第50話 雪の上で開く傷口
裏側の世界に入るとともに、ワタシたちは落下した。
「……!」「よっと!」
今度は誰もケガをすることはなかった。
ワタシもマウも、バランスを崩しかけたけどクライさんも床に着地することができた。
周りは廃虚みたいだけど……
先ほどの旧紋章研究所と違うのは、前方の壁が崩れていること。
まるで誰かが爆弾などで意図的に破壊したように。
その崩れた壁からは、真っ暗な空と白い地面が見えて、強い風で雪が入ってきている……吹雪かな。
「!! そんなことよりも、早くバフォメットから……」
マウの言葉に、ワタシは反射的に上を見上げた。
天井についていた羊の紋章は、
赤く点滅して、
今、消えてしまった。
・イザホのメモ
【https://kakuyomu.jp/shared_drafts/LS2hEznqjkhY2DU9Zztj5LWqJaT37oNm】
ワタシはスマホの紋章を操作し、カメラのアプリを起動させる。これで裏側の世界の様子がワタシの義眼に埋め込んだ目の紋章を通して記録される。
続いて、左の手の甲に埋め込んだ盾の紋章に触れて、半透明の壁を左の手首まで展開させる。いつ襲われても身を守れるように。
その間、マウは右耳の付け根に埋め込んだ無線の紋章で、フジマルさんとの連絡を試みていた。
この無線の紋章は、裏側の世界からであっても次元を超えて連絡できる。
だけど、フジマルさんからの応答は、まったくなかった。
マウはしょんぼりと、顔を下げちゃった。
「ゴメン。ボクのせいで、最悪な展開になっちゃって……」
この裏側の世界の出入り口である羊の紋章。その羊の紋章が、消えてしまった。
きっと、元の世界の羊の紋章を、誰かが削り取ってしまったんだ。ワタシたちが逃げられないように、ふたをするように。
先行して羊の紋章に触れたマウは、なんだか責任を感じているみたい……
ワタシはしゃがんでマウに目線を合わせて、頭をなでてあげた。気にしなくてもいいよ。その意味を込めて。
「ここが……裏側の世界……」
初めて裏側の世界に入ったクライさんは、外の雪景色を見て呆然としていた。
今の時期は夏で、さっきまでは昼間だった。
だけど裏側の世界は夜で、冬にしか降らない雪がつもっている。マウが言うには、鳥羽差市は冬でもめったに雪は降らないらしいけど。
ワタシは目の前のマウの肩にポンポンとたたく。
この先に行ってみよう。別の羊の紋章がどこかにあるかもしれない。
それに、くよくよしてたら、クライさんにまでも心配させてしまうから。
「……うん。ありがとう、イザホ」
ワタシは立ち上がり、マウとともに崩れた壁から白い雪の上へと足を出す。
「……」
クライさんも、黙ってついてきてくれた。
廃虚から出た先は、下り坂。
幅はワタシたち3人が縦に並んで通れる狭さ。階段もない。
足も先ほどよりも深く雪に沈む。
「なんだか、ボクたちが初めて裏側の世界に訪れた時を思い出すよね……おっとっと」
マウは転けないようにバランスを取りながら降りている。
その後ろでなにかを考えるようにうつむいていたクライさんは、ワタシたちに顔を向ける。
「あの……マウ……それにイザホちゃん……ふたりは……以前からこのような……世界に……?」
「うん。インパーソナルっていう、紋章で操られている死体に連れてこられたり、自分から入ったり……訪れることになった理由はそれぞれ違うけど、ろくな目に合わなかったことは共通するかな」
やがて、ワタシたちは坂道をくだり、平らな場所に降り立った。
なんだか、ワタシたちが休憩した場所と似ているような気がする。
「……!!」
雪で真っ白になった、自動車が放置されていることを除いて。
マウは車の前方についているナンバープレートと、その先に続いている別の下り坂を交互に見る。
「あんな狭い道しかないのに、どうやって車を持ってきたのかなあ……ナンバープレートになにも書かれていないのもおかしいけど」
「……」
……?
クライさんの顔……なんだか青い……
クライさんは運転席に周り、内装を見て息をのんだ。
ワタシもマウを持ち上げて一緒に見てみる。
窓のない運転席には、新聞紙の切れ端が置かれている。
雪を受け止めている、奇麗な長方形の新聞紙の切れ端だ。
「丁寧に切り抜かれているけど……なにかのニュースのスクラップかな?」
それなら、全文が読めるかな……
クライさんもじっと新聞紙の切り抜きを見たまま動かないし……取ってみよう。
「これって、10年前の……!?」
「!!」
その新聞紙は、10年前の事件の日付と近かった。
10年前の事件を捜査していた刑事は、ある容疑者を確保した。
その容疑者の男性はキャンプ客ではないものの、事件前日にキャンプ地近くの道路で自動車を止めているところを目撃されていた。
事件前日に被害者たちが泊まっていたコテージに、キャンプ関係者以外の人物が訪れていたことから、警察は容疑者の男性を確保。その容疑者は犯行を否定するものの、彼のアリバイを示す証拠は見つからなかった。
ある日、その容疑者の男性は、留置所で首をつった。
そしてその翌日……彼のアリバイを示す証拠が、見つかったという……
ドンッ!
隣のクライさんが、車のボンネットに握り拳を置いた……
「……10年前の事件……あの事件が……あの事件が……」
……歯を振るわせている。
カタカタと、寒さではなく、まるで熱いなにかがこみ上げているように、歯を振るわせている。
「クライさん……」
「ごめん……もう……だいじょうぶ……」
クライさんはゆっくりと顔を起こし、先に進む下り坂に目を向けた。
再び、下り坂を下る。
その下り坂は長く、なかなか休める場所が見えてこない。
「イザホちゃん……君は……自分の存在理由を探している……だよね?」
後ろからクライさんに話しかけられた。
今まででもいきなり話しかけられたことが何度もある。だけど、今回はなぜか、珍しいって言葉がワタシの胸の中に出てきた。
ワタシがうなずくと、「自分とは……大違い……」とため息をつく。
「でも……自分も……自分の存在理由がわからない……そうだったかも……しれない……」
転けないように気をつけながら、振り返って見た。
今まで見せたことのない笑みを、夜空に向けていた。
だけど顔は、暗いままだった。
「10年前……自分の父さんも刑事だった」
足を止めずに、クライさんは10年前のことを語り始めた。
クライさんの父親は正義感が強く、そして同僚からの信頼も厚かった。そんな父親を、中学生だったクライさんは誇りに思っていたという。
しかし、10年前の事件が、すべてを崩してしまった。
クライさんの父親は、10年前の事件を担当することになった。
必ず犯人を捕まえて、殺された被害者の無念を晴らしてやる……そう意気込んで。
捜査は難儀した。一向に手がかりがつかめなかったから。
焦るクライさんの父親だったけど、事件の前日に、キャンプ地の近くに車を止めていた男性を突き止めることができた。
その男性は離婚歴があり、盗撮の前科があり、さらに精神的に不安定な一面をよく見せていたのだった。
あいつしかいない……家に帰ってきたクライさんの父親は、よくそんなことをつぶやいていたという。
だけど、犯人じゃなかった。
そして、男性は首をつった。
きっかけとなったのは、クライさんの父親による、感情に任せた取り調べが原因だった。
「あれ依頼……父さんは刑事を辞職して……毎日家でお酒を飲んで……そのまま死んだんだ……アルコール中毒で」
坂を下りきると、ワタシはすぐにクライさんに振り向いた。
他の景色よりも、クライさんの話が気になってしまったから。
「だからかな……こんな暗い性格になったのも……」
「……」
マウはなぜか、自分の胸をつかんでいた。
息苦しいの?
「……あ、イザホ、ボクは大丈夫だよ」
「ごめん……自分のせいで、嫌な気分にさせてしまって……」
謝るクライさんに、「全然大丈夫」とマウは首をふる。
「でも、ようやくわかったよ。今日、喫茶店セイラムに来た時、クライさんが目を見開いていた理由」
マウがワタシに顔を向けて、ぷうぷうと鼻を動かしている。
その顔を見て、ワタシは気づいた。
あの時、喫茶店セイラムでクライさんが目を見開いていた時……
その方向には、占い師のホウリさんが立っていたはずだ。
「……うん……ホウリさんは……父さんが誤認逮捕した男の娘……彼女がおびえていたのも……殺人鬼の娘と学校でいじめを受けていたことが……きっかけなんだ……」
パナラさんがワタシの正体を見抜いた時、ホウリさんはくしゃくしゃな顔で叫んでいた。
自分じゃない……信じてください……成仏してください……
ワタシが10年前の事件の被害者たちが、恨みで生まれ変わった存在だと勘違いしたんだ。ただワタシは被害者たちの死体で作られた、
「……紋章みたいだ」
マウが、ぼそっとつぶやいた……?
「……?」
「リズさんが言っていたんだ。紋章は他の誰かから埋め込まれて、初めて自分で使うことができる……なんだか、クライさんの話を聞いていると、他人から影響されているところが他人から紋章を埋め込まれるって感じがして……」
クライさんは「そっか……」とワタシたちの後ろに顔を向ける。
「第一印象という紋章で父さんは犯人を決めつけ……落ちぶれた父さんを見て自分に暗い性格の紋章を埋め込まれた……リズちゃんって……よくそんなこと思いつくね……」
思わず、ワタシとマウも後ろを振り向いた。
「うん。なんだかこの裏側の世界も、似ているところがあるかもしれないね」
そこには、屋根に雪が積もったログハウスが建っていた。
ぱなら広場のログハウスと、よく似ている。
先ほどの車の中の新聞紙も踏まえると、あのログハウスは10年前の事件という紋章が裏側の世界に埋め込まれたもの……そう思えるようになってきた。
ワタシたちの背中を押すように、空を舞う雪の速度が激しくなった。
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