「死ぬの?」



 社会人になり何年か経って、悟る。あの時と何も変わっちゃいねえ、と。


 上司に「仕事をする時間が減る、体にも悪い」なんて執拗に言われて、ストレスで煙草をやめた。煙草を吸うのがストレスって笑える、と思い出すたびに小さく笑う。……ようにしている。


「6番ください」

「セブンスターですね。ありがとうございまーす」


 コンビニで煙草を購入した。電子煙草ばかりを見かけるようになり、普通の煙草を吸っている人なんて最近は見ていない。

 今日くらい、いいだろう。と、ライターも一緒に買った。


 その後、とりあえず電車に乗ろうと駅へ向かった。都会の喧騒から離れて静かなところで最期を迎えたいと、なんとなく思ったからだ。


最寄りの駅に戻るのは嫌で歩いて違う駅まで行き、電車に乗った。


 乗り継ぎを繰り返し、2車両しかないローカル線に揺られていると窓から海が見えた。



光に反射して水面が輝いている。平日の昼間。人が少なく、車内にはゆったりとした時間が流れていた。窓枠に腕をつき、海を眺める。橋の上を走る列車はカタンカタンと音をたてていた。



 適当な駅で降りようと立ち上がり扉が開くのを待っていると。停車しているのに扉が開かない。困惑していると「こうですよ」と主婦のような生活感の漂う女性が遠慮がちに微笑んで扉を手で開けてくれた。


 慌ててお礼を言うと会釈をしてくれる。


俺はここが何処だか、全く知らなかった。


 都会から離れる、と考えて真っ先に浮かんだのは地元。けれど、自分を知っている人がいる土地には行きたくなかった。誰も俺のことを知らない、俺が煙草を吸っても怒らない、心配されない場所に行きたかった。


 その駅は無人駅だった。改札を抜けると目の前に海が広がっていて、波の音が迸る水の音が聞こえてくる。潮のベタつく感じが近い。



 別に海を見たかったわけじゃないけど、なんとなくここに行き着いてしまった。

 一緒に電車を降りた人たちは何処に行ったんだろう。気づけば一人になっていた。



 低いフェンスに肘をついて、海をぼんやり眺める。



 「あ、そういえば」とポケットから煙草とライターを取り出した。吸わないともったいない。火をつけて口に加え、吸うと。



「……っげほ!っ、きっつ」


 喉に煙がまとわりついて、むせてしまった。しばらくやめてしまっていたせいで体が驚いている。それでも少しずつ吸ったり吐いたりを繰り返していると、深く吸って白い煙をふぅと吹き出せた。


 これから、どうするかな。


 頬杖をつきながら、煙を吐き出すと靄の中に人影が浮かんだ。


 煙草の煙が消えていくと、ワイシャツとスカートが風になびく。


「……女?」


 目を細めて砂浜を見つめると、制服らしきものを着ている長い黒髪の女が海に足をつけていた。他に人の姿は見当たらない。やけに波の音が近く聞こえた。風が強く吹き、髪が揺れる。


 学校をさぼって遊んでいるのかと思ったのも束の間、女はどんどん前へ進んでいき、ついにはスカートまで水に沈んだ。明らかに様子がおかしい。


「……げほっ」


 またむせてしまう。喉を押さえながら、昔使っていた携帯灰皿を鞄の奥底から見つけ、その中に入れる。


 革靴で砂浜を歩くのは初めてだった。靴が飲み込まれていくような、変な感覚。


波が引いては迫りを繰り返す。砂浜には海藻の中に空き缶やビニールや大きな板のようなゴミがあちこちに散乱していた。裸足で歩いたら怪我をしてしまいそうだ。



「なあ!何してんの!」



女はお腹のあたりまで海に浸かっていた。鞄と靴が砂浜に置いてある。


 風にのり、俺の声が彼女の耳まで届くと、びくりと肩を震わせて少し間を置き、彼女は振り返った。


二重のぱっちりとした目に輝きはない。どこか淀み、窪んで見える。けれどそれに反し、黒髪には深さと艶やかさがある。それは若さの象徴であるように思えた。


「……——。」


 目が合うと怯えた表情をして、唇が動いた。ただ、何と言っているのか分からない。


「死ぬの?」


 彼女に聞こえるよう大きな声を出すと、またびくりと体を震わせた。


 目を伏せてからおもむろに首を横に振って、彼女は小さく息をついた。


 波が押し寄せてくるたびに、ふわりと彼女の体が浮く。青緑の海。俺が想像した透き通る海とは全く違う。


 彼女は髪を耳にかけるとこちらへ戻ってきた。ザブザブと音を立て足で海を掻き分けながら。


 紺色のプリーツスカートは足に張り付き、お腹あたりまで浸かっていたせいでへそが透けていた。



「死ぬつもりはないので、その……安心して、ください」



 彼女は鞄を肩にかけながら、ぼそりと口にした。抑揚のない女子らしい高い声で。


それは咄嗟についた嘘なのか、それとも本当のことを言っているのか俺にはわからない。


ただ、どうしてちょっかいを出したのか自分でもよくわからなかった。



 死は、自殺は、ぷつりと人生の張り詰めていた糸が切れるもの。


 死んだ瞬間からはもう何の責任もなくなる。生きる責任でさえ。


 だから俺にとって死は救いのはずなのに。彼女がもし本当に自殺をしようとしていたのなら俺はその救いを止めたことになる。矛盾しているじゃないか。



「……いや、ごめん。死にたいならどうぞ。引き止めて、ごめん」


「……はい?」


 靴を人差し指と中指にかけて、俺を通り過ぎようとしていた彼女が足を止める。


 眉を顰めて、俺をじっと見つめている。


「えっと、私に自殺してほしいんですか?大人も、そんなこと、言うんですね……。」


「別に引き止めるつもりはなかった、はずなんだ。だから、ごめん」


「……よくわからないですけど、私、本当に死ぬつもりなんてないので」



 目を伏せて彼女はか細い声を出した。少しの間を置き、歩き出そうとする彼女に「あっ」と声を漏らしてしまう。


ぼんやりとした目をして、俺へもう一度目を向ける。「ああ、えっと」と濁しながら舌足らずに言葉を無理やり続けた。


「け、怪我しちゃわない?この砂浜、ゴミ多いし、危ないって」


「……ご忠告、どうも」


「……ああ、いえ」


 むやみに話しかけていいわけがない。相手は女の子、俺は大人でこの子の年齢から見ればおじさんの部類なわけで。



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