熱暴走

口一 二三四

熱暴走

 僕は彼女に恋をした。

 検査室で見つめる整った顔立ち。

 眼鏡の奥に潜む瞳は冷ややであり、どこか熱が込められていて。

 唇に引かれたルージュは吸い込まれてしまいそうなほど魅力的で、束ねた黒髪がとても艶やかであった。


「今のところ特に異常は無いわ。でも気になることもあるから来週もここに来なさい」


 耳に入る彼女の声が頭の中で響いて揺れて、それが体の芯の芯を焼いた。

 去り際念のためにと渡された日記帳。

 今日から次の検査まで毎日の状態を記入するようにと出されたそれには、彼女がまとう香水の匂いが付いていた。

 華やかで、気品のある。

 クールな白衣姿の印象とはどこかミスマッチなバラの香りが僕の恋を彩るみたいで、合わせるように視界にも花園が広がって見えた。

 その日から僕の生活はまさにバラ色となった。

 朝になれば真っ先に彼女の顔が浮かび、昼になれば彼女が何をしているのか気になり、夜になれば彼女に「おやすみ」と信号を送る。

 日記帳には言いつけ通り僕の状態、思考を事細かに記載し、提出のための準備を整えた。


「……よく書けてるわね。次回もお願い」


 日記を読んだ彼女は外見によく似合う落ち着いた声で僕を褒め、次があることを伝えてくれた。

 それが堪らなく嬉しく表情が変わるような錯覚さえ感じた。

 嗅覚を刺激するのは彼女がまとうバラの香り。

 前回にも増して濃厚に思えるそれは、僕の機能を全て奪うみたいに全身に浸透していた。



 定期的な検査は随分長く続いた。


「……そんなことがあったのね」


 日を置いて検査室で会う。

 専用機器で調べている間に日記を読む。

 彼女との関係は進展しないまま、それでも会えるだけで嬉しくて僕は日記を書き続けた。

 時には彼女への想いをわざと書き殴って提出してみたり。


「えぇ、私も好きよ。アナタの好きとは、少し違うけど」


 含みを持たせた彼女の言葉に今までには無い不備を自覚したり。

 いつ壊れても不思議ではない日々は僕に生まれてきたことの意義を教えてくれた。



「お前それは異常あるだろ」


 しばらく経った頃。

 たまたま知り合った同型にそんなことを言われた。

 話を聞いただけで知ったような口を聞く態度が気に食わなかった。

 何故そう思うのか。どうしてそう断言できるのか。

 全身が軋む音を立て詰め寄ると、彼は身動ぎすることなく真っ直ぐに。


「だって俺達は『恋』なんてしないよう『作られている』だろ?」


 心底おかしな物を見るような目で告げた。


 …………恋なんてしないよう、作られている?


 いやそんなはずは無い。


 このショートしそうなほど湧き上がる熱をどう説明するのか?

 彼女を思い浮べるだけで上がる作業効率をどう説明するのか?



 デタラメだデタラメだ彼は間違ったことを言っている彼女へ傾けるこれは恋と呼ばれるものだ間違いない間違いない何故なら情報として存在するしているのだから間違いない間違いない彼は嘘を言っている彼は嘘を出力しているおかしいおかしい彼女を否定する人間を否定している同じ型でありながらよりにもよって人間を彼女を異常があるのはどっちだ異常があるのはどっちだ彼だ彼だ彼だ彼だ僕じゃない僕じゃない僕じゃない僕じゃない…………!!



「一度他の所でも検査してもらっ」


 そこから先は何も記録していない。

 視覚機能が復帰してから確認したのはスクラップになった同型。

 僕の手足を外しケースに入れる防護服の人々。

 何があったのかは明白で、僕が今どんな状態なのかは明らかだった。

 慌ただしく行きかう人々を記録媒体に納めていく。

 その中の一人から、華やかで、気品のあるバラの香りを見つけ。


「ありがとう。お陰さまでいい発表会になりそうだわ」


 僕の電源は落とされた。



「――以上が【『人に恋するプログラム』を入力された『アンドロイド』が「これは不具合だ」と自覚し適切な処理を行えるか】の検証結果です」


 眼鏡をかけて壇上に立つ女性はバラの香水で着飾ったまま。


「何か質問は?」


 発表を聞いていた人達に、ルージュの引かれた唇で問いかけた。

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