16-4

「さて――――そろそろ寝ようか」


 ミアがそう切り出したことで、俺は顔を上げる。

 

 とんだ恥を晒してから、俺たちは特に罰ゲームを設定しないトランプゲームを楽しんでいた。

 ダウトやら、大富豪やら。お互いを煽ったりしながら進めていくゲームは想像以上に面白く、気づけば時刻はすでに深夜を回ってしまっている。

 

「あー、そうね。いざ寝ようと思ったら急に眠気が来たわ……」

「ん、私も眠い」


 言われてみれば、確かに俺にも眠気が来ていた。

 気を抜くとボーっとしてしまう。これでは寝落ちするのも時間の問題だろう。


「んじゃ歯磨いて寝るか……」

「そうしよう。ほら、二人もダラダラしないで」


 まだ動けそうなミアに急かされ、俺たちは歯を磨いて寝室へと向かう。

 四人揃って入った寝室には、ベッドが二つ。

 昼間の日焼け止めのくだりのせいで、俺たちは二つしかベッドがない部屋に四人で寝ることになっていた。


「凛太郎、本当にそこでいいの?」

「お前らと同じベッドで寝るよりよっぽどマシだからな。本当なら同じ部屋で寝ること自体許したくないんだぞ」


 俺はベッドとベッドの間にできたスペースに、毛布を数枚重ねて疑似的な敷布団を作っていた。かなり質のいい毛布を重ねているおかげか、寝そべっても床の硬さはほとんど感じない。疲れ切っている今ならば、あっさり熟睡できてしまいそうだ。


「あんたって本当に誠実よねぇ……むしろマジであたしたちに興味ないんじゃないの?」

「興味を持たないようにしてるだけだ。そもそも俺がそういう下心満載な人間だったら、まず同じマンションの同じフロアに住むこと自体許さなかっただろ?」

「まあそれはそうだけどさ? うーん……ま、そうよね。この環境で手を出してこないあんたを素直に褒めておくわ」


 さらにそもそもの話、そんな人間だったらまず玲がこんなに俺に懐くようなことはなかっただろう。

 玲はどこか抜けた部分があるものの、決して頭の悪い人間ではない。

 欲望に忠実なだけで、考えなしというわけではないのだ。


 そんな彼女とその仲間に、ここまで近づくことを許されている。


 そうした信頼がどこまでも心地いいと感じるし、崩したくないと思う。


「ボクとしても、こうして身近なところに男の子がいてくれるのはかなり新鮮だから、最近結構毎日が楽しかったりするんだよね」

「あたしも概ね同意ね。りんたろーみたいな男、周りにまったくいなかっもの」


 悪い気はしないものの、さすがにそろそろむず痒い。

 

 俺はタオルケットを顔までかけると、そっぽを向いて目を閉じた。


「あ、逃げたわね」

「ふふっ、まあ拗ねられても困るしね。そっとしておこうか」


 ベッドの上で二人が横になった気配がする。

 しかし、俺が安心して眠りに落ちようとした瞬間、耳元で声がした。


「おやすみ、凛太郎」

「……ああ、おやすみ」

 

 俺がこの場にいられるきっかけとなった女の声。

 その声はどこまでも優しくて、温かかった。


 

 眠りの中で、俺は夢を見る。


 

 それはいつかのパーティーの光景。何度も見た、あの夢だ。

 隣には金髪の少女が座っている。

 彼女は俺が持ってきたバイキングの食事を口いっぱいに頬張り、幸せそうな笑顔を浮かべていた。


 やっぱり、あの顔は――――。


「ぐふっ⁉」


 俺の意識は、一瞬にして現実へと引き戻される。

 腹に走った鈍痛。その正体を確かめるべく顔を上げれば、そこには女の生足が乗っていた。


「んん……その乳ちょっとはよこしなさいよ……」

「……っ、ざけんなよ」


 ベッドの上で寝ていたはずのカノンが、俺にかかと落としを叩き込んでいた。

 そう言えばこいつ、めちゃくちゃ寝相が悪かったんだったな――――。


(覚えとけよ……)


 起こして小言を言うほど俺の心は狭くない。

 できるだけ音を立てないようにしながら、彼女の体をベッドの上に戻す。その際にカノンと一緒に寝ていた玲の姿が目に入った。

 結局カノンと玲が同じベッドで寝ることになったのだが、うん、今のところはまだ無事らしい。

 どうして最初にすぐ隣で寝ている玲ではなく俺に被害が出たのか――――少し納得がいかないが、まあこの場に関しては起こしたのが俺だけでよかった。


(……水でも飲むか)


 冷房の効いた室内は過ごしやすい温度になっているものの、代わりに喉は乾きやすい。

 俺は音を立てないように部屋を出て、キッチンへと向かう。

 そのままキッチンの水道でコップに水を注ぎ、おもむろに窓際へと移動した。

 

 窓から見える風景は、意外にも明るい。

 どうやら満月が近いようだ。月もそうだが、都会から離れているからか満天の星空が見えている。


 もう少し近くで見てみたい――――。


 そう思った俺は、サンダルを履いて外へと飛び出していた。


「おお……」


 遮る物が何もない場所から見る空は、窓のガラス越しに見た物とはまったくの別物だった。

 自然に圧倒されたのなんて、一体いつぶりだろう。

 いつの間にか眠気はどこかへ消えて、俺はただただその光景を目に焼き付けようと必死になっていた。


「————凛太郎?」


 突然、俺の名前を呼ぶ声が聞こえた。

 振り返れば、そこには俺と同じようにサンダルを履いて飛び出してきた玲の姿がある。

 彼女は俺の顔を見ると、嬉しそうに微笑んだ。


「目が覚めたらどこにもいなかったから、いるとしたらここかなって思って」

「悪い、こっそり移動したつもりだったんだが、起こしたか?」

「ううん。私が起きたのはカノンのせい。肋骨に一発拳をもらった」


 そう言って玲は脇腹の辺りを擦る。

 隣に寝かし直したのは俺だから、結果的には俺のせいだ。まあ、あえて言うようなことはしないけど。

 全部カノンのせいにしておこう。それが一番平和だ。


「俺も今さっきカノンからかかと落としを喰らって起きちまったんだ。お互い災難だったな」

「本当。でも相手はカノンだから、仕方ない」

「ははっ、寝相は注意しようがないしな」


 それこそ体を縄で縛ったりしなければ、あの寝相を矯正することはできないだろう。しかしその姿を思い浮かべると、あまりにもシュールで笑いがこみ上げてくる。


 カノンの名誉のために咳ばらいをして笑いを堪えながら、俺は改めて玲に向き直った。


「……ちょっと話すか」

「……うん」


 俺たちは砂浜まで移動し、昼間休憩するために使っていたマットの上に腰かけた。

 パラソルは閉じ、マットの上でも星が見えるように視界を開ける。


「昨日まではずっと撮影で疲れていたから、こうして星を見ようとも思わなかった。こんなに綺麗だったんだね」

「そりゃもったいないことしたな。今日のところはカノンに感謝ってところか?」

「そうかも。起こしてくれてありがとうって」


 明日感謝を伝えても、あいつはポカンとするだけなんだろうな。

 嫌味の一つくらいは言ってやろうと思っていたが、こうしていいこともあったわけだし止めておくことにする。


「また来たいって、思う?」

「ん?」

「凛太郎がいいって言ってくれるなら、私はまたこうして一緒に旅行に行きたい。秋は紅葉を見に行きたいし、冬はスキーとか、温泉とか……春が来たらお花見したいし、また夏が来たら、ここに戻ってきたい。全部、凛太郎と一緒に」

「……そんなに俺と一緒にいたいのか?」


 からかうようにしてそう問いかければ、玲は一瞬驚いたように目を見開く。

 そしてその目を細めると、薄い笑みを浮かべた。


「————うん。ずっと一緒にいたい」


 そこには、一切濁りのない純粋な好意があった。

 俺は一度玲から視線を逸らし、再び空を見上げる。


「ああ……俺もだ」


 俺は自分の意志で、確かにそう口にした。

 こんなこと、目を合わせて言えるわけがない。

 心が落ち着いてきてようやく、再び玲と目を合わせることができるようになる。


「それ……本当?」

「こんな場面で嘘なんてつかねぇよ。一度口にした言葉を曲げるつもりもねぇ」

「……嬉しい」


 間にあった距離を、玲の方から少し詰めてくる。

 もはや俺たちの間には、少しでも動けば触れてしまえそうな距離しかない。

 じれったく、もどかしい。


 俺が俺でな・・・・・かったのなら・・・・・・玲が玲でな・・・・・かったのなら・・・・・・、すべてを無視して触れられたのに――――。


「ねぇ、凛太郎」

「……何だ?」

「……ううん、何でもない」

「そうか」


 俺たちは互いに、そこで口を噤んだ。

 今の関係から先に進むのは、まだ早い。

 彼女が夢を抱き続ける限り、俺たちの関係を変えることは難しいのだ。


 俺も玲も同じ気持ちを抱いていたとしても――――。


「もう少しだけ見てくか」

「うん……そうしよう」


 俺たちはただ、空を見上げて星を見る。


 この気持ちは秘密にして、この場所に、この夏に置いていこう。

 いつか取りに来て、いつか彼女に伝えられるように。

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