19-5
「……次で最後だとよ。どうする?」
プリクラからは、最後の一枚だと告げる音声が流れていた。
どうやら最後はフリーポーズらしく、具体的な指示はない。
「つーか、大丈夫か?」
さっきから大幅に減少した口数を心配すれば、ミアは胸を押さえながら一つ頷く。
「ねぇ、りんたろー君」
「何だよ?」
「最後に一つお願いしてもいいかな?」
「内容によるぞ」
「もう一度、抱き上げたポーズで撮ってほしい」
俺はその要求の真意が分からず、首を傾げた。
「いいのか? そもそも二枚分同じポーズで撮っちまってるけど」
「大丈夫。最後の一枚は、宇川美亜として君と撮りたいんだ」
ミアは、俺の目の前でウィッグを外す。
すると彼女本来の黒色のボブカットが姿を現わした。
メイクのせいか、少しだけ普段の顔つきとは違うものの、そこにいるのは確かに俺の知るミアの外見である。
「ここなら変装を解いても周りには見えないし、いいでしょ?」
「……そうだな。そのくらいなら」
嬉しそうに頷いたミアは再び俺に体を預ける。
さっきと同じように彼女の体を抱き上げれば、カウントと共にシャッターが切られた。
今度はお互いに見つめ合っているような形ではなく、正真正銘のカメラ目線である。
ぶっちゃけめちゃくちゃ恥ずかしかったが————ま、ミアが満足げな顔をしていたから、良しとしようか。
◇◆◇
ボク————宇川美亜は、有名人という名のアイドルだ。
ボクの所属するミルフィーユスターズは、新曲を出せばCDはすぐに売り切れるし、ダウンロードサイトではひと月分くらいはずっと上位をキープするほどの人気がある。
コンサートを開けばチケットは一瞬で完売してしまうし、グッズの売れ行きも留まることを知らない。
さすがにここまで実績があるなら、ちょっとは自慢してもいいよね?
っと、そんなことは今どうでもいいか。
つまり何が言いたいのかと言うと、どんなに言葉を選んでも、ボクは一般人とは到底呼べない存在になってしまったということ。
もちろんなりたくてなったものだし、このことに後悔なんてない。
だけど————本当に時々、自分が"ミア"じゃなければなぁと思ってしまう時がある。
こうして変装し直している時とか、特にそう思う。
初めて街を歩いていて声をかけられた日は、自分でも思いの外浮かれていたような記憶があった。
自分が有名になったのだと、成功したのだと、すごく嬉しく思ったことを覚えている。
でもそんなスター気分を味わえていたのは、たった一週間くらいだった。
道端でボクに人が集まれば、その規模の分だけ通行を妨げられる人がいる。
人の迷惑になるようなことはすべきではないなんていうのは当たり前の話で。だからボクは誰よりも入念に自分の見た目を偽ると決めた。
変装も変装で、普段とは違う自分になれた気がして初めの頃は楽しかったと思う。
だけど徐々に徐々に見た目を偽ることにも疲れてきて、今では極力出かけたくないとまで思うようになっていた。
そんな風に生きてきたからこそ、ボクは
「うん……問題なさそう、かな?」
鏡に映った自分を見て、ボクは一つ頷く。
ここはボクらがプリクラを撮ったゲームセンターの中にあるトイレ。
たった一度の撮影のために変装を解いてしまったボクは、帰るために改めて変装を施している。
面倒臭いとは思ってしまうけれど、りんたろー君に迷惑をかけないためには必要なことだ。
「ん?」
ようやく"ミア"らしさが消せたと思ったら、突然鞄に入れいてたスマホが震える。
どうやらりんたろー君がラインを送ってきたようだ。
『悪い。腹痛くて俺もトイレ行ってくるわ。ちょっと待っててくれ』
「あちゃー……」
ボクは思わず頭を押さえた。
具体的な理由は分からないけど、何となく昼のラーメンが原因な気がする。
込み上げてくる罪悪感の下、ボクは何をしたらいいか考えた。
(……薬。そうだ、薬を買ってきてあげよう)
近くに薬局があったはずだ。
そこで腹痛を治す薬を買ってくれば、少しは罪滅ぼしになるかもしれない。
鏡で変装の最終確認をして、ボクは外へ飛び出す。
UFOキャッチャーなどで遊んでいた時間が長かったからか、日は徐々に傾きつつあった。
「もうこんな時間か……」
ボクは空を見上げ、独り言をつぶやく。
今日が終わってしまう。それがどこか残念で、久しく感じていなかった一日が短く感じる現象を味わっていた。
(思ってたよりもずっとずっと楽しんでいたんだなぁ……ボク)
りんたろー君の側にいると、ボクは"ミア"じゃなくて、"宇川美亜"に戻れる。
それがどれだけありがたくて、日頃からどれだけ感謝しているか、きっと彼は理解してくれないだろう。
けど、それでいい。
ボクはゲームセンターから少し離れた位置にあるドラッグストアへと入り、薬と水を購入した。
その道中で一応りんたろー君にゲームセンターを離れることを伝え、とりあえずはその周辺で待っていてもらうことにする。
(病気で寝込んだ彼氏を看病しに行く彼女って、こんな感じなのかな?)
袋に入った薬と水を見て、定めていた目標を達成できたことを嬉しく思った。
もう少しで、この恋人ごっこも終わる。
「あーあ、残念」
りんたろー君がいないことをいいことに、ボクは緩んだ口元からそんな言葉をこぼす。
————その時、ボクの目の前に一人の男性が立ちはだかった。
「おネエさん美人だね! ねぇねぇ、稼げる仕事に興味ない?」
「……は?」
初対面で申し訳ないんだけれど、ボクはこの人にいい印象は抱けなかった。
だらしなくスーツを着崩して、派手な金髪をワックスでガチガチにセットしている頭。
こうしておけばカッコいいだろ? とでも言わんばかりな態度はどこか癪に障り、自分に一番似合うファッションを一切理解しようとしない様は、どこか滑稽にすら映った。
「オレ夜の仕事とか紹介しててさぁ。君みたいな稼げそうな子に声かけて回ってんのよー。でもどいつもこいつもあんまり話聞いてくれなくてさ……今月ノルマがピンチなんだよねー。分かってくれる? ちゃちゃっと男の相手してちゃちゃっと大金稼げる仕事紹介するからさぁ、ちょっと事務所まで来てくれないかなぁ?」
「……」
聞き流した言葉の端々から読み取った限り、この男はスカウトマンのようだ。
だけどどう見ても、どう聞いてもこの人は真面目にスカウトマンとして働いている人たちの評判を下げるような対応しかしていない。
スカウトする対象であるはずの女性を蔑ろにしたような発言が混ざっているし、お金という部分ばかり強調してくる。
お金自体は悪い部分ではないにしろ、あまりにも言い方が汚い。
こういう輩は、無視するに限る。
「オイ、ちょっと待ってくれよぉ」
「え……?」
普段ならこういう人は無視すれば諦めてくれるのに、この人はどこか苛立った口調でボクの二の腕を掴んできた。
急に強く握られたせいか、少し痛い。
「オレ困ってるって伝わったよね? なのに無視るっておかしくない?」
「……急いでますので」
「だーかーらー、オレは君が話を聞いてくれなくて困ってるの。ちょっとは人助けしようよ」
————駄目だ、この人は話が通じない。
周りの人もそれを理解してしまったからか、ボクらを避けるように歩いていく。
その気持ちが理解できてしまうせいで責めることはできないけれど、できれば助けてほしいとボクの弱い部分が叫んでいた。
「君が事務所で話を聞いてくれるだけで、オレはとっても助かるの。ねぇ頼むよォ。稼がせてあげるからさぁ」
「み、未成年なので、そういう仕事はできません」
「またまたァ。こんな大人っぽい見た目で未成年なわけなくない? 嘘つかないでくれる?」
ボクの腕を掴んでいた彼の手が、さらにきつく食い込んできた。
ここで学生証を見せれば、未成年であることは証明できる。
しかしそれは同時に、ボクがミルスタのミアであることを証明してしまう諸刃の剣でもあった。
こんな男にミアであることがバレれば、どんな行動を取ってくるか分からない。
「こォんなに困ってるんだからさ……もうそろそろ折れてくれてよくない? ほら、もうすぐそこのビルがウチの事務所だからさっ!」
「っ————」
「黙ってるってことはオッケーってことだよね! じゃあ行こうか!」
違う。
やめてくださいって叫ぼうとしたのに、声が出なかっただけだ。
自分の状態に対して、動揺が隠せない。
何故か目の端に涙が浮かんできて、体が硬直する。
「そんな怯えんなって。悪いようにはしないからさァ」
ボクが————怯えている?
ああ、そうか。
ボクは今、この人を怖がっている。
こうして男性に言い寄られる経験なんて初めてじゃないし、その度に気丈に振舞ってやり過ごしてきたけれど、今日に限ってはそれができない。
多分それは、今のボクが"ミア"じゃなくなってしまったから。
(りんたろー君……!)
心の中で、彼の名を呼ぶ。
例え口で叫べたとしても、りんたろー君がここに来ることはない。
待っていてくれとラインしたのはボクだ。
今頃、ボクが戻ってくるのをゲームセンターの近くで待っていることだろう。
助けなんて期待できない。
ボクにできるのは、すくみ上った足で何とかこの場に留まる努力をすること。
そんなささやかな抵抗をするボクを見て、男は分かりやすく苛立った表情を浮かべた。
「チッ……ああ面倒くせぇなぁ! もう黙ってついて来いよ!」
「————あの」
「アァ⁉ んだよ⁉」
「その人、俺の連れなんですけど」
突然、掴まれていた腕が楽になる。
男の腕は横から割り込んできた誰かによって掴まれており、どうやらその人がボクから無理矢理男の腕を外してくれたらしい。
ゆっくりと、その腕の持ち主へと視線が移る。
「よっ、かろうじて無事みたいだな」
そこにいた
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