第7話 屍江稻 異座穂

・イザホのメモ

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「……プライベートな話になってしまうが、少し質問していいか?」


 シャワーを浴びた後、喫茶店のカウンター席の前に戻ってくると、店長さんがたずねてきた。

 その目は黒い。

 ワタシとは違って、人間の目そのものだ。


「質問によるけど、いったいどんな質問?」


 声帯をもたないワタシの代わりに、マウがカウンター席に腰掛けて答えた。

 マウは知能の紋章によってウサギなのに人間並の知能を持っている。ワタシと違う点は、脳みそがあって、物ではなく生き物であることだ。


 玄関側の窓ガラスを見ても、フジマルさんの車が来ている様子はない。

 ワタシもカウンター席に腰掛けて待とうかな。


「ああ……そこの、イザホちゃん……だったか?」


 急に名前を呼ばれて、思わず姿勢を直した。


「あんたは……人間じゃない。紋章によって命を吹き込まれた、10年前の事件の被害者たちの遺体……そうじゃないか?」


 思わずマウの方向を見ると、マウもワタシの顔を反射的に向いていた。


「ねえイザホ、もしかしたら、あのことを話してしまうかも知れないけど……答えちゃっていい?」


 ……うなずこう。

 このような反応をしちゃったから、ウソをついてもバレてしまうよね。


「やっぱり、そうなんだな」

「うん、その通り。イザホ……“屍江稻 異座穂シエイネ イザホ”は、右腕を残した被害者の母親が引き取った、自分の意思で動く遺体だよ」






 ワタシのお母さまには、あるひとり娘がいた。


 そのひとり娘は、10年前のキャンプに参加して、他の被害者たちとともに姿を消した。


 その後、見つかった被害者たちの部位の中に、ひとり娘の右腕があった。


 右腕の被害者の母親……

 お母さまは、悲しみの果てに、被害者の遺体をすべて引き取り、それをつなぎ合わせて命を吹き込むことを望んだ。


 だけど、お母さまは“娘を生き返らせる”のではなく、“娘の生まれ変わり”として育てることを選んだ。


 記憶は紋章で移植することが出来た。

 でもお母さまはあえて記憶を移植しなかった。記憶を移植しても、それは記憶を再現したに過ぎなかったから。




 だから、ワタシには右腕の持ち主はもちろん、事件の被害者の記憶はまったくない。




 屍江稻 異座穂シエイネ イザホという名前も、お母さまのひとり娘とは関係のない名前だった。

 娘に関わることはなるべく避けるように、あくまでも生まれ変わりの別人であるから。


 声帯を移植していないのも、娘の声を思い出さないためだからだ。

 だからワタシには声は存在せず、自分の紋章の中でしかしゃべれない。


 記憶がないから、生き返った元人間ゾンビじゃなくて、人格が宿った死体という名の作り物フランケンシュタインの怪物だ。

 昔、このことをマウに打ち明けた時、SF作品でいう人造人間アンドロイドみたいだって例えられたことがある。でもやっぱりフランケンシュタインの怪物の方が合っているような気がするけど。




 そして、お母さまと……他の被害者の関係者に対して……ワタシは今までずっと疑問を抱えていた。


 どうして再現したものはダメなの?


 どうして同じ記憶を移植したとしても、生き返ったということにはならないの?


 どうして他の関係者は、お母さまのように死んだ人間の代わりを用意しなかったの?


 どうしてワタシまで、また人格を埋め込んでもらえればいいのに、人格の紋章が消えることを恐れるの?


 どうしてお母さまは、ワタシの存在に喜んでいるのに、時々“悲しい顔”をするの?




 今まで“悲しい”という感情が起きた実感がわかなかったワタシには、理解できなかった。




「ねえ、どうしてイザホの正体に気づいたの?」


 ひとりで胸の中で考え事をしていたら、マウが店長さんに気になる質問をしていた。


「カレーを食べているイザホちゃんの顔を見た時、10年前のことを思い出した。あの時はキャンプの指導員の仕事をしていた」

「それじゃあ……現場に居合わせたってこと?」

「女の子が遺体と戯れている光景ならな。その時、女の子が持っていた首、その顔とイザホちゃんの顔が同じだった」


 無意識に、ワタシは自分の顔に手を当てていた。この顔の持ち主であった人物は身元がわからず、名前すら明らかにされていなかったはずだ。


「もしかして、この顔は有名になってたりする?」


 マウがワタシの顔を指さしてたずねる。それに対して店長さんは右手を頭に置いてうなずいた。


「身元を探るために警察が顔写真を住民には見せていたが、覚えているやつはあまりいないだろう。仮にそうだとしても、10年前の事件を引き合いにしてあんたに近づくやつはいないはずだ」


 店長さんはその言葉に付け加えて、「もっとも、あんたたちはそのことを考えた上で、この街に来たんだろう?」と見つめてきた。




 店長さんは一息つく。

 そして……少し懐かしそうに、だけど悲しそうに、壁に掛けられている絵に目線を向けた。


「あそこに飾られている絵……あれは私が書いたものだったかな。誰かの影響を受けたのがきっかけだが……事件のことを考えていると、本来のバフォメットがヤギであるにも関わらず羊の大男に名付けられたことを思い出して、書いてみたんだ」


 さっき、マウと一緒に見たヤギの絵……【  章紋のイガチマ  】だ。

 あれって、店長さんの作品だったんだ。


「それじゃあ、タイトルの意味は?」


 マウがたずねると、「覚えている自信はないが……」と店長さんは額に手を当てた。


「目の前のことだけを見たことによって、間違いが正解となって、埋め込まれた紋章のように後世まで伝えられる。物事の逆から……裏側から見れば……本来の姿が見えてくる……」


 店長さんは関心するように見つめるマウを見て、首を振った。


「……いや、これは私が考えたのではない。別の人間のタイトルを見て、私なりの考えをこめて“オマージュ”として取り入れただけだ」


 “オマージュ”……




 ――いい? イザホ、敬意オマージュはね……他の誰かから影響を受けて、自分を作り上げることなの。自分は、自分で作れないの――




 その言葉は、よくお母さまが言っていたような気がするな……




「あ! イザホ!!」


 声をかけてきたマウは、玄関側の窓ガラスを向いている。

 一緒に振り向くと、その窓ガラスにふたつの光が現れた。フジマルさんの車だ。





「あ、イザホ、ちょっとまって」


 会計を済ませて玄関の扉に手をかけようとした時、マウはワタシを呼び止めると、店長さんの方向を見た。


「ねえ、最後にひとつだけ質問していい?」

「ああ、かまわない」


 店長さんからの許可を得ると、マウは一度大きく息を吸った。




「……10年前の現場にいた女の子、あの子は今、どうしているの?」




 店長さんは「ああ、あの子なら……」と答えると、


 再び右手を頭に当て、しばらく黙って……


 そして、目を見開き、口を開けた。




「すまん、忘れた」




 ……だろうと思った。

 思わずマウと顔を合わせて、一緒に笑ってしまった。


「あはは……どうして店長さんって、そんなに忘れっぽいの?」

「まったく覚えてない……ただ、3年前。3年前から、こんなに忘れっぽくなった……それだけは実感できているんだ」


 またこの喫茶店セイラムに来よう。

 店長さんの笑みを見て、ワタシの人格の紋章は勝手にそんな計画を立てていた。


「これに懲りずにまたこの喫茶店に来てくれ。その時に思い出していれば、教えてやる。覚えていたらな」

「うん。その時までにはちゃんと思い出していてよね」




 ワタシはマウと一緒に店長さんに手を振ると、玄関の扉を開けた。


 カランカラーンと、心地よい鈴の音が響き渡った。











 喫茶店セイラムから立ち去ったワタシとマウは、フジマルさんが用意してくれた自動運転の車に乗って、引っ越し先のマンションに向かっている。


 窓の外の森を眺めながら、この鳥羽差市に二人暮らしをするために訪れた理由を思い出す。




 ワタシたちがここに引っ越すことになったきっかけは、お母さまの余命宣告。その自立先を、この鳥羽差市に選んだ理由……それは、10年前の事件が起きた街だから。


 ワタシは時々、自分の存在がわからなくなる時がある。


 お母さまのひとり娘の代わりとして作られた死体なのか。

 それとも被害者6人の意思を受け継いだ存在なのか。

 それとも被害者たちとは関係なく生きるべき存在なのか。


 その答えを知るには、10年前の事件について知る必要がある。


 被害者たちのことを知って、今のワタシとの違いを知る。

 そうすることで、ワタシの存在がはっきりするような気がする。


 だから、ここに引っ越すことにした。マウとふたり暮らしをすることにした。




「ねえイザホ、喫茶店セイラムの店長さん……忘れ物がすごかったよね」


 助手席に腰掛けるマウが、機嫌がよさそうに鼻を動かしながらワタシの顔を見つめた。


「だからなのかな、ボクもすっかり忘れていたよ。コーヒーを注文したのに喫茶店のコーヒーを飲めなかったことを」




 自動運転の車は、今、森を抜けた。






 ――ACT1 END――

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