第16話
「さて……格好つけて出てきたはいいものの、どうやって探すかねぇ……」
ラクトは診療所から出た段階で、すでにレオナを見失ってしまっていた。最初はすぐに追いつけると思っていたのだが、どうやらまた悪魔の力が漏れ出したのか、あっという間にラクトが気配探知出来る範囲の外側まで行ってしまったらしい。
普通、悪魔の力を使っているならその痕跡を辿ることも可能なのだが、どうにもレオナの使用する力は残り香が薄く、把握し辛い。そのせいで上手く追いかけることが出来ないでいた。
「ま、とりあえずこっちだな」
ばっと飛び上がり、診療所の屋根に着地する。目を細め、レオナがいないかぐるっと街を見渡してみる。がそもそも診療所は三階建てのためそこそこの高さを誇るとはいえ、元々路地裏のひっそりと存在する建物。他の建物が邪魔になり、上手く見ることなど出来ない。
結局レオナの姿など影も形も見えない状況で、ラクトは一度溜息を吐くと、そのまま他の家の屋根を伝って移動を開始した。
あまりに衝撃的な事実を突きつけられたレオナは、無我夢中でリングベルトの街を走り続けた。まるで何かから逃げるかのように必死な姿は、事情を知らない他人が見たらさぞ奇異なものに映ったことだろう。だがそんなことを気にしている余裕など、レオナにはない。止まれば自分が自分でなくなってしまう。そんな妄想ともいえる恐怖に襲われて、ただただ必死に走った。
そして辿り着いたのが、街の中心から少し離れた噴水公園だ。すでに太陽が沈み始め、人々が仕事を終えて帰路に着く姿が増えてきた。笑顔でこれからの時間をどう過ごそうかと考えている者、暗い顔で鞄を漁っている者。親子で仲良く手を繋いでいる者。様々な人間がこの街に溢れている。
荒い呼吸を吐きながら、レオナはそんな人々をどこか遠いものを見るような瞳で眺めていた。こんな当たり前の日常が、どうしてこうも眩しく見えるのだろうと思う。
「……それは……私が悪魔憑きだから……?」
言葉にして、それが一番しっくり来た。
ふらふらと力なく公園の中へと入り、近くにあるベンチに座る。全力で走った体は軋みを上げ、思った以上に無茶をしていたのだと今更ながらに気が付く。そして動きを止めた瞬間、体の奥底から襲い掛かる感情の嵐。
「――っ!」
空色の瞳から大粒の涙があふれてくる。とっさに両手で顔を抑え、必死に涙を拭う。
駄目だ、泣いては駄目なのだ。自分には泣く資格などない。家族を殺したかもしれない自分が、泣いていいはずがないではないか。
そう思うが、涙は止まらない。ぽろぽろと指の隙間を縫うように零れ落ちる水滴が、乾燥した地面を濡らし続ける。
人と相容れない存在。人類の敵。滅ぼされるべき者。人によって呼び方は違うが、存在自体が悪と呼ばれ、間違いなく人間とは違う生き物。それが悪魔憑きだ。
レオナ自身、自分の周囲で悪魔憑きの被害にあった友達などいなかったし、言ってみれば物語上の生き物か、せいぜいテレビで見る犯罪者程度の認識しかなかった。
だからラクトが悪魔憑きとわかったときも嫌悪感などなかったし、恩人であるとさえ思っていた。グリアにしたって、人間となんら変わりなかった。
世間では悪魔憑きとニードはごっちゃになっているが、彼等にも感情があり、人間と同じように人を大切に思う心を持っている。言われているほど、悪魔憑きやニードが悪い存在ではないと思っていた。
そう思っていたはずなのに、いざ自分が悪魔憑きだと宣言された時、目の前が真っ暗になった気がした。嫌悪感なんてなかったはずなのに、心の底から自分の存在が嫌いになってしまったのだ。
そして気付いてしまった。結局自分は綺麗な自分でいたかったがために、ラクトやグリアを受け入れていたに過ぎなかったのだと。彼らを受け入れる自分は清廉な存在であり、優しい人間だと周囲にアピールしたかっただけなのだ。
きっとラクトやグリアは善意で自分を助けてくれた。そんな彼らを自分はただ取り繕うために受け入れたフリをしていたと思うと、情けなかった。
認めよう。自分は悪魔憑きなど欠片も信用していなかった。もし本当に悪魔憑きを受け入れているのなら、自分だって受け入れられたのだから。それが出来ない以上、今でも駄目なのだ。受け入れる事なんて出来ないのだ。
「……うっ……ぅぅぁ……ひっ、あ、あ、あ……」
自己嫌悪と後悔、そして罪悪感。それらがごちゃまぜになって、レオナの心はグチャグチャだった。公園の外にいる人間達はそんな彼女を見て何事かと一目見るが、すぐに興味をなくしたように去ってしまう。人の興味などそんなものだ。
助けて欲しいと声にならない声で叫ぶ。だが、誰も助けてくれない。自分が悪魔憑きだからだ。もう自分は人間じゃないから誰も助けてくれないのだ。だったらもういい。もう助けて欲しいなんて思わない。もう人を頼りになんてしない。頼りになるのは自分だけ。自分と、自分の力だけが本当に信じられる――
「大丈夫かい?」
不意に、優しげな声がレオナの頭上から降り注ぐ。
レオナがゆっくり顔を上げると、そこには眼鏡をかけ、くたびれたスーツを身に纏った、いかにも頼りなさそうな壮年の男が立っていた。
四十代ほどだろうか。男は困った様子でポケットに手を入れ、ハンカチを取り出すとレオナに渡してくる。これで涙を拭けと言いたいようだ。
レオナは見ず知らずの人間に話しかけられ一瞬躊躇うが、相手の好意を無下にするわけにもいかず、無言でハンカチを受け取った。皺が多くあまり綺麗とは言えないハンカチだったが、涙を拭うには十分過ぎる代物だ。
「……ありがとう……ございます」
なんとか絞り出せたのはそれだけ。喉が震え上手く言葉を発することが出来ないでいた。
「あの……これ……」
「ああ。どうせ安物だから君にあげるよ。僕みたいなおじさんが持ってたハンカチなんていらないと思うけど、まあ邪魔だったら捨てておくれ」
やや湿ったハンカチになってしまい、どうしようかと手に持って困惑していると、男は笑顔でそう言った。洗濯して返すという選択もあったが、そう言われてしまうと反論する余地などない。
ハンカチを畳んでブラウスの胸ポケットにしまうと、男は満足そうな顔をし、すぐにその顔を心配そうなものへと変化させる。
「それより、大丈夫かい? こんなところで泣いていたようだけど」
「それは……はい。大丈夫です。心配かけてすみませんでした」
レオナは男に笑みを浮かべる。薄い、作り物の笑みだ。自分でもはっきりわかったが、これ以上この男と話したくなかったため、冷たい言い方になってしまった。
別にこの男が嫌なわけではない。むしろ誰も興味を持たずに一瞥するだけで去っていく中、こうして親切にしてくれた相手を無下にしたくはなかった。が、自分はもう人間じゃない。ただそれだけで、誰かと関わってはいけないのだと言う焦燥感があった。
レオナがあまり構わないで欲しいということがわかったのだろう。男は困ったように右手で頭をかくと、苦笑しながら一歩後ろに下がる。
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