一ノ宮澄人の青春

双葉うみ

第一部

プロローグ 一ノ宮澄人の青春

 つまりまとめると、こういうことだった。

 将棋部の後輩くんの言によれば、彼の先輩、――香山(かやま)が最近、部活に身が入っていない状態らしく、どうにか香山に真剣に部活に打ち込むよう説得してほしい、という事らしい。

 後輩くんは肩をがっくしと落しながら、ため息をついていた。

 余程その先輩にやる気を出してほしいのだろう。

 というのも近々、全国高校将棋選手権なるものがあるそうで、香山はその大会を去年の春、夏と連破している中々の強豪、今回は三連覇が懸かっているのだそうだ。しかし当の本人はそんなものに微塵の興味もなく、今日も今日とて部室でだらだらと漫画を読んでいるらしい。

 後輩くん曰く、将棋部の存続にも関わる事案でもあるらしく、先輩には是非とも頑張ってほしいと説明されたのだが、正直、俺にはどうでもいい話だった。

 香山が大会で負けようが、後輩くん諸共、将棋部が廃部に追い込まれようが、俺の日常にはさして影響のある事ではない。

 しかし、うんうんと大仰に頷き、真剣な眼差しで話を聞いている目の前の彼女はこの話に、とても前向きらしく――。

「どうかなぁー、澄人(すみと)? 解決できそう?」

 と、キラキラした瞳をこちらに向けて、小首を傾げてきた。

 こいつが、今回の面倒ごとを持ってきた張本人、花川妃菜(はなかわ ひな)。

 ミディアム気味の艶やかな髪から覗くのは白に近い肌色。それはとてもきめ細やかで、呆けた男子はふいに「綺麗だ」と呟くほどの美しさ。女子の中では身長が低い方なので、同性から小動物的な可愛さで愛されている。

 そして、そんな彼女が今回の、いや毎回のごとく面倒ごとを持ってくる張本人で真犯人。

 俺はため息を吐いて、窓のへりに肘をついた。

 横から涼しい風があたって、同時に正面の桜の木から花びらが一斉に旅立っていく。風に乗った桜の花びらは舞っているようにも見えるし、酒に酔ってふらふらしているようにも見える。そんな桜色一色の光景を眺望すると「ああ、春なんだな」と風情を感じざるを得ない。

 そんな物思いに耽っている間も、背中越しからは妃菜が「ねーねー、澄人聞いてる? ねー、どう思う?」と絡んできたり、将棋部の後輩くんに至っては「どうしよう! このまま先輩がやる気を出さずに大会でもし負けるようなことになったら……。ああああああぁぁぁーー!」と取り乱していた。

 風情も何もあったもんじゃない。まったく、うるさい奴らだ。

「はあー」

 このまま、うるさいのも困ったものだな。

 だから今回も、仕方ないか――。

 俺はこうやってまた、ズルズルと妃菜の目論見通りに面倒ごとを解決する羽目になる。

 早くこの負のスパイラルから抜け出さなければと思ってはいるのだが……。

 そうやって、結局は妥協という形で相談を引き受ける自分に毎度のことながら呆れつつ、俺は徐にスマフォを取り出した。

 ――そうだな、なるべく早い方がいいか。

 俺は淡々と指をタップして、スマフォを操作していく。

 スマフォを弄っている間も当然のごとく二人はガヤガヤうるさく、気が散って仕方なかったが、――しかしどうにか上手くいきそうだ。

 そうして、うるさい妃菜と後輩くんを無視しつつスマフォを操作し続けていると、パタパタとこちらに向かってくる足音が聞こえてきた。

 そして、その足音の主は俺たちの前で歩を止めた。

「ねぇねぇ、なんだか困っている様子だけど、どうしたの?」

 清宮美海(せいみや みなみ)、そいつは俺の幼なじみだった。

 妃菜よりも短いボブヘアの黒髪。身長は俺より頭一個分くらい低いが女子にしては高い背に、出るところは出て、引っ込むところは引っ込んでいるモデル顔負けのスタイルは妃菜曰く女性の理想形らしい。確かに俺から見ても魅惑的な体型だが……って、あの……妃菜さん? そんな目で俺を見るのはやめましょうね? 妃菜はジトっとした目でこちらを見つめていた。 

「清宮さん、こんにちは」

 先程の妃菜とは打って変わって、落ち着いた声音の彼女は笑顔を保ってはいるものの、正直とても怖かった。いや、ほんと怖い。マジ怖いです、はい。

 対する清宮も「こんにちは」と妃菜と同様に笑顔を浮かべるが、なんだか清宮の笑顔も怖いなぁ……?

 そんなバチバチっと火花を散らしそうな二人をよそに、俺はチラッと視線を向けるのみで、基本的にはスマフォから目を離さない。

「一ノ宮(いちのみや)くんも、こんにちは」

 俺はその挨拶に「ああ」とおざなりに返事をした。

 清宮はそんな俺の態度に眉をぴくぴくとさせて、少しお怒りのご様子だったが、しかしこいつは元からフォーマットとして俺に対して随時、苛立っているので、これはこれで普通の反応かもしれない。

 清宮は俺たちへの挨拶もそこそこに、今度は後輩くんに顔を向けて「困ってることあるの?」と訊いてきた。

 後輩くんは突然の見知らぬ上級生、それも一般的に見て、美人で清楚で人当りも良さそうな清宮にしどろもどろしながらも、先程俺たちに相談してきた内容を話した。

 妃菜は「もう私たちが解決するのに!」と憤慨している。

 俺にとっては、清宮が解決してくれるならそれでいいのだが……。

 しかし、今回は彼女には悪いが、もう清宮の助力は必要ない。

「じゃあ。私が解決してあげようか!」

 清宮が後輩くんに提案したタイミングで俺は首を振って、清宮を制した。

「いや、その必要はない。たぶんもう解決したから」

「えっ、もう解決したんですか? でもどうやって……。と言うか、何もしてなかったじゃないですか!」

 後輩くんの疑問に俺はスマフォを掲げて、画面を見せた。

「さっきまで香山と将棋のアプリでオンライン対局してたんだよ。それで俺が勝って、香山とはまた再戦する事になった。それが春の大会の後だから、少なくとも春の大会まではやる気を維持できるんじゃないか? 今頃、あいつ、相当悔しがってるぞ」

 妃菜は傍らから「へぇー」と感心した声を出して、スマフォの画面を覗いてきた。

「澄人って将棋強かったんだ」

「いいや。普通に指して、香山に勝てる訳ないだろ」

 俺はスマフォの画面を指差して、妃菜に説明する。

「こうやって将棋ってのは実力差を埋めるために強い奴には駒無しで、つまりハンデをつけてもらって戦うんだよ。角落ちとか飛車落ちとか。で、今回はその両方の二枚落ち。それに一手五秒の制限付き。やる気を無くして、集中力が切れている香山にこの条件なら俺もぎりぎりで勝てなくはない」

 妃菜はまた感心したように「へぇー」と声を出した。

「でも、それでも勝つってやっぱ澄人、将棋強いんだ!」

 妃菜は同意を求めるように後輩くんに視線を向ける。それに応えて彼も俺を賞賛した。

「すごいですよ! あの香山先輩に二枚落ちでも勝てちゃうなんて! 僕より強いと思います!」

 いや、そこはプライドを持って、僕も勝てますとか言えよ。

 そんな後輩くんに憐みの眼差しを送りながらゆっくりと清宮に視線を移すと、ちょうど彼女と目が合った。

 清宮は悔しそうに、そして恨めしそうに俺を睨みつけている。

 そんな清宮の眼差しを確認して、俺はおずおずと清宮から視線を外した。

 俺はただ問題を解決しただけだぞ……。

 

 その後、後輩くんは俺たちに礼を言って部活に戻っていった。

 まったく礼一つで終わりとは慈善活動も甚だしい。

 俺はもう金輪際、こんな面倒ごと引き受けないぞと心に決めるが、しかし結局、妃菜の頼みごとを何だかんだと引き受けてしまうのが俺の性というか呪い。

 俺も俺でお人好しなのかもしれないな。

 そんな自分に呆れつつ、俺たちもそろそろ帰るかと妃菜に顔を向けると、突然、腕を後ろ手に掴まれた。

「私が何とかするって言ったんだけど」

 反射的に振り返れば、俺の腕を掴んできたのは、もちろん清宮だった。

「解決したから、もうそれでいいだろ」

「いや」

 清宮は首を振った。

「香山さんとの対局で勝って、もしそれで香山さんが逆にやる気を無くしたら? 自分よりも実力的に下の人間に負けたら普通やる気を出すよりも消沈するよね?」

 俺は清宮に向き直って「それはない」と否定する。

「あいつとはそれなりに仲が良いんだ。香山の性格上、あれでやる気を無くすことはない」

「けど、それは推測でしょ?」

「そうだな、推測だ。けど、お前よりは香山のことを知っている自信がある。それとも、お前も香山とは仲が良いのか?」

「いや、それは……。まだ話したことないけど」

「じゃあ、これに関してお前が俺に言えることはないだろ」

 どうしてそこまで、俺に突っかかってくるのだろうか。

 解決したのだからそれでいいだろ……。しかし彼女は――。

 

「それでも、私が解決する」


 清宮の声は放課後の静かな廊下に響き渡った。

 俺はそんな清宮の叫びに目を伏せて、そのまま彼女を見る事もなく背中を向ける。

 真っすぐな奴だ。そして真っすぐ過ぎる奴だ。

「じゃあな」

 手を振って、別れを告げる。そして振り返ることなく、俺はその場から立ち去った。

 横から妃菜が「良かったのー?」と間延びした声で訊いてくる。

「いいんだよ。あいつは俺に対抗意識を持ちすぎなんだ」

 妃菜は微笑みながら「ま、そだね」と頷いた。

 放課後の学校。

 グラウンドからは野球部の暑苦しい掛け声とバットにボールが当たる甲高い快音が遠くやまびこのように聞こえてくる。

 教室からはまだ居残っている女子の楽しそうな笑い声や、他の教室からは対極的に男子の野太い笑い声が漏れ聞こえる。廊下から聞くとそれは共鳴しているようで何だか笑ってしまう。

「ほんと、たまたま香山と仲が良くて、たまたまそれなりに将棋が指せたから解決できたんだ。偶然に助けられただけだ」

 小さく小さく呟いたその言葉に妃菜は苦笑しながらも「そんなことないよ」とこちらも小さく呟き返した。

 妃菜はそのまま俺に腕を絡ませてきて「にひひ」とあざと可愛い笑顔を向けてくる。

 俺はそんな彼女を受け入れながら、廊下を進んだ。

 妃菜とは恋人同士であり、その事を別段、隠したりはしていない。

 こういう事は変に隠す方が問題が起きやすい。堂々としている事が最善であり、逆にどんな間違いも堂々としていれば間違っていないように見えるものだ。

 人間なんてそんなもの。周りの反応ばかりを気にして、それがいざ思っているものと違う反応でも、それが正解なのかもと流されてしまう。

 果たしてそこには自分の意志があるとは思えないが、今の時代自分の意志を明確に持っている奴の方が珍しいのかもしれない。

 何が正しくて、何が間違いなのか。

 善と悪も曖昧なこの世界で、俺たちはどう生きるべきなのか。

 なんて、そんなことは哲学者にでも任せておけばいい。

 結局、小難しく考えて良いことなんか何もない。

 流されて生きるのもまた選択の自由。そうやって生きるのが楽ならそれでいいと俺は思っているのだが――。

「そう言えば、もう一つ相談事を頼まれててさー。澄人、聞いてくれない?」

 やはり、流されて生きるのは間違っているのかもしれない。

 現に今、俺は流された結果、面倒な厄介ごとを妃菜に頼まれてしまっているのだから。

 断ってしまえばいいのだが、恋人である妃菜の手前、それも難しい。

 詰まるところ、俺も断り切れないのがこの結果の原因でもあるのだが……。

 それにしたって、妃菜が持ち込んでくる面倒ごとの数々にはため息を吐かざるを得ない。少しは俺の意見も尊重してほしいものだが、妃菜に言っても仕方ないか……。まったく――。

 

 ――俺の青春はいつから、こんなにもままならなくなってしまったのだろうか。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る