺を動揺させるには十分だった。
半歩後ろから恐る恐るついて来る佳乃は、前髪を暖かい夜風にさらわれて普段隠れている額が露わとなっている。いつもよりも幾分あどけなさが残るノーメイクの顔も部屋着姿も新鮮で、妙にどぎまぎしてしまう。
やや強めの風が吹いて右手の木々がザワッと嫌な音を立て、佳乃が小さく悲鳴をあげた。
「もう心臓止まりそう。ねえ、他の事で気を紛らせようよ。何か面白い話して」
「面白い話? 無茶振りだな」
「じゃあ何でもいいから」
「そしたらゼミの思い出話でもしようか」
「うん、いいね」
さっきよりも幾分強い風が吹いて木々がよりザワザワと音を立て、俺と佳乃は足を速めた。
「ゼミの顔合わせの時の事、覚えてる?」
「ああ。佳乃が自己紹介しようとした時に亮介の携帯の着信音が鳴って、しかも音楽がまさかのサザエさんで、みんなで大爆笑したよな」
「そうそう、もう笑いすぎて全然話せなかったよ。でも、あの着信のお陰で場が一気に和んだよね」
あの時、顔をくしゃくしゃにして笑う佳乃がとても可愛くて、一番に佳乃の名前を覚えた。
「昨年はプレゼン多くて大変だったよな」
「そうだね。グループ発表の時、初めてリーダーやったけど、皆の意見がなかなかまとまらなくて苦労したなぁ。今となっては良い思い出だけどね」
決して前に出るタイプではない佳乃がバラバラな意見をまとめようと奮闘している姿を遠くから見つめながら、守りたくて堪らなくなったっけ。
「クリスマス会の夜、
「ああ、直哉の公開告白は歴史に残る一大イベントだったな」
直哉が「これから好きな人に告白します」と宣言した時、俺の心臓は急速に鼓動を早め、相手が佳乃だったらどうしよう、と頭の中が一瞬で焦りで埋め尽くされた。
さっちゃんの名前が呼ばれた時は、あまりの安心感に足の力が一気に抜けて思わずよろけてしまった程だ。
「ね、あの時の直哉の告白、すごく男らしかったって皆言ってるよ」
佳乃の言葉に、脳内で再生されていた色とりどりの思い出達が雲散霧消し、目の前に再び漆黒の夜道が現れた。
こんなに好きなのに、こんなに佳乃の事で頭がいっぱいなのに、俺はまだ佳乃に自分の気持ちを打ち明けられていない。
出会ってからもう二年も経つのに、今の心地良い関係が壊れてしまうのが怖くて、何も言えないまま卒業まで残り半年となってしまった。
本当は今すぐにでも想いを伝えたいくらいだけど、佳乃はまだ就職先が決まっていない。表には出さないけど、きっと毎日不安で押し潰されそうな思いだろう。
そんな状況で一方的に想いを伝えるのはあまりにも無神経のような気がして、そういう俺なりの心遣いも告白のブレーキの一因となっていた。
自他共に認める明るくて快活な性格だけど、恋愛に関しては情けないくらい臆病で、こうして好きな子と二人きりで夜道を歩いていても手を差し伸べる事すらできない。
「着いちゃった」
佳乃の声に足を止め、俺は右手前方に現れた小さな墓地を見据えた。
旅館を出てから途絶える事のなかった
「どうする?」
「一周して戻ろう」
「中に入るの?」
「入らないと意味ないでしょ。早く入って早く出よう」
墓地の通路に足を踏み入れると、泣く泣く佳乃も後ろからついてきた。
墓地には二列の通路があり、それぞれの通路の左右に二十基程度の墓石が等間隔に並んでいる。月明かりに照らされて青白くぼんやり光る墓石はなるほど不気味で奥に入るのは気が進まないけど、敷地が狭いので急ぎ足で進めばすぐに脱出できそうだ。
「ねえ、怖いから何か面白い話しようよ」
この期に及んでズレた事を言う佳乃に思わず吹き出した。
「お墓でふざけたり変な事言ったりしたらご先祖様から怒られるよ」
「えー、真面目なつもりで言ったのに……」
怯える佳乃を先導して墓石に囲まれた通路を淡々と進んだ。
スニーカーに踏まれた芝生が立てるサクサクという音以外は何も聞こえない。
静寂に包まれた墓地の中を進むのは恐怖が伴うけど、恐る恐る周囲を見回しても、霊的なものは特に見当たらないようだ。
「……いなさそうだね」
佳乃は敢えて主語を言わない。口にすら出したくないのだろう。でも、俺と同じく徐々に恐怖心が和らいできたようで、折り返し地点に来た頃にはしっかりと顔を上げて周囲を観察しながら俺の後ろをついてきた。
結局後半も何事も起こらず、俺と佳乃は無事に墓地から生還した。
「心霊スポットなのかと思ってヒヤヒヤしたけど、何も見えなかったね。日頃の行いが良いからかな」
さっきまでのビビり具合はどこへやら、冗談を言う余裕まで生まれている。
「何もなかったって報告したら、亮介は残念がるかな」
「かもな。次のターンもあるし戻ろうか」
佳乃と二人きりの時間がもうすぐ終わってしまうのは残念だけど、皆が待っているのでいつまでもここに留まっている訳にはいかない。
俺は佳乃を促し、宿の方向へ足を向き直した。
「あ」
佳乃の視線が止まった先に、自然と目を向けた。
今は左手に覆い茂る木々の少し奥の方に、何やら丸くて白っぽいものがぼんやりと浮かんでいる。
目を凝らしてよく見ようとした瞬間ふわりと風が吹き、その丸い輪郭から伸びた黒くて長い毛がサラサラとたなびいた。
「……うわあああ!!」
「きゃーーー!!」
凍るような恐怖で全身の血液が一気に逆流した。
俺と佳乃は絶叫しながら宿への道を全力疾走した。
背中に悪寒が貼り付いて止まらない。
でも、二十歳を超えた運動不足の大人にとって、長距離の全力疾走は想像以上に辛いものだった。
二百メートルくらい走ったところで力尽きると、俺と佳乃はゼイゼイと息を切らしながら夜道にペタンと座り込んだ。
「ねえ、見た? 見えた?」
「ああ、見えた。木のところにいたよな」
「貞子だ、きっとあれは貞子だよ」
肩で息をしながら佳乃が恐れ慄いて言った。
「貞子? まさか。貞子は実在しないでしょ」
「いや、あの青白い顔に長い黒髪は貞子に違いないよ」
俺たちは座り込んだまま貞子だったかどうかしばらく議論した。ぶっちゃけ貞子かどうかなんてどっちでも良いのだけど、何か話していないと恐怖に体が
佳乃の勢いに負けて「あれは貞子だった」という結論に達した頃に、俺と佳乃はようやく落ち着きを取り戻した。
「また変なもの見たら立ち直れないから、早く宿に戻ろ」
よろよろと立ち上がりながら佳乃が言った。
「せっかくのゼミ合宿でこんなに怖い思いをするなんて。こんな事なら、亮介と直哉みたいに公開キスの方が良かったね」
貞子の登場よりも百倍強い衝撃が脳天をドカンと貫いた。
何も言葉を発しない俺の様子に気付いた佳乃が、数秒遅れてハッと息を飲む。
「あっ、ごめん!違うの、そういう意味で言った訳じゃなくて―――――」
暗闇でもよく分かる、真っ赤に染まった佳乃の顔。
瞬間、心のブレーキがガチャリと外れた。
目の前でまごまごしている佳乃が無性に可愛くて堪らなくて。
今まで必死に支えてきた堤防がとうとう音を立てて決壊し、好きの気持ちが高波となってどっと外に溢れ出た。
もう、誰にも止められない。
「俺は佳乃とのキスは罰ゲームだと思わないよ」
自然と出た声はさっきよりも掠れていた。
ぽかんとする佳乃をそっと引き寄せ、彼女の唇に自分の唇を重ねた。
「俺、佳乃の事が好きだよ」
*
「亮介、どうして罰ゲームキスにしなかったの?」
「だって、ああ見えて弘樹は純情だろ。無理矢理キスなんかさせるよりも、二人きりにさせた方がうまくいくかなと思って」
「さすが亮介。あいつら見てて本当にじれったいよな、両想いなんだから早くくっつけばいいのに」
「それより、私のエクステはいつ回収しに行ったらいいの? 明日の朝には使いたいんだけど」
「それを言うなら俺のサッカーボールもだぞ。皆で遊ぶつもりだったのに、まさか加工されて幽霊の顔に使われちまうなんてな」
「まあまあ、二人が帰って来てから夜が更ける前に取りに行けば……あ、誰か歩いてくるよ」
窓の外の様子を伺っていた亮介の言葉に、宿に残っていた生徒達は一斉に窓に駆け寄った。
「本当だ、二人いる。弘樹と佳乃じゃない?」
「おい、見ろよ。手繋いでるぞ」
「うわー!」
「やったー!」
部屋中に歓喜の声が炸裂した。
長年の想いが実ってようやく結ばれた仲間を迎えに、生徒達は次々と宿の外に飛び出していった。
床に置かれたままのジョーカーの中に描かれた道化師が、悪戯っぽくニヤリと笑った。
ジョーカー 三山 響子 @ykmy
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