幼馴染と妹に補正なぞ存在しない②
俺は変わらない彼女を見て、少し安心した。一生このままでいてくれ。
こいつは本当に、どこまでもドライだ。
口ではああいう風に言っているものの、順位で一喜一憂しているのは見たことがない。
勉強以外、さらに言えば自分ができるかどうか意外にとことん興味がないように見える。一位を取り続けているのだって、副産物に過ぎない。
自分に嘘をつかず、やりたいことをひたむきに続けることはそれなりに大変なことで、そしてそれゆえに正しいことだと思う。
それに、ドライな方が良い。変に「普通の幼馴染」じゃなくて助かったまである。
まぁ、とにかく。こんな塩対応の南部さん(俺に甘いわけでもない)ですら、一応俺の数少ない周辺人物というわけだ。俺の周り、人間少なすぎィ!困った困った。いや別に困ってはないんですけどもね。
「なぁ、お前の進路って聞いてもいいやつなのか」
ふと、そんなことが気になって聞いてみた。母親や鳥居先生に心配されたのを思い出したからだ。
不安……というわけではないけれど、他人の進路が気にならないわけではなかった。
こういう時に聞いておくべきだろう。
「え、なに突然……」
「参考までにと思って」
一瞬怪訝な顔をしていた美咲は、俺に言って良いものなのかと考えていたのか、少しだけ黙り込んでから、意を決したようにこっちを向いた。
「私は医学部に行くつもり」
「……ほほー」
「私立は信じられないくらい学費高いから……。なんとか国立に行きたいの」
それでも十分高いからまだ決まったわけじゃないけれど、と美咲は付け加えた。
なるほど。それでこんなに勉強しているわけか。素直に感服せざるを得ない。
「凄いな、お前」
「ほめても何も出ないよ」
「それもそうだ」
それっきり、風の音だけが俺たちの間を流れた。
俺は空を見上げる。茜と紺のグラデーションはもうすっかりなくなっていて、辺り一面を濃紺の星空が支配している。
「あ、お兄ちゃん」
「は?」
そこに、突然声がかかった。美咲が勉強のし過ぎで狂った……。
ってんなわけないですよね。
俺らが声のした方を振り向くと、そこにはセミロングの髪を後ろでシニヨンにまとめ、夏用の半袖ジャージは肩までまくる俺の妹、木下千春が手を振りながらこちらに駆け寄ってくる姿があった。
小麦色に焼けた肌は、日々明るいうちからこの時間まで部活にいそしんでいたことを伺わせる。
エナメルバッグには、SOCCER CLUBと書かれている。全国常連だとかで、とても強いらしい。そのなかでレギュラーを勝ち取っているというのだから、大したもんである。
……てか、こいつまた身長伸びてねぇ?
学年の中で低い方ではない美咲よりも、明らかに高い。
陰キャの兄さんは、そろそろ陽キャ、ガチアスリートの妹に家庭内人権を失われてしまうのですが。
……うん、そうだよね。
今度は俺がだがちょっと待って欲しい(天声人語)される番だね。
妹と幼馴染持ってるのは麻雀で言えばリーチ一発ツモタンヤオドラ二の跳満くらいラブコメっぽいね。つっても、幼馴染がアレの時点で盛大にチョンボで四〇〇〇オールだよね‼だから許してくれ。
そもそも、世界は姉・妹を神格化しすぎなのだ。統計的に、一人っ子である家庭は三割弱である。
兄妹、または姉弟の家庭は、恐らく我々が思っているよりもずっと多い。妹パラドクスだ。
とは言っても、隣の芝生は青いよねー。俺もお姉ちゃん欲しい。
とまぁなんであれ、アニメのような妹、というのは幻想にすぎない。
実際の妹なぞ、小六のくせに無駄に色気があるわけではないし、お兄ちゃんだけど愛さえあれば関係ないわけでもないし、妹モノのエロゲもやっていない。
小町ポイントも稼がないし、無駄に兄のことが嫌いでなわけでもない。
そういうのは伝説だ。プレスタ―・ジョンよりも伝説。普通に塩対応してくるかと思えば鬱陶しくてどうしようもないときもある。
「こんばんは、千春ちゃん」
「美咲さ~ん‼おひさです~」
律儀にお辞儀する美咲に対して、千春もぺこりとお辞儀をした。
肩にかかったバッグがずり、と垂れ下がる。それから顔をあげると、二人で仲よさそうに歩き出した。
……俺は、しょうもないことを考えている間に完全に置いていかれていた。
「ちょっと千春ちゃーん?なんでお兄ちゃんを置いてっちゃうのかなー?」
「は?だってなんかキモいこと考えてる顔してたし……」
「キモ……」
軽いショックを受けた。
千春、キモいとハゲてるは他人に最も言ってはいけない言葉だから。
いつも親父に言ってるけど、その度に泣いてるからね?せめて俺に言うのはやめろ。
「ところで、なんでお兄ちゃん今日はこんな時間に?いつもは家帰って昼寝してるかアニメ見てるでしょうに」
「図書館で勉強してたんだよ」
俺の言葉を聞いた千春は、口元に手を当て、すすすと近くの電柱の陰に隠れた。
「お兄ちゃんが……勉強……?明日はスパナでも降るのかしら……?」
ほらな、言ったろ。我が家では俺が必要以上に勉強することは盲亀の浮木かというくらい珍しがられる。俺のことを何だと思ってるんだ、全く。
「失礼な小娘だな……。俺にだってそういうときくらいある」
「へーそっか」
千春はけろっとした顔で言い放った。一ミクロンも興味なさそう。
なめとんのか、このクソガキ……。
「じゃ、私こっちだから」
「あぁ」
「ではでは~」
茶番をやっているうちに、俺らは家の近くまで来ていた。
俺と千春の数歩前を歩いていた美咲は、ぴっと指で自分の進路を差し、シャフ度ばりに首を傾いて少し気だるげに言う。
俺はそれに応えるように軽く手をあげる。その隣で、千春が大きく手を振った。
そのままそれぞれ違う方向に歩いてゆく。ちらりと美咲の方を見てみると、既に一心不乱に勉強を始めていた。ほんとブレないなあいつ……。
「ね、お兄ちゃん、今日の夕飯何かな」
「知らんけど、サバミソとかじゃん」
「え~骨取るのめんどくさいな」
そんな他愛のない話をしながら、俺らは残り僅かな家路を急いだ。
妹とできるような会話がほかの人に対してもできれば、あるいは俺もこんな人間ではなかったのかもしれない。
今の自分が嫌いなわけではないけれど、そんなありもしない未来を少しだけ夢想して、そしてすぐにそれをやめた。
それは、こいつが曲がりなりにも十数年にわたって俺と接し続けているからこそできる芸当だ。
それを他人にも押し付けるのはいささか無理がある。
おまけに、明日からは、俺の平穏がかかったテストなのだ。そんなこと考えている暇はない。麻雀をしている場合でもない。脱セルフハンディキャッピングだ。
さっき美咲に聞いた話が本当なら、少しくらい悪あがきをしておいた方がいいのやもしれん。やっぱ今更やっても意味ないかな……。
まぁ、もしも今日の夕飯が当たったら夜は勉強をせずにネット麻雀で遊ぼう、と思ったところで家の方から香辛料の香りがした。
「カレーかぁ」
「カレーだな」
似たようなことを言いながら、俺はドアを開けた。
夕飯を食べ終わったら、もう少しだけ社会科を詰めて、明日に備えるとしよう。
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