15-1 命令権

「ビーチボールするわよ!」


 海から上がって水分補給をしている俺たちに、カノンが突然そう告げる。

 その手にはボールが握られており、彼女は楽しげにそれを天に掲げた。


「四人でラリーして、落とした奴は三人の言うこと一つずつ聞く!」

「勝手に決めんなよ……」

「え、何? 逃げるの?」


 小馬鹿にしたようにニヤニヤと笑うカノンを前にして、俺の額には青筋が浮かんでいたことだろう。しかし海ではしゃぎ回っているとは言え、大人になるべきところはならなければならない。

 つまるところ、俺はこんな挑発には乗らないということだ――――。


「上等だ。やってやるよ」


 ————などという思考はすべて、このセリフを言った後に頭に過ぎったものである。

 すでに俺は勝負に乗ってしまった。後戻りは許されない。

 もうちょっと後悔してるけど。


「そうこなくちゃ。あんたたちもやるでしょ?」

「もちろん。こんな面白そうなことに参加しないわけがないよ」


 そう告げたミアの隣で、玲も頷く。

 こうして俺たちの砂浜デスマッチが開催されることになった。


 カノンはまず水辺から少し離れたところまで移動すると、落ちていた枝で砂浜に大きな円を描く。


「ボールを落とした奴が負けってルールだと、とにかく遠くまで打って到底追いつけないところまで飛ばしちゃえばいいって話になるでしょ? だからこの円の外にノータッチでボールが落ちた場合は、最後に触った人のミスってことにするわ」

「なるほど、それならすぐにゲームが終わるってことはなさそうだな」

「そんで残機は二つ! 取りこぼすか、今言ったように円の外に打ってしまって残機がゼロになったら負けよ。あと同じ人が二回連続でボールに触っても残機は減るわ」


 即興のゲームにしてはルールがしっかりしている。

 罰ゲームさえかかっていなければさぞ楽しいゲームになっただろうな。


「ねぇ、睨めっこが起きたらどうするの?」


 玲の質問はもっともの話だった。

 丁度人と人の間にボールが落ちた場合、お互いが押し付け合って打ち返さない可能性がある。それではどっちのミスか分からない。


「睨めっこが起きた時は、両方のミスにするわ。落としたくないなら声を掛け合うことね。それと自分が取るって言ってわざと取らないような真似もミスに数えるから」

「なるほど、分かった」

 

 これまたいいルールだ。

 このルールであれば睨めっこはまず起きないだろう。


 宣言フェイントを禁止したこともいい判断だ。

 例えば俺が残機を二つ残していて、玲が一つ削れた状態の時、俺と彼女の間に落ちようとしているボールを「俺が取る」と言って相手の行動を阻害してしまえば、睨めっこ状態のルールに基づき二人とも残機を一つずつ失って自動的に残機を残していた俺の勝利となる。

 これでゲームが終わっても、何だか味気ない。


「罰ゲームで命令する内容って、何でもいいのかな?」

「まあ常識の範囲内ならいいんじゃない? それを履き違えるあんたらじゃないでしょ」


 まあそりゃそうだ。本気で嫌がるような命令を投げる気はない。

 せいぜいちょっと恥ずかしがらせる程度だ。


「じゃ、各々位置につきなさい」


 罰ゲームがあるという独特の緊張感を覚えながら、俺は描かれたリングの中へと足を踏み入れる。

 入ってみると、外から見た時よりは広く感じた。

 

 ゲームの攻略法など大それたものはないが、大事なのは如何に際どいところにボールを落とせるかだと思う。欲を言うのであれば、ラインギリギリがベスト。外に出るか出ないか判別しにくいところにボールが行けば、相手の頭に迷いを生み出せる。そこでミスを誘えればこっちのものだ。


 ただ――――。


(……やったことねぇんだよなぁ)


 バレーボール自体を学校の授業以外でやった覚えがない。トスやらレシーブやら、やり方自体は分かる。ただボールを体で弾くという感覚が分からなければ、これ以上は何とも言えない。


「ルールは問題ないと思うけど、念のため確認してみたいし一回練習するわよ。ここで落としても残機は減らないからね」


 カノンがそう告げたことで、俺は安堵した。

 よかった。これでボールの感覚を覚えられる。

 

 練習のため、俺たちは何度かボールを打ち合った。

 やはりジャストミートすることは難しく、何度か変な打ち方をして転がしてしまったが、それも繰り返すうちに少しはマシになる。

 まあ集中さえ欠かなければ、無様に打ち損じるようなことはないはずだ。


「それじゃ、そろそろ本番行くわよ!」


 いよいよか。

 リングの中に走ったのは、独特の緊張感。


 ボールを浮かせたカノンは、そのまま指先で空に押し上げるようにトスを上げる。

 ゆるやかな回転のかかったボールは、ゆっくりと俺の下に落ちてきた。

 

(うん……これくらいなら)


 俺はよくバレーボールで見る突き出した手の先で指を組み合わせる基本的なレシーブの構えを取り、ボールを高く打ち上げた。

 ある程度の高さまで上がったボールが自由落下を開始した場所は、ちょうど玲とミアの間である。我ながら絶妙なところに落とせたな。


「レイ! ボクが行く!」

「っ!」


 下に潜ろうとしていた玲が足を止め、代わりにミアがボールの落下地点を陣取る。そして最初のカノンと同じように、指先でトスを上げた。

 トスの上がった先には、たった今足を止めた玲がいる。


「ん、絶好球」


 そうぼそりとこぼした玲は高く跳び上がると、体を後ろ向きに弓なりに反らした。

 その動きを見て、俺はいつかの光景を思い出す。


 あれは確か、夏休み前。体育の授業の時のこと。


 ネットよりも高く跳び上がった玲が相手コートに強烈なスパイクを叩き込む姿を、俺は壁に寄りかかりながら見ていた。


 まずい――――。


 思った時にはすでに遅し。 

 彼女の手によって弾き出されたボールは、恐るべき勢いを持って俺へと向かってくる。

 俺の考えが甘かった。スパイクしちゃいけないなんてルールはどこにもない。これも立派な超攻撃的な戦略だ。


「くっ……」


 何はともあれレシーブしなければならない。

 幸い本来のバレーボールに使われるボールと違い、少し大きくて柔らかいボールだ。これなら腕で受け止めても大したダメージはない。


 ――——そのはずなのに。


「なん……だと……?」


 ボールを受け止めた腕が、みしりと音を立てる。

 俺は衝撃を殺すためにさらに膝を曲げ、体のバネを使って威力を弱めることに努めた。

 しかしそれでも、ボールの勢いは止まらない。


 ボンと重い音が響き、ボールは勢いよくリング外へと飛んで行ってしまう。

 点々と転がるそのボールを見て、俺はあんぐりと口を開けた。


「マジかよ……」

「レイ! でかしたわ!」


 カノンからの称賛を受け、玲は得意げに鼻を鳴らす。

 

「凛太郎、これで残機は残り一」

「てめぇ……」


 今分かった。

 玲の野郎、俺を狙い撃ちする気だな? 

 どうやらどうしても俺に言うことを聞かせたいらしい。


「凛太郎への命令権、欲しい。だから私はあなたを狙う」

「上等だよ。やってみやがれってんだ」


 ここまで宣戦布告されて、男として黙っているわけにはいかない。

 

 有利なのは俺だ。

 玲は俺を負けさせたいのに対し、俺は自分が負けなければそれでいい。

 バトルロワイアルのこの現状で、特定の一人を狙うのは難しいはずだ。


(玲が拘ってくれている限り、この勝負は勝てる……!)


 その確信の下、俺は落ちてしまったボールを拾い上げた。

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