今日もふたりは授業をサボる

双葉うみ

第1部

プロローグ1 今日も彼は授業をサボる

 窓辺の席は授業への集中力を散漫させる魔力を有している。

 薄い窓一枚を通して閉塞した教室から広く澄み切った世界を見ることができる。

 右肘で頬杖をついて窓の外の景色を眺める。

 黒板なんかよりも全然いい景色だ。

 改めて考えれば四、五十分、緑がかった黒い板に視線を集中させるなんて、正気の沙汰ではない。

 教師の早口な説明と同時にチョークの小気味いい音がカタカタとなったと思えば、すぐさま黒板消しで消されていく。

 座っているだけなのに、こんなにも焦燥感に駆られる感覚は息苦しささえ覚える。

 やっぱり正気の沙汰じゃない。


「ふぅー」


 小さくため息を吐いて窓の外を眺め続ける。

 スズメが電線に並んで自分の身体を口先で突いている。青空に揺蕩う雲の速度が少し早くなった。

 ぼーっと眺めていた。生産性なんか何もない、――この時間。

 馬鹿々々しい、と頭の中で独り言る。

 この現状を変えられるわけでもなく、抜け出すことも出来ず、ただどうしようもなく醜い現状維持を続ける。

 ああ、駄目だ。やっぱり駄目だ。

 時計に視線を移して一限目の授業があと五分で終わることを確認する。

 やっと終わる。


 そして、――ああ、二限目はもう無理だな、とゆっくり瞼を閉じた。



 二限目の授業を知らせる機械的な鐘の音が学校中に鳴り響いた。

 その音を俺は静かな廊下で不快に思いながら聞いた。

 時間を知らせるためのただの装置に過ぎない、ただそれだけなのに、どうにも俺には生きるのを急かしているようにも聞こえて嫌悪感を抱かざるを得ない。

 廊下を歩く。上履きと床とが擦れる音だけが妙に目立って耳に聞こえる。


 ――俺だけがいる。


 その感覚がどこか安心した。

 人間関係がとても辛いとは感じない。

 友人らしき奴らと話すのは苦ではないし、暇潰しには丁度良いし、楽しかったりもする。笑顔だって見せて、馬鹿話で笑い合う。

 けれど、胸の片隅で空虚感を抱いてしまうのは、やはり俺がどこかおかしいのだろうか?

 クラスの奴らと話している最中、突然景色が俯瞰的に見える。

 右隣の奴が笑っている。左隣の奴がつられて笑っている。正面の奴はおどけた顔で俺たちを笑わせている。そして俺は、同調して笑っていた。

 そういう景色が何故だか突然見えてしまう。自分自身でさえ他人のように客観視して、そしてこんな現状に空虚感を抱いてしまう。


 ――ああ、これじゃない。


 その否定の言葉だけは頭に思い浮かぶが、それ以上は進まない。

 俺は何を望んでいるのか。分からずに今日も生きている。

 廊下を歩き、階段を上がる。

 四階まで上がって、その上の屋上に繋がる階段も上がる。

 屋上に繋がる扉は学校の隅っこに位置している。

 つまりは学校の最果て。

 校舎には何百人と人間がいるはずなのに、このうすら寒い学校の最果てには人の気配は一切として感じなかった。

 たくさんの人がいるはずの場所で、誰もいない場所。

 そのアンバランスさに思わず口の端が吊り上がってニヤケてしまう。やばい、俺の今の顔キモイんだろうな。

 ようやっと落ち着けると言った感じだ。脱力して肩が思いのほか軽くなった。

 無意識に肩に力を込めていたのだろう。学校にいるとどうしてか疲労感が積もっていく。

 この疲労感が何を原因にしているかは分からないし考えたこともなかったが。


 ――やっぱり学校は疲れるってことなんだよな。


「帰りたい」


 屋上に繋がる扉を目の前に、小さな踊り場の端っこで俺は腰を落ち着けて、小さく呟いた。

 扉は生憎と鍵がかかっている。屋上で授業をサボれれば情緒や開放感的には最高なのだが、現実はそこまで甘くないらしい。


「ああ、帰りたい」


 また呟いた。

 本当に帰りたいわけじゃない。というか家に帰って何をするわけでもない。けれどただ、「帰りたい」と呟いてしまう。そういえば家にいる時も呟いてしまうことが多々あるし、もしかしたら自分の本当に帰るべき場所があるのかもしれない、なんて考えてすぐに馬鹿らしいと自分のセンチメンタルさを一蹴する。


「はあぁ~」


 欠伸が出た。

 扉からは温かな陽光がうっすらと漏れ出て、そして雑音の無い静寂のこの空間は当然の如く眠気を誘ってくる。

 二限が終わって、次は三限。そして昼休み。


 ――昼休みまで少しだけ眠ろうかな。


 耐えがたいまどろみが俺を襲う。



 本当に何もない学生生活。

 ただその日、目の前の時間を何も考えずに生きている。

 同じ日がずっと続く、灰色の日常だった。

 けれど、その日、屋上に繋がる踊り場というなんとも華のない舞台で、俺は彼女と出会った。


 ――君島香代(きみしま かよ)、それが彼女の名前だった。

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