聖なる夜のたかし

 もう18時か。

 彼女との約束の時間まで、あと2時間。

 そろそろ、僕は、人生を左右する程の大きな決断を下さなければならない。

 『ルイ・ヴィトンのバッグが欲しいの。この、30万円のやつ』

 彼女が申し訳なさそうに、うつむきながら、か細い声でそう言ったのは、一週間前の事であった。

 2人で過ごす、初めてのクリスマス。

 やっぱりプレゼントはサプライズが一番だとは思ったけれど、せっかくお金を使うのであれば、彼女に喜んでもらいたい。

 それに、彼女だって、どんなにセンスの悪い物を渡されたとしても、彼氏からの初めてのクリスマスプレゼントは、きっと、処分に困るであろう。

 少なくとも、僕の彼女は、そういうこまやかな心を持った女の子なのである。

 だから、僕は思い切って、

 『クリスマス、何か欲しいプレゼントある?』

 って聞いてみたんだ。

 そしたら、臆病に震える子羊の様な彼女の口から、ルイ・ヴィトンという邪悪な呪文が飛び出したのである。

 あまりの衝撃に、まだ何が起こったのか理解出来ていない僕に、彼女は、30万円のルイ・ヴィトンのバッグが映し出されたスマホの画面を向けてきたのであった。

 気持ちがあれば、お金なんていらない。私は、たかしが側にいてくれるだけでいいの。

 そんな事を言ってくるタイプの女の子だと思っていた彼女の口から飛び出した、まさかの禁断の呪文、ルイ・ヴィトン。

 30万円っていったら、僕のバイト代2ヶ月分である。

 どうしよう。どうしよう。と迷っているうちに、あっという間に時間が過ぎて、気がつけば、もう18時。

 先程ATMから下ろしてきた30万円を、取り敢えずリビングのテーブルに置いて、僕は、ルイ・ヴィトンを買うか否かの決断を下すべく、行く当てもなく街に飛び出したのであった。

 もちろん、彼女の事は大好きだ。

 それは、彼女の口から、ルイ・ヴィトンという邪悪な呪文が発せられた後も変わる事はない。

 でも、学生に30万円の一括払いは、正直キツイ。

 それに、ハイブランドとは無縁の、全身をファストファッションで固めた彼女が、小脇にルイ・ヴィトンの30万円のバッグを抱えている姿を想像すると、なんだか、とっても悲しい気持ちになる。

 もしかすると、彼女は、ヴィトンのバッグを皮切りに、アニエスベーやアイシービー等のハイブランドを僕に買わせて、バッチバチのハイブランドガールへの修羅の道を歩もうとしているのであろうか?

 彼女は羊の皮を被った狼なのであろうか?

 もう、いっその事、ハイブランドなんか着なくたって、君は充分可愛いから、大丈夫だよって言って、今年のクリスマスプレゼントは、感動的な手紙と、手作りのクッキーで済ませてしまおうか?

 いやっ、今からクッキーを作る時間は無いから、レンチンご飯パックで、ごま塩をまぶした握り飯でも…

 クリスマスプレゼントにヴィトンのバッグが欲しい、と言っている彼女に、おむすびなんかプレゼントしたらどうなるかなんて、勉強の苦手な僕でも、流石に分かる。

 あ〜、もう、お金持も引き出しちゃった事だし、今年は思い切って、ヴィトンのバッグプレゼントしちゃおうかな!

 でも、どうせ30万円も使うんだったら、あしなが育英会にバンッと気前よく寄付して、あしなが少年になりたかったなぁ。

 恵まれない子供達が、クリスマスの奇跡に笑顔する所を想像しながら、家路を急ぐ。

 そんな素敵な光景が見られれば、30万円なんて安い物だと思う。

 子供の笑顔とルイ・ヴィトン。

 どちらに30万円を支払うべきか、僕の心は知っているけれど、でも、子供達へのプレゼントは、また今度。

 今年は、彼女にルイ・ヴィトンだ。

 あしなが少年への未練を断ち切って、玄関を開けてリビングへ向かうと、机の上に置いていたはずの30万円が無くなっていた。


 それはまるで儚く消える聖なる夜の雪の様であった。

 

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