第56話 紋章蘇生意思表示カード

・イザホのメモ

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 食堂の前で、拾った“紋章蘇生意思表示カード”を眺めていると、マウが裏側をのぞき込むように顔を上げていた。


「だいじなものを、その患者さんは落としちゃったよね」


 たしかに、“蘇生”と書いてあるから命に関わるようなものだとは思うけど……裏面の説明が少々ややこしくて、よくわからない。


「この紋章蘇生意思表示カードは、持っている人が死亡した後、その人の死体に知能の紋章と動作の紋章、そして記憶の紋章を埋め込んで蘇生させるんだ」


 記憶の紋章……たしか、人間の記憶・人格を紋章の中に移植することができる。これを死体に埋め込み蘇生させると、その本人の記憶と人格を引き継がせることができるんだっけ。


「このカードがなかったら、蘇生されずに埋葬されちゃうよ。たとえ神様に祈ったとしてもね」


 よく考えれば、紋章によって失われた命でさえも記憶を引き継がせて、よみがえらせることができる。それなのに人が死んだ時の葬式があったのは、このカードを持っていなかったからだ。

 それじゃあ……このカードを持つ必要があるのはどうしてだろう? そんなに費用がかかってしまうのかな?


「参考になったのが、昔の臓器移植の意思決定を伝えるカードなんだ。脳死状態になってしまった人の臓器を、必要としている人に移植してもいいという意思を持った人は……」




 マウが語り始めたころ、後ろに衝撃が入った。




「イザホ!? だいじょうぶ!?」


 思わずバランスを崩しそうになったけど、なんとか転けずに済んだ。

 だけど、持っていたカードが消えている……と思ったら、床に落としただけだった。


「あ……」


 そのカードを拾おうとした直後、別の人の手が視界に入った。


「……」


 ワタシと同じようにかがんで手を伸ばしていた人物は、年をとった男性だった。

 短髪は白く、腕は細い。入院用のパジャマで、その人はなんだか体が弱そうだった。


「すみません」


 ぼそっと老人はカードを拾い上げると、食堂の中に入っていった。


「イザホ、だいじょうぶ? あの人とぶつかった時にケガはなかった?」


 ワタシは無事であることを伝えるためにマウに向かってうなずく。


「それにしても、さっきのカードってあの人なのかなあ。謝罪の言葉だけじゃなくて、お礼の言葉もほしかったけど」


 マウは食堂の中にいる老人の姿を見てブッブッと鼻を鳴らしていた。




 そのマウの目が、大きく見開いた。




 食堂を見てみると、老人はカウンター近くのゴミ箱で辺りを見渡していた。


 誰かに見られていないのを確認している……というより、さりげない感覚を他者に与えるように。


 やがて老人は手に持った紋章蘇生意思表示カードをゴミ箱の上にかざし、




 何食わぬ顔で、落とした。




「……」


 あぜんとするマウの横を、老人は横切っていった。


 一瞬だけ、すがすがしい笑みを浮かべていたような気がする。




「あーあ、やっぱりそういうことか」




 老人が立ち去った直後、後ろを振り返ると病院長のジュンさんが立っていた。


「わあ、びっくりした」


 マウが飛び上がると、ジュンさんは食堂に素早く入り、調理員さんに気さくに右手をあげ、左手をゴミ箱のなかに入れた。




 カードを取り出すと食堂を出て、ワタシたちの横で顔を向けずに立ち止まる。




「死体さんは、このカードの意味はわかっているか?」


 ワタシはジュンさんに体を向けて、うなずく。

 さっき、マウに教えてもらった。そのカードがないと、死亡した人間は埋葬されてしまうと。


「自信満々にうなずくなら、あの患者がわざわざ捨てた意味もわかるよな?」


 ジュンさんがこちらに体を向けた瞬間、ワタシは大きい左手で小さな右手を押さえた。今ここでジュンさんの質問の答えを記入しろと言われたとしても、ワタシは1文字も記入できない。


「その手首、ちゃんと治っているな。さすが、ミス・コーウィンの診察だ」


 ジュンさんの言葉に思わず左の手首を見てみると、包帯に埋め込まれていた治療の紋章はすでに消えていた。


「ねえジュンさん、なにか言いたそうだね」


 マウはジュンさんに問い詰めるように、だけど鼻は機嫌がよさそうにプスプスと鳴らしながらたずねた。


「まるで今がチャンスと言わんばかりだな」

「……バレた?」


 ジュンさんは「わかりやすいんだよ」とカードをポケットに入れる。




「さて、院長室にいくぞ」




 後ろを振り向いて歩き始めたジュンさんの突然の言葉に、ワタシたちは1歩も歩き出せなかった。


「どうした、早くこい」


 顔をこちらに向けて催促するジュンさんに、マウは戸惑いながらも声を出す。


「だってジュンさん、病室の時は診察もほぼ投げ出してまで話を切り上げたのに……」

「あれは俺様の大切なナースが患者の落とし物で困っていたからだ。今、その問題が解決して、次の約束までまだ時間がある。だいたい、あの時の俺様は“話はまた今度”と言ったんだぜ?」


 それじゃあ……10年前の事件について話してくれるのかな?


「まだあんたたちに、最近起きていることについて聞き出せてねえからな。聞きたいことがあるなら、先に俺様の質問が終わってからにしろ」


 ジュンさんはエレベーターに向かっていった。ワタシたちも後を追わないと。











 エレベーターの中で、マウはジュンさんを見上げる。


「ねえ、簡単に説明してよ。さっきの人がそのカードを捨てた理由」




 ジュンさんはやりきれないようなため息をついた。




「あの患者は、自分のまがい物が代わりを務めることを嫌っていた。だが、家族はそれを望まず、紋章蘇生意思表示カードを断れないほどに進めた。患者は、紛失したなら家族も納得すると思ったんだろうな」




 まがい物……? 「まがい物……?」




 マウと顔を合わせても、その答えは見つからなかった。




「死体さんよ、あんたはなにも考えていなかったのか? なぜ他の被害者の遺族に引き取られず、右腕の被害者だけが引き取ることを望んだのかを」





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