第83話 たりない

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「これは、ヴァルハロ辺境伯閣下。一緒にいるのは……ナルキス第一騎士団長かな。」



 扉を開き、ジョンと共に謁見の間に入った私に、茶髪の男が声をかけてきた。


 40歳ほどに見える男は、豪奢な椅子にもたれかかっている。ローブのフードで顔の見えない男と仮面の男がその前に護るように立っていた。後ろから、続ける。


「お目にかかるのは、たしか昨年の皇宮晩餐会以来か……。おっと、私のことなど覚えがないという顔だな。

 私はディーブ=モレク。今はまだ伯爵だがすぐに貴方よりも高みに登ってみせよう。」


 ふふん、とせせら笑うモレク伯爵の態度は、貴族らしいと言うよりも断れない皇宮主催の晩餐会で何度か目にした、公爵家や侯爵家の取り巻き貴族たちのそれだ。


 高い魔力を感じるのはローブと仮面の男であり、モレク伯爵からは危惧するような魔力は感じられない。


 ……嫌な気配がする。


 広い謁見の間を見渡すと、東側の柱に宰相が魔力で拘束されている。ジョンが柱に駆け寄るが、解けない。かなり強固なもののようだ。


「モレク伯爵。なぜこのような暴挙に出た。マズロ宰相を盾にして、いったい何をするつもりだ!」


 ジョンの問い掛けに、滑稽だとばかりにモレク伯爵は答える。


「暴挙とは酷い言われようだな。宰相閣下は大事な交渉材料。何もするつもりはない。

 ……今のところはな。」


 ククッと口の端を歪めるモレク伯爵。

 その表情に違和感がある。憎悪や殺気がない。


「もし、皇帝陛下との謁見が叶うならば、私の要求も、なぜ宰相閣下にこのような手段をとったのかも全てを話そう。」


 挑発するかのような言動。何のために……まさか、これも時間稼ぎだというのか。


 

『聖者の手だけでは止められぬ。』


 勅命にあった皇帝陛下の言葉を思い出す。


 伯爵以下の者が皇帝陛下に謁見する場合、陛下がご入場される前に謁見の間に複数の人間が同席する決まりだ。


 最低でも4名の近衛兵、宰相、教会の司祭以上の者が玉座の下に左右に別れて並び、謁見許可を得たものが跪いてから皇帝陛下の入場となる。2名の近衛兵は謁見の間の外で警護している。


 謁見許可のないローブの男と仮面の剣士がモレク伯爵と一緒に押し入ろうとするところに騎士団長のジョンが騒ぎを聞きつけ、乱戦になったという。


 倒れていた近衛兵と思われる者が6名、拘束されているマズロ宰相。


 いたはずの教会関係者が、1人足りない。


 私が一歩進むと、黒い仮面の剣士が柄に手をかける。それをローブの男が肩を叩いて制す。

 剣士はいささか短慮な印象だ。おそらく若いのだろう。テッドと同じような背格好に見える。


 もしや、モレク伯爵の手に堕ちたという『勇者見習い』ではないか? 名はイスカルと言ったか。


 最速で片付けた方が良さそうだが、宰相の魔力拘束を解くのが先か。


 宰相のいる柱までの距離とジョンの立つ場所を目測で確かめる。


 戦闘の痕か石造りの床が数ヶ所砕けている。これは、都合がいい。


 前方に数歩進みながら、転がっている足元のつぶてを音を立てて蹴る。


「皇帝陛下に何か要求するつもりでいたのならこの襲撃自体が間違っている。

 貴殿はそれも承知の上のような口振りだな。

 ところで……謁見の間にいたはずの人間が1人見当たらないが、どこにいる?」


 その言葉を聞いた途端に、伯爵のわざとらしい笑みが消えた。


「殺れ。」


 仮面の剣士が、命令とほぼ同時に飛び込んで来た。


 今の私の力では、剣を抜いたら胴体を輪切りにしかねない。

 突き込んできた剣に添って、こちらの剣は抜かずスルリと鞘で剣の腹を撫で、勢いを削いだ。


 勢いは悪くないが、直線的な動きだ。剣速を殺されたことに驚いているな。

 ロザリア相手より、ずっと読みやすい。



「命令に反応するように訓練されているのか。では、聞く相手を変えよう。

 マタイ村の勇者イスカル。なぜモレク伯爵に従う?」


「なッ……!! なんでそれを!?」


 驚き、後ろに跳んだ仮面の剣士は初めて声を上げた。やはり、間違いないようだ。



「テッドから聞いている。君に聖剣を返したいと行方を探していた。」


「え、……だ、だってテッドは大蛇の牙が腹に刺さって、治療院で一生寝たきりだったはずじゃ……!?」


「助かったのさ。『奇跡の御手』によってな。」


「そん……な、じゃあ俺は、……っ!」


 剣を落とし、仮面も外れる。泣き顔のイスカルは、テッドよりも幼く見える。


 テッドを助けたければ、力を振るえと言われたか。

『教会の司祭の癒しの力を使って治す』とでも……。愕然としたイスカルが、涙を流しながら首を橫に振る。



が『悪人は成敗すべき』で『勇者にしかできないことだ』って言ったから俺……今までも言われるまま……た、たくさんの、人を斬って……っ!

 おれ、勇、者……見習いになんてっ……っ、なりたくなか……った!」


『あの人』と、イスカルが言う視線の先に伯爵はいない。おそらく謁見の間から消えた者のことだろう。

 崩れ落ちるようにイスカルが膝をついた。


「イスカル。与えられた職業に振り回されることはよくあることだ。だが、自分の在り方を決めるのは自分自身。お前に足りなかったのは運ではない。奪った命の重さも背負って生きる覚悟だ。それが何かを守るためだったとしても、武器を取るときに決めるべきものだった。」


「う、……ぁあアアア……ッ!」


 武器を向ける相手を誤ったな。友が側にいれば、道を踏み外すこともなかったかもしれない。



「ライル!」


 魔力が弾ける音がしてジョンが叫んだ。


 眼前に現れた黒い獣が、私ではなくイスカルへ襲いかかる。


 身体を滑り込ませ、鞘から中ほどまで剣を抜いた。2つに裂けた獣は壁に激突して霧散する。


 獣が霧散するのを見て、ローブの男が肩を震わせて笑っている。



「イスカル。貴方の精神的な未熟さは折り込み済みです。ただ、あの方の情報を口にするのはいただけませんネ。

 まあ、『なり損ない』ではこの程度でしょうか。」


「仮面の奴も……騙してたのか。クズだなお前っ。」


 宰相を抱え、椅子に座っていたモレク伯爵を当て身で眠らせたジョンが、吐き捨てるように言った。



「おや、驚きましたよ騎士団長殿。なかなか狡猾ですネ。

 宰相の魔力拘束が解けないと、おろおろして見せたのは演技ですか?

 今の一瞬で伯爵のもとまで跳躍しただけでなく、気絶させているなんて。」


 砕けた床の礫を蹴りあげた時に、魔力遮断が付与された小粒の魔石をジョンの方に蹴り渡しておいた。

 ジョンはそれを使って宣言通り宰相の拘束を解き、伯爵を無力化したのだ。


「さんざん近衛兵を操って攻撃してきた奴に、狡さを褒められたくないな。

 ライル、あと頼んだぞ。」


「ああ、任せろ。」

 

 肩に宰相を担いだまま、伯爵の襟を掴んでひきずりながら扉から退避しようとするジョンにローブの男が手をかざす。


「勿体無いですネ。せっかくの余興ですよ。もっとゆっくり楽しんではいかがですか?」



 一息、ローブの男が手に魔力を集中するより速く。かざしたその手を斬り落とした。


 斬った手は、床に落ちる前に黒い靄へと変わる。



「フ、フフ、思った以上に優秀なのですネ。ヴァルハロ辺境伯閣下。少しばかり見くびっておりましたよ。

 騎士団長殿にも何か防護魔法を授けたのでしょう? 私の呪術が弾かれてしまいました。」


 泣き崩れていたイスカルの襟首を掴んでジョンの方に投げる。


「ジョン、行け。 宰相閣下の治療は頼んだぞ! イスカル、お前も行け。早くテッド親友に会って一度殴って貰え。」


「クッ、わかった。気をつけろよ! ほら、来いッ少年!」


 退避が完了し、扉がしっかりと締まったのを確かめ、片手を失ったローブの男に意識を集中する。この男が魔族であることは明白だ。


「メルクリウス治療院にいた黒い梟は貴様だな?」



「呪術を弾いたのは、あの腕輪でしょう? おそらくダンジョン産の魔道具でしょうネ。

 それにしても辺境伯閣下は、想定よりかなり早い到着です。治療院があと3件残っていたはずですが……皇帝陛下を優先して見殺しにしたんですかネ?」


 パサリとフードを落とした男は、開いているのかわからないような細い目で笑っている。左頬に、黒い翼の刺青が刻まれている。


「安心しろ。患者に死人は出ていない。消え失せたがな。」


「同胞? 誰のことでしょうネ。」


「『脳筋』に『酔っ払い』さ。とぼけるなよ『根暗野郎』。貴様らの本体……魔王を、どこに逃がした。」


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