第3話 バフォメットの都市伝説



 店長さんは頭をかかえたまま、黙っていた。

 忘れっぽい記憶の中から、頑張って思いだそうとしているのかな?


「イザホ、今のうちにメモを書いておいたら?」


 ……マウに言われるまで、ワタシはメモ帳の存在を忘れていた。本当は鳥羽差市に入った瞬間の喜びを味わった後に記入するつもりだったけど。


 左手のスマホの紋章にもう一度触れて、モニターからメモ帳のアプリを呼び出す。

 マウからの提案で、鳥羽差市での暮らしのことでなにかあったら、このメモ帳のアプリで記入することにしていた。


 店長さんの話が始まるまえに、ここまでに起こったことをまとめておこう。




イザホのメモ

https://kakuyomu.jp/shared_drafts/I14YAkTcLGVSmCfJVWjT4t0qAdhS3RKD




「……よし、思い出せそうだ」


 店長さんが自信があるようにうなずいたので、ワタシは慌ててスマホの紋章のモニターを閉じた。


「それじゃあ、教えてくれる?」

「ああ、忘れないうちにな」











 店長さんは、10年前の事件について話してくれた。


 10年前、この喫茶店セイラム付近のキャンプ地に6人のキャンプ客が訪れていた。事件が起きたのは、キャンプの初日を終えた翌日の朝だった。


 キャンプ客の泊まっていたコテージの客室から、キャンプ客の小さな女の子以外が姿を消した。

 キャンプ指導員と現地で合流した警察は5人の行方を捜したものの、見つからないまま1日が過ぎていった。


 その翌日、小さな女の子までもが姿を消した。


 慌てるキャンプ指導員と警察だったが、小さい女の子はすぐに見つかった。




 コテージから少し離れた森の中、誰もいないはずの、廃虚。


 女の子はその中で、膝に見知らぬ少女の生首を置いて、その生首に語りかけていた。


 その床に散らばる、胴体、右腕、左腕、右足、左足……それら5つの部位は、姿を消した5人のキャンプ客の物だった。





 この状況について女の子にたずねると、こう答えた。


「羊の顔をしたおじさんが、見せてくれたの」


 警察は女の子からその人物についてたずね、犯人と思わしき人物像を聞き出した。

 全身を黒いローブで身を包んだ、大柄な男。その頭には羊の頭が被っており、素顔はわからない。


 その情報から犯人の行方を追う警察たち。

 しかし、犯人の行方はおろか、5人のキャンプ客の他の部位、そして、6人目の被害者である生首の身元すら分からないまま、事件は迷宮入りした。


 それから、この街に奇妙な都市伝説が広まった。


 真夜中の森を歩くと、羊の頭を持った悪魔“バフォメット”に襲われる。


 もしも捕まってしまうと、体の部位をひとつ切り落とされ、


 裏側の世界に連れて行かれる……










「……裏側の世界に連れて行かれる?」


 マウはまばたきを繰り返しながら店長さんに向かって首をかしげる。


 ワタシたちが鳥羽差市に来る前、10年前の事件のことはお母さまから聞かされていた。

 でも、裏側の世界に連れて行かれるなんて聞いたことがない。


 店長さんは一息つくと、まるでひと仕事を終えたような顔で右手を頭から離した。


「あくまでも都市伝説だ。5人の被害者がそれぞれの部位だけを残して消えたことから広まったんだろう」

「それでも、どうして裏側の世界に連れて行かれるって話になるの」

「それはだな……」


 マウの質問に、店長さんは再び右手を頭に当て、しばらく黙って……


 目を見開き、口を開けた。




「すまん、忘れた」




 …… 「……」


 ……イスから落ちそうになった。











 さっきまで乗っていたカレーライスは、今はもう皿の上にはなかった。

 クロワッサンを食べ終えたマウと同じタイミングで、紙ナフキンで口を拭く。


「ふきふき……ねえイザホ、食後のコーヒーでも頼んでみる?」


 コーヒー? コーヒーって自動販売機で買える飲み物だよね……?


「イザホってさ、缶コーヒーしか飲んだことないでしょ? せっかく喫茶店に来たから、本格的なコーヒーを飲むのも新しい経験になると思って」


 そういえば、初めて缶コーヒーを飲んだ時にマウが本格的なコーヒーのことを言っていたような気がする。

 それなら、ちょっと試してみようかな。


「と、言うわけで、コーヒーをふたつ……アイスで頼むよ」


 マウが注文すると、店長さんはうなずいた……と思ったら、どこからか着信音のメロディが鳴った。

 ワタシのスマホの紋章じゃないけど……


「あ、ああ……すまない、私のスマホの紋章だ」


 店長さんは「戻ってきたらすぐに作る」と言い残して、スマホの紋章が埋め込まれた左手を耳に当てながら近くの扉に向かった。

 誰かから電話がかかってきたのかな?




 店長さんは、なかなか帰ってこなかった。


 左の手のひらを見ても、スマホの紋章が緑色に光っているだけ。

 フジマルさんからの連絡もまだ帰ってこない。


 待っている間、どうしようかとマウに目線を向けてみた。




「ねえイザホ、なんか面白そうな絵があるよ」




 マウが近くの壁を指さしたと思うと、ぴょんとイスから飛び降りた。

 その壁には、絵画が入った額縁が飾られていた。ワタシも近づいてみてみようかな。


 右に向いた、ヤギの頭をした絵……鉛筆で描かれたと思われる、背景のないその絵画をよく見てみると、消しゴムで消した痕が残っている。


「この痕、なんだか羊の羊毛みたいだよね」


 隣でマウは、面白がるように鼻をプスプスと動かしていた。


「そういえばイザホ、知ってる? バフォメット……その名前の由来」


 バフォメットの……由来?

 バフォメットって、羊の悪魔だから……あれ? 改めて考えてみると、が違和感を感じた。


「実はね、バフォメットって羊じゃなくてヤギの頭なんだよ。ウワサ話が広まるにつれて、羊とヤギが混ざっちゃったみたいだって、都市伝説サイトで見たことあるよ」


 そうなんだ……

 たしかに、今までは違和感を感じなかったけど、よくよく考えてみるとヤギの悪魔であると聞いたから、それを思い出すと違和感を感じたんだ。


「それにしても……タイトルも変わっているよなぁ……【  章紋のイガチマ  】。この“章紋”ってさ、もしかして“紋章”かな? どうして逆さまにしているんだろう……」


 マウと横に並んで、見たことのない不思議なタイトルを見る……

 ……お屋敷の中だけだったら、こんな絵があったなんてわからなかったかも。




「ねえイザホ……ボクたちの新生活の場所をここにして、やっぱり正解だったみたいだね」


 マウの言葉に、うなずく。




 ワタシたちがここに引っ越すことになったきっかけは、お母さまの余命宣告。

 この世から立ち去る日がそう遠くないと知ったお母さまは、その後のワタシたちのことを心配していた。


 だから、お母さまに心配をかけないように、ワタシたちはお母さまのお屋敷から離れて暮らすことにした。

 お母さまの最後の日が近づいた時、自立したワタシたちの姿をお母さまに見せることを約束して。


 その自立先を、この鳥羽差市に選んだ理由……


 それは、10年前の事件が起きた街だから。


 あの10年前の事件のことを少しでも知ることが、ワタシにとっての自立になるから……




 コンコン


「ん?」


 玄関の扉からノックの音が聞こえてきて、マウが振り返った。

 ワタシも振り返ると、カラーンと短い鈴の音とともに扉が少しだけ開かれる。


 その隙間から、折りたたんだ画用紙を持った左手が現れた。


「……」


 左手はなにも言わず、手に持つ画用紙を強調するように上下に動かしている。


「……ねえイザホ、あの人、どうして入らないと思う? ボクは恥ずかしがって店に入ってこれないとは思わないけど」


 マウは細めた目を玄関の左手に向けながらワタシに意見を求めた。

 どうだろう……あの手の動かし方、なんだか画用紙を見てほしいって言っているみたい……


 マウと顔を合わせて、うなずく。あの画用紙を手にしてみよう。




 玄関の前に立って、画用紙を受け取る前に扉のノブを引っ張ってみる……

 ビクともしない。まるですごい力で扉を固定しているみたい。


 扉の隙間をのぞいていたマウがワタシの足をつつく。


「……この人、ボクたちの姿を見てすぐに逃げちゃった人だよ」


 ……ローブを着た人だ。

 喫茶店セイラムの前で、ワタシたちの姿を見て逃げ帰った人……


「イザホ、それでも受け取ってみる?」




 この人は、何か目的がある。


 もしかしたら、あの店長さんがいなくなったから、この画用紙を渡してきたかもしれない。


 それなら……ここで受け取ってみよう。

 なにか困っていたとしたら、力になれるかもしれない。


 困った人がいたら、手を差し伸べて上げて……お母さまにそう言われている。




 ……


 受け取った画用紙を広げてみると、そこには大きな紋章が書いてあった。


 いや、埋め込まれていた、の方が正しいかな?

 その紋章は左に向いた羊の頭の形をしていて、ワタシの左手のスマホの紋章のように、緑色に輝いていた……





 !!




 ローブを着た人が、いきなりワタシの左腕をつかんだ。




「!! イザホに何するの!?」


 マウが叫んだ直後、ローブを着た人はワタシの左腕を画用紙ごと地面に向けて、たたきつけた。


 画用紙に埋め込まれた紋章にワタシの左手が触れて、緑色から青色へと変わる。




 !! 体が……左手からゆっくりと……







 紋章に吸い込まれていく!!







「イザホッ!!」




 マウがワタシの右足にしがみついた感触がした瞬間、




 目の前が真っ白になった。



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