第68話 とくべつなひと *ロザリア
わたくし、ヴァルハロ辺境伯家メイド長のロザリアと申します。長年、ライルぼっちゃまにお仕えしております。
冒険者と貴族の狭間で翻弄され、辛いこともそれと口にできぬまま幼少期を経たぼっちゃまに、精一杯の真心を込めて寄り添って参りました。時に厳しくお教えしたこともございます。
冒険者の道を歩む上で、避けて通ることの出来ない命の奪い合い。もとがお優しいからでございましょう。その中でも命というものの重さや、守るためとはいえ逆に命を奪う罪悪感に、ぼっちゃまは堪えかねておいでのようでした。
わたくしは所詮メイドでございますので、ぼっちゃまご自身で乗り越えていただかねばならないこともございます。
暗く沈む心を、優しく包み込むことのできる方が……そう、たとえば可愛らしくも芯の強い女性が現れてくれたなら、わたくしはどのような手段を使ってでもお支えしようと、夢見るほどでございました。
そんなわたくしにとって、驚きの日々がはじまったのは、ぼっちゃまが二十歳の節目を迎えられた翌日からでございました。
ポワゾマアモの繁殖地に向かわれたぼっちゃまが、1人の女性を救助したのです。
「客人だ。丁重に頼む。
似合う服を着せてやってくれ。」
女性に対して、丁重な扱いであることや服の良し悪しをぼっちゃまが気になさる様子など、今まで見たことがございません。
リク様と仰るその方は、見れば見るほど可愛らしさの溢れる女性でございました。
大きな琥珀色の瞳に白く滑らかな肌、短くも艶のある栗色の髪、真っ直ぐに目を見て感情豊かに話される様も含めて、なんと魅力的なのでしょう。
この方ならば、ぼっちゃまの暗闇に沈む心を癒すことができる『特別な方』になり得るのでは……。ローストティーを微笑みながら飲むリク様の姿に、わたくしは期待を膨らませておりました。
そんな出会いからリク様と、程無く救助された
独自の教養を身につけていらっしゃるので、お2人のなさることはわたくしにも予測の出来ないものばかりでございます。
夫のヴァンディも巻き込んで、あれよあれよという間に回復薬を改良、栽培に目処をつけるまでにおなりです。
リク様は見事にぼっちゃまの心を暗い闇の淵から助けだし、すっかり癒してしまわれました。
わたくしのリク様に出会った時の期待は、現実のものとなったのでございます。
ただのワンピースだけでも可愛らしいリク様に、ぼっちゃまはついにご自身でドレスを買い付けるまでに成長されました。
これにはわたくしも、あまりの喜びに震えたものでございます。
わたくしも一足先にリク様のドレスを発注し、既に時期の決定している皇宮晩餐会に間に合うように手配してはおりました。
順調に進展が見えは致しますが、お2人の距離感が具体的なものとして社交界に発信できた方が、ぼっちゃまの精神的には良いと考えております。
密偵の報告を受け取りつつ、仕立て屋にまわると、娘のスピカがリク様のドレスの刺繍について相談があると言うので胸元の刺繍に金糸を使うことだけ注文致しました。
「母さん、姫様には白の可憐な花がきっと似合うと思うのっ。もちろん金も、あと黒も使うけれど、刺繍の意匠で白い花は外せないわ!」
相談ではなくもはや、自分の思うままに作りたい欲求に溢れているようです。
仕立て屋に連れて行ってからというもの、スピカはリク様を『姫様』と呼ぶようになってしまいました。無理からぬことと放置しております。
ヨウジ様とリク様の特殊な職業については、わたくしも大層驚きました。
大聖女ですもの。リク様が多少、姫扱いされたところで当然と言わざるを得ないのです。
その上、更にぼっちゃまも勇者になってしまわれたのですから、もういっそお2人には、このまま添い遂げていただけたら……と更なる期待をしてしまうのでございます。
幸せなお2人の明日の事だけを考えていられたなら、わたくしも魔力に冷気を帯びる事などなくなるのかも知れませんが、現実はそのように甘くはできていないようです。
屋敷に戻り、受け取った密偵たちの報告をまとめて頭に叩き込んでおりますと、どうしても溜め息と冷えた魔力が漏れてしまいます。
薬草畑を襲撃したデイジーの兄、ジェフリー。彼を唆したと思われるビィスロー伯爵の密偵は、黒い仮面で顔を隠した男。テッド少年が探していた『勇者見習い』イスカルを囲い込んでいるという、あのディーブ=モレク伯爵の屋敷でもその姿が複数回見られている…………と。
黒仮面は、指示役としてそれぞれの伯爵たちのつなぎに入っているものと考えるのが自然でございます。おそらくジュード=フェルメス枢機卿の手の者でございましょう。
確かアヴァロ様を誘拐したのも黒い仮面の男たちでしたが、ぼっちゃまが武器を持てぬほどに無力化したはず。
本物の黒仮面は、つなぎ役の自分が目立たぬよう薬師誘拐の実行役全員に黒い仮面を着用させたのでしょう。
フェルメス枢機卿の現教皇への影響力、発言力はあっても他の枢機卿の中には意見の合わないものがおります。教皇の選出には自分以外の12名のうち9名の賛同が必要なのです。
真の狙いとは何か。教皇になれない限り、大地の神を信仰するハレノア皇国教会においては、もはや頭打ちである自分の地位。それを跳ねあげること。国を意のままに操ることのできる力を得ることが枢機卿の狙いであると考えられます。
その国はハレノア皇国でなくとも構わないのでしょう。本当は、大地の神など信じていないのですから。
教会にも密偵を放っております。さすがにフェルメス枢機卿の様子はかなり距離をとって観察するしかないようですが、その者からの報告に大地の神の像に跪く様子は一切ないとあるのです。
教皇ですら日に2度は大地の神の前に跪くというのに……。それに準ずるものが週に1度も神に祈らないということは、フェルメス枢機卿は大地の神を信仰していないということになるのです。
『別の厄介な神など信仰していなければ良いのですが。』と密偵の報告文は締めくくられておりました。
「──ハァ、余計な一文を……。的中していそうで恐ろしいですわ。」
今のハレノア皇国は、賢帝と名高い皇帝陛下のお力で、何とかもっているという状況にあります。意見はある程度聞きつつ、主導権は決して渡さない主義。
皇国の中枢であるただでさえ腐った考えの公爵家や侯爵家と、ズブズブの関係にある教会、しかもその枢機卿がこのような有り様でいるということを、陛下はもしやご存知なのではないかと状況を知れば知るほど勘繰ってしまいます。
ぼっちゃまへの回復薬を巡る異例の厚待遇もその布石? 恐れられるわけですわね。
ぼっちゃまは、晩餐会の際に陛下に薬草の栽培についての報告をすると話されておりました。
もちろん職業については明かさない予定でございます。ぼっちゃまやリク様の職業が他の貴族に知られでもしたらそれこそ大変でございます。
勇者見習いなどでなく、本物の勇者と大聖女なのですから、これほど他国に対して良い手土産などありません。
あらゆる癒しを広範囲で行える大聖女も居るのです。大聖女を捕えて勇者に言うことを聞かせられる、などということになれば侵略し放題なのでございます。
そうなればハレノア皇国は戦うための剣を手放した丸腰の状態。どうぞ召し上がれという形になります。
悪事にだけ、すこぶる頭の回る輩はいるものです。ぼっちゃまが素晴らしい武力をお持ちでも、リク様が神の御使いでも、お構い無しにその悪意は襲いかかることでしょう。防御力はいくら上げても損はありません。
メイドに扮することはなくとも、礼儀作法とダンス、護身術訓練は続行すべきと思いを新たにしておりました。
そんな最中にも続けられていた治療院の訪問中、リク様が襲撃を受けてなおかつ返り討ちにするということが起こったのでございます。
なんと吸収力の高いことでございましょう。
しかも突然のグレゴリア様とミレーヌ様訪問にも関わらずリク様は見事対処しておしまいになる。やはり、リク様は特別な女性でございます。
しかし、この程度で慢心されては困りますわ。リク様に戦える大聖女となっていただくためにわたくし、少々本気をだして鍛えるつもりでおります。
「ふふ、渡しませんわ。」
他国や腹黒い枢機卿になど、絶対に。
「──ひぇっ! ロザリアっちょっ、寒いっ!……なに?」
「何でもございませんわ。リク様。さぁ、本日の訓練を始めましょう。」
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