第33話
リフォンに店を案内してもらってから一か月。
あれからラクトはほぼ毎日リフォンの店に通うようになった。毎回毎回ついて来ようとするクルールを誤魔化し、訝しげに見てくるグリアに言葉を濁しながら。なぜそこまでしてこの店に足を運ぶのか、自分の事ながら不思議だった。
「いやー、兄ちゃん! そんなに俺の料理を気に入ってくれたとはぁ、料理人冥利に尽きるってもんよ!」
「あー、まあ、そうじゃねえってことは確かなんだけどなぁ」
コーヒーを啜りながらしみじみと呟く言葉が、本気の事実であることを嫌でも悟らせる。その言葉にショックを受けた親父は、がっくしと頭を下げた。
「ひ、ひでぇ……じゃあなんだ! まさかテメエ、リフォン狙いか!? だとしたらこの俺を倒してから行きやがれ!」
「いや、それはもっと違う」
「ひ、酷いよラクト! 私のことは遊びだったの!? しくしくしく……」
「しくしく……」
「しくしく声に出てるからなリフォン。嘘泣きだったらもっと上手くしろよ。あと、親父がそんなやっても何にも可愛くねえから」
泣き真似をする二人に呆れたように見てから、無視して出されたランチに手をかける。相変わらず書き入れ時だと言うのに、大した客も入っておらず、せいぜい窓際で本を読んでる客がいるだけだ。おかげで暇を持て余している二人はラクトの下に来ては漫才を繰り返す。
一回無視してやったらランチが激マズに変わったので、仕方なしに相手をしてやることになった。ちなみにその時「そんなんだから客が来ないんだよ」と言ったら親父がガチ泣きしたので、流石に少しだけ罪悪感を感じてしまった。
「リフォン、そろそろ材料が足んねえや。ちょっと買い出しに行って来てくれ」
「はいよー! あ、せっかくだからラクトも一緒に行こうよ!」
「おい、一応俺は客だぞ?」
「いいじゃんいいじゃん! どうせ今日も暇なんでしょ?」
「あ、おい!」
リフォンに腕を引っ張られ、無理やり立ち上がらされる。男と女、それ以上に人間と悪魔憑きの膂力の差は歴然だ。当然振り払おうと思えば簡単に出来た。だがラクトはなされるがままにリフォンに振り回される。不思議とこの強引さが嫌いではなかった。
二人して食材を買い込むと、夕日に照らされリングベルトの街をゆっくりと歩く。
「いやー、いつもいつも悪いねぇ。荷物持ちご苦労様」
「悪いと思うんだったらもっとせめて買う量減らせよ。どうせほとんど客の来ねえあの店じゃ使い切ってねえだろうが」
「あー! またそんなこと言う! 一応余ったら自分達の晩御飯にしてるから多少はマシなんですよーだ!」
「結局使い切ってねえんじゃねぇか」
そう言うとリフォンは頬を膨らましながら拗ねてしまう。そんな姿が面白く、つい口元を緩めてしまった。こうして二人で歩いていると、ラクトは自分が普通の人間になったような錯覚を覚える。
普通に笑い、普通に会話し、普通に彼女の言動を楽しんでいる。診療所の仲間以外では決して見せなかった顔を、リフォンはいとも容易く出させていた。力を抜き、自然体でいられる時間はラクトにとって貴重なものだ。いつもならただ街を歩いているだけでも周囲を警戒し、敵がいないか伺っていると言うのに、今は何も考えず目の前の少女しか意識をしていなかった。
そのため、ラクトはあることに気が付き舌打ちをする。
「ちっ」
無意識の内に警戒を怠っていた。気が抜けていた、ともいう。そのせいだろう、気が付いたときには二人は囲まれており、自分の堕落加減に反吐が出そうな勢いだ。
「よお『純粋悪魔(ピュア・ブラック)』。うちのモンが世話になった見てえだな」
一人の男がラクト達の前に立ちふさがってきた。二メートルを超える熊のような巨体。肉食獣のように自分以外の全てが獲物としか映っていない、凶悪な瞳。人と呼ぶには醜悪な外見だが、人型の生き物であるのは間違いないだろう。
男の後ろには見覚えのある顔があった。つい先月半殺しにして路地裏に捨ててきた男だ。どうやらあの後仲間か誰かに助けられたらしい。怪我は完全に治っていないのか頭に包帯を巻き、片目は潰れていて両足にはギプスが取り付けられ、残ったもう片方の瞳には憎悪の炎が宿っている。
とはいえ、明らかに危険なのは怪我をさせられて恨んでいる男ではなく、声をかけてきた男の方だ。見覚えはないが、纏っている風格といい、傍にいる男といい、想像するのはそんなに難しくはなかった。
「『狂戦士(バーサーカー)』」
狂戦士(バーサーカー)ジェルファ。サンタクの隣国、ランクエイトを縄張りとする、巨大グループのボスの名前だ。その猛威は他国へと浸透し、粗暴な性格と共に知れ渡っていた。ランクは当然のごとくA級ニード。ランクエイト国最強のニードでありながら、その凶暴性と周囲の被害を顧みない戦闘方法から、ラクト同様、討伐対象一歩手前の人物だ。
ジェルファは満足げに一度頷くと、ギョロリと視線をラクトに向ける。
「よく知ってんじゃねえか。んじゃあ、どういう要件かは分かってんだろうな」
「部下の仇討ちってところか」
「わかってんなら話は早え。おいテメエら!」
ラクト達を囲うように隠れていたジェルファの部下達が、一斉に姿を現す。その数およそ二十。誰も彼もそれなりに手練れで、場数を踏んできた者だけが持ち得る風格を滾らせていた。
「ら、ラクト?」
状況がよくわかっていないリフォンは、若干怯えた様子でラクトを見る。出来れば彼女には自分がニードであることを隠しておきたかったラクトとしては、舌打ちしたい気分だ。
リフォン達親子は少し遠く離れた都市からやってきたため、ラクトの事を知らなかった。だからこそ、ニードであることもばれなかったし、何より悪名高い『純粋悪魔(ピュア・ブラック)』だなんて思いもよらなかっただろう。
だが現状と、凶戦士(バーサーカー)の一言で、ラクトの存在は彼女にばれてしまった。
ニードは基本的に人間には好かれていない。これはこの世界中の共通した認識だ。だからこそ、ラクトのようにすでに街の住人に知られているニードは、どこに行っても爪弾きにされる。ラクトの態度や行動にも問題ないとは言えないが、例え品行方正に生きてきたとしても、結果は大して変わらないだろう。
「悪い。変なのに巻き込んじまったな」
「え? あ、うん……」
頭をかきながら、ラクトは素直に謝罪する。この一か月、リフォンや親父と食べるご飯は美味しかった。出来れば今後もニードであることを隠したまま、普通の人間のフリをして彼女達と共に生きたかったが、どうやらそれは叶わぬ願いらしい。
リフォンの目に浮かぶ怯えの感情は、決して間違ったものではない。人間ではニードや悪魔憑きには絶対に勝てないのだから。
この状況を作ったクソ野郎を睨みつけようと、ラクトは視線をジェルファに向けた。視線を真っ向から受けた彼は、大きな口を開けて意気揚々と叫ぶ。
「うちのグループの精鋭達だ! 全員がB級中位くらいの実力はあるぜ。ははは、逃げれるなんて思うなよ!」
その言葉を聞いても、ラクトに動揺はない。所詮B級など、彼から見れば有象無象の集団でしかない。どれだけ集まろうが、ラクトに傷一つ付けることなど出来はしないのだから、そう思うのも無理はないだろう。だがラクトの余裕も、ジェルファが叫んだ次の言葉によって砕け散ることになる。
「貴様の事は調べさせてもらったぞ! どうやらその人間の小娘と懇意にしてるようだな!」
ピク、とラクトの眉が動く。その反応で満足したのか、ジェルファは醜悪な笑みを浮かべると、リフォンを舐めるような視線で射抜く。あまりの気持ち悪さに彼女の腰を引き、両腕で体を覆うように一歩下がった。
「俺と殺し合いをしてえんじゃねえのか?」
自然と声が固く、そして低いものへと変化してしまう。リフォンを守る様に、ラクトは自然と体を二人の間に滑り込ませ、ジェルファを睨みつける。
「殺し合い? そんなものに興味はないわ! 俺が好きなのは一方的に嬲り虐殺することだけよ!」
「テメェ……」
「もうわかっているようだな! 貴様がこれから一回でも反撃したり逃げたりしたら、そっちの小娘を殺す。いくら貴様でもこの俺を相手にしながらこれだけの数のニードを前に、守り切れるとは思ってねえだろ!」
「はっ、性根から腐ってやがんなこのクソ野郎が!」
「なぁに、これから俺らが満足するまでお前が逃げも反撃もしなかったら、ちゃんと家に帰してやるさ。くくく」
そう言って下卑た笑いを零すジェルファに対し、背後で隠れしているリフォンから必死の声が上がる。
「だ、駄目だよラクト! あんなこと言ってるけど、絶対にラクトが死ぬまでやるつもりだもん!」
一度だけ、リフォンを見る。流石に彼女も今がどういう状況なのかを正確に理解したのだろう。ラクトが悪魔憑きであることも、誰のせいで今危険な目に合っているのかも。
そしてそんな状況であってもなお、自分の心配をしてくれるリフォンに、思わず心が暖かくなった。
「……約束しろ。俺が何もしなかったらこいつには手を出すな」
「ラクト駄目っ!」
後ろでリフォンが叫ぶが、聞こえないふりをする。
ラクトの返答に満足したジェルファは、横に立つ部下を一歩前に押し出した。
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