頼み事

「京くんはいるかしら?」


いつも以上に集中力の下がった頭で授業を受け、いつの間にか昼休みになっていた。

俺は鏡の言葉に虚ろな声で相槌を打ちながら食堂へ向け立ち上がる。

その時、俺の食堂への旅路を邪魔する人物が現れた。

逢坂夏向だ。


ただでさえ話題の中心にいるだけに逢坂の登場はクラスを静寂に包むには十分な材料だった。

そこから数十秒が経ち状況を理解したのかクラスメイトたちは俺には疑うような。それでいて驚きを隠せないと言った表情を向けてきた。

約一名俺の後ろで笑いを堪えているがまあ良いだろう。


「おいw京呼ばれてるぞw」


鏡は腹を抱え半笑いでそんな事を言ってきた。


「あらいるじゃない。ちょっと良いかしら?」


逢坂は俺の姿を捉え、臆すること無く教室に入って来た。

こんな至近距離で対峙するのは昨日ぶりだが、やはり少し恥ずかしくもある。

陶器のようにシミひとつない白い肌。雪のようにどこまでも白く汚れを知らない白髪。極み付けはパッチリもした目から覗く青い目。異性に興味が無い俺ですらまじまじと見詰めるのを躊躇うほどの芸術品がそこにはいた。


「なんか用か」


俺は動揺を隠し務めて平穏な口調で口を開く。


「あなたに少し話があるのだけど良いかしら?」


その言葉は俺と後ろで未だ半笑いを続けている鏡に向けられた物。


「ああ、構わないよ」


鏡は涙を拭き終え少しの笑みを残しながら勝手に了承した。

この二人の間に俺の意思などは関係の無いようだ。


「そう、ありがとう。着いてきて」


逢坂はそう言って踵を返した。


「頑張れよー」


鏡は朗らかな笑顔で俺を見送った。


あいつ許さねぇ。


逢坂のすぐ真後ろを同じ位の歩幅で歩いているためかそれとも近くにいるからか周りからの視線が凄い。

逢坂に着いていくことに了承した時点でこの結果は見えていたのでそこまで気にはならない。

しかし、これが人をも殺せる視線と言う奴か初体験だ。


「なあ」


「何かしら」


俺は今に置いて一番重要な事を忘れていた。


「どこに行くかは分からないが、先に購買で昼食を買ってもいいか?」


それは昼食の存在だ。食事という物に一定以上の興味が無い俺でも腹は減る。

たかが一食抜いた所で問題は無いのだが授業中に腹が鳴るのだけは勘弁だ。


「その心配は無いわよ」


逢坂は声だけでそう返した。


俺にはその意味が分からなかった。俺の意思に反し逢坂は歩みを止めない。

階段を上がり三年のフロアを越えさらに上へ。

やって来たのは屋上だった。


昼下がりの暖かい風が吹き付け心地が良い。


神木高校は珍しく屋上への立ち入りが自由である。入学後にそれを知った俺はその珍しさからか毎日の様に屋上で昼食を取っていた事があった。

しかし、屋上で昼食を食べる事には様々な問題があった。


まずは寒いと言う事だ。当たり前でしかない。高所ということもあり夏場は兎も角寒さの残る春先や冬本番の十一月位に行くと凍える寒さとの戦いなり食事所では無い。


その二に、行くのが面倒と言う点だ。階段二階分の移動をしなくては行けないため体力のそこが見えている俺では毎日通うのは厳しい物があった。


その三、屋上は定番の告白スポットらしく。運が悪いと告白シーンに立ち会う事がある。

気まづさ全一でしかない。


と、まあ以上の理由から俺は屋上に行く事が無くなった。

屋上に来るのは実に数ヶ月ぶりである。


「それで、ここに連れてきて俺に何の用だ」


俺に背を向けていた逢坂はこちらに向き深海のように青い瞳で俺を見据えながら口を開いた。


「あなたに頼みがあるの」


その言葉はいつもの無機質な物ではなく縋るようなそんな感じの感情が篭っていた。

いつもの俺なら面倒事は避け、容赦無く断るのだが、逢坂の泣き顔を見てしまった以上それは難しいだろう。


「聞くだけ聞く」


「ありがとう」


逢坂はふわりと笑う。


ドキリとしたのは内緒だ。


「でも、その前に昼食を食べましょう」


逢坂は手に持っていた風呂敷を置きリボン結びを解く。中から出てきたのは三段重ねの重箱。

漆で出来ているのか箱は黒く、所々にもみじがあしらわれている。

中を見ると例えようの無い様々な料理が綺麗に並べられており、崩すのが勿体なく感じる。


「美味しそうだ」


「そう?ありがとう。これお箸ね」


てっきり逢坂の昼食と思っていた俺は完全に手鼻をくじかれた。


「食べていいのか?逢坂の何じゃ……」


箸を受け取っても食べる事に躊躇を覚えてしまう。


「お腹は空いているけれど、流石にこの量は食べきれないわ。それに頼み事をする立場で見返りが無いのはお互いに気持ち悪いでしょ?」


「囁か過ぎるかもしれないけれど」逢坂はそう付け足した。


逢坂は当たり前のようにそう言うが、そもそも頼み事を聞くと言っただけで「受ける」何て一言も言っていない。


「それで頼み事って言うのは?」


「ええ、実は……私の友達作りに協力してくれないかしら?」


「えっ……?」


俺は耳を疑った。

豪華な料理に逢坂の迫真に迫る表情。もっと重い物かと思っていた。


「私生まれてこの方『友達』と言う存在と出会った事が無くて……。それで……流石に高校生で友達がいないと言うのも些か問題何じゃ無いかと思って……。だから、私の友達作りに協力してくれないかしら?」


無表情の逢坂の顔。それでも俺の目には弱々しく映る。


「何故俺なんだ?俺より頼れる人なんて沢山いるだろう」


「確かにそれはそうだけど……。今の私はあなたしか頼れないの」


理由は分からない。それでも俺はすんなり「分かった」とは口に出来なかった。

人に頼られる事、利用される苦しみを知っているから。


「頼めないかしら?」


逢坂の縋るような視線が刺さる。


俺は今岐路に立たさせている。


断っても了承しても待ち受ける未来は変わらない。とても面倒臭い未来が見える。

それでも、同じ未来なら逢坂のためになることをしよう。


「分かった」


頭を撫でた対価だと思えば軽い事だ。


「ありがとう……!」


嬉し泣きなのか涙を流す逢坂。


「私……断られたら……どうしようかと……」


逢坂のそんな姿を見てしまったものだから手が疼く。

撫でたい衝動が溢れてくる。


昨日は兎も角今は不味い。どこで誰が見ているか分からない。

俺の意思の反し手が伸びる。


「あっ……ふふっ……」


撫でてしまった。終わったと思う俺の耳に響くのは逢坂の嬉しそうな笑い。


「悪い。離す」


右手の意志を奪い取り逢坂の頭から手を離す。


「撫でてくれないかしら……?」


逢坂は俺の手首を掴み再び頭を上に置く。


「いいのか?」


「優しくお願いね」


昼食を摂りながら逢坂が満足するまで頭を撫で続けた。

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