俺はオタクに優しいギャルなんか信じない③

「あ、トージだ。どこ行ってたの?」


 入った瞬間に、彼女は俺を目ざとく発見した。仲睦まじく話していた集団をうまい具合に抜けてきて、たたた、とこちらに寄って来る。


「北条……」


 少し赤みがかった明るめの茶髪に、ナチュラルメイクが施された顔は快活な笑みを浮かべている。

 制服は校則違反にならない程度に気崩されて、ブラウスを腕まくりしていた。

 歩くたびに手首の黒いヘアゴムと、左に結わえられたサイドテール、それにスカートと胸元のリボンがふわりと揺れる。

 大して近い距離ではないのに、ハンドクリームの甘い香りが鼻腔をくすぐって俺は思わず少しだけ後ずさってしまう。


 北条夏海。目下最大にして最凶の、俺の悩みの種である。


 新学年が始まると同時にこのクラスに転入してきたこの女は、五十音順の出席番号で決められた座席で、俺の隣だった。

 容姿、性格どれをとっても完璧、おまけに転入生という真新しさもあって、瞬く間にクラスのトップカースト集団に迎えられていた。


 別に、それ自体は構わないのだ。俺はその手のことにそもそも興味がない。まだ今日の自分の運勢の方が興味ある。

 問題は、この女が俺をぼっちだと憐れんでいるのかなんだか知らんが、大体GWを境に、何かにつけて話しかけてくるようになったところにある。

 不幸なことに席替えがあったにも関わらず俺の隣の席は再び北条。この状況は依然として続いている。


……が、こいつがなぜ俺に絡んでくるのか。それがさっぱりわからない。


 まず間違いなく、何か裏がある。それだけはわかる。なぜならさっきも言ったとおり、初手から無条件にオタクにやさしいギャルなぞ、現実には存在しないからだ。

 俺は詳しいんだ。

 というかそもそも、俺はぼっちではない。


 ……いやほんとだよ?


 友達がいるかは別として、日常会話はできる。というか友達に準ずる存在も、普通にいる。片手で数えられるくらい。

 単に一人でいるのが好きなだけで、断じて消去法で一人でいるわけではない。これでいいと心の底から思っている。

 だがしかし、中にはそんな意図を無視して踏み込んでくる人間もいるのだ。そのうちの一人がこの北条だった。


「先生に呼び出されてただけだよ」


「何かやらかしたんでしょ~夏海ちゃんに話してみ?」


 北条がうりうりと、肘でわき腹を突こうとするのを身体をひねって躱す。

 スキンシップしていいのはアイドルか艦娘だけなんですよ。なんなら、アイドルは普通に拒絶してくるまである。好奇心は猫を?殺すんだよなぁ……。


「生活科学のレポートの書き直しを命じられたんだよ……」


「ほーん……」


 改めて思う。


 この女は何を考えているのかわからない。


 通常、人間には言外の意思、みたいなものが存在していると俺は感じる。

 よく言われる「本音」と「建前」、受け手側からすれば巷で有名な「忖度」というやつだ。まぁ、あくまで事務的な会話を除いてだけど。 

 裏表がないなら裏表がないなりに言外の意思も言葉と一致しているし、本音が分からないにしても、建前と一致していないかどうかは、挙動や目線から結構わかるものだ。

 何かを隠そうとしている時だって、案外人間は隠しきることができない。


……もちろん俺の話じゃない。悪かったな。


 聞こえてくるクラス内の会話は、そういう時が多い。

 確かに、「今どんな気持ちか当ててみて?」には正確には答えられないだろう。せいぜい感情の正負が限界だ。けれど、「今何がしたいと思う?」にはある程度論理的にこたえられる。

 遠目に見ている俺ですらそのあとの会話の流れを察することができるのだから、直接会話している当人は、恐らくもっと察しやすいはずだ。


 ……これだと俺が盗聴しているみたいだな。違うの。聞こえてくるだけなんすよ。みんな声でかいから。


 例えば向こうで話している女子の一団。「最近暑くなってきたよねー」と言いながら窓を眺めている。あれは窓際の誰かに窓を開けてもらうの待ちだな。

 他にはあれだけ露骨じゃなくても、さっきから北条が抜け出してきた一団が、こっちの方をちらちらと見ている。

 「早くその子返してくんね?」といったところか。いやぁ、なんかすみませんね……。


 演技がうまい人だって中にはいるだろうが、多くの場合は受け手の不注意でサインを見落としていることが、しばしば「すれ違い」と呼ばれる、人間関係の云々を産み出す原因となるのはよくある話だ。


 けれど、北条は別だ。


 今の一言もそう。ほーん……と言っておきながら、興味がないわけでも、訝しんでいるわけでもない。

 かといって本当に納得しているかと言われるとそういうわけではないように思えるし、腹蔵なく考えを曝け出しているわけでもないように見える。

さらに、こいつは時折普段の明るい性格からは想像もつかないような、醒めた表情をしていることがある。

 それもまた、俺が彼女を訝しむ一因だった。


 ぱっと見て、今もなんとなく作り物めいた表情をしているように思える。

 ……思えるが、本当にそれだけだ。本当の北条が一体どういう性格をしているのか、俺には見当もつかない。そんな状況。

 北条と一瞬だけ目を合わせたあと、俺はそそくさと席に戻った。


 ……はいやめやめ。


 どうせ大して関わらないこいつの頭の中身に、時間を割く意味も特にない。

 残念なことに向こうはやめる気がないようで、席についてからも会話は続いてゆく。

 こいつ、席が隣だもんなぁ、困ったなぁ。てかさっきの一団に戻ってくれ。まだこっち見てて怖い。


「ときにトージ」


「いま一三時〇三分」


「そんな話してないし……」


 バカじゃん?という目で北条は俺を見ている。

 待て、お前いまバカじゃん?ってこっそり言ったろ。聞こえてんぞ。


「それでね、あたし今部活作りたいな~って思ってて」


「へー」


「それで部員がまだ二人しかいなくてね?」


「ほー」


「実は、トージに入って欲しかったり」


「はー……は?」


 聞き捨てならない言葉が隣で聞こえた気がする。なに?部活入れ?どういうこっちゃ。


「なんだって?」


「だから部活だって部活。トージいま帰宅部でしょ?なら暇かなって」


 北条はこてんと首を傾げて、さも「なんで入らないの?」といった顔でこちらを覗き込んでいる。

 確かに俺は帰宅部で暇だが……。


 部活?絶対に嫌だ。


「他をあたってくれ。帰宅部ならいっぱいいるだろ」


 あっちで睨んでるやつらとか。名前知らんけど。

 そう思っていると北条は、手に巻いているヘアゴムをいじりながら困ったように笑った。


「やーみんななんだかんだ忙しいっぽくてさー……。花梨とか美玖ちゃんは普通に部活やってるし。加奈ちゃんは彼氏いるっぽいし……」


 はっ。それ見たことか。

 こんなに目の前に虚構の被害者がいるとはな。心の中で合掌しておく。ただし協力はしないからな。


「じゃあ、あたしとトージで何か賭けして、それで勝った方が何かお願いできるってのはどう?」


 北条はそれでもめげない。なんとかして俺を引き入れようと躍起になっている。

 これ以上話を長引かせるのは逆に得策ではないな。三分以上会話できない病気にかかっているのでとっとと話を切り上げたいし、詭弁を弄され始めるのは困る。もっと面倒なことになりかねない。

 ここは、賭けとやらに乗ってさっさと勝ってしまうのがいい。

 あと腐れなく、すっぱりと関係を断つ俺の手腕。そこに痺れる憧れるゥ!


「わかったわかった、それでいいから」


「え、うっそマジで?やったー‼じゃあ賭けの内容はトージが決めていいよ」


 俺の言葉に、北条はずいぶん喜んでいた。

 この条件にこぎつけることすら、よほど苦労があったように見える。

 こいつも大変なんだなぁ……。すこし手心を加えたくなってきたまである。無理難題を押し付けるのはやめてあげよう。


「そうだな……。じゃあ、次の試験で俺より文系科目の順位が上だったら考える」


 俺の成績は基本的に悪くない。数学と物理を除けば。文系科目はいい方なのだ。

 国立大学を目指して日々塾に通っているような人間でない限り、理数科目を抜いた俺がまず負けることはないと思う。

 それに俺はこいつと隣の席だから、こいつが授業中にうとうとしがちなのを知っている。

 まもなく始まるテストに、今から間に合わせるのはかなり骨が折れるはずだ。

 俺の土俵に上がってきた時点で俺の勝ちは決まっている……などと思っていると、北条は目を輝かせながら頷いた。


「わかった‼」


 そこでまた、自己主張の激しいチャイムが鳴った。五限が始まる。

 教室内は自分の席に戻ろうと急ぐ奴らの足音や話声でわいわいがやがやどったんばったんと騒がしくなった。

 大騒ぎしすぎだわ。ここはなんとかぱーくなのかな?私はナマケモノのトウジだよ♡


「あたし頑張るから‼」


「おー、頑張ってくれー」


 北条はむんっとガッツポーズを作った。申し訳程度にエールを送っておこう。

 にしても、ずいぶんと熱が入ってるな……。

 一応、いつもよりは若干まじめにやっておくか。とりあえず、これで試験結果が出るまでは大丈夫だな。


 話がひと段落したのと同時に、五限の数学の教師ががらがらと入ってきて、クラス委員の号令がかかった。

 不揃いに椅子を引く音がして、めいめいがバラバラに礼をする。いつも通り授業が始まった。

 前回から引き続き、微分積分をやっている。全然わからん。てか、ぶんぶんうるせえ。蜂か。


 次第についていけなくなり、教師の声が子守唄のように聞こえてきた。

 ちらりと横を見てみれば、北条は既に机に突っ伏してすうすうと寝息を立てている。さすがに寝るの早すぎでは……?

 数学は勝負に入ってないし、俺も寝ちゃうか。というか、こいつ相手なら勉強しなくても勝てるんじゃ……?なんて楽観的な考えをしながら、俺は夢の世界へと徐々に引き込まれていった。

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