第401話 ハグには不安を取り除く効果があるらしいけど、してくれる相手がいるかどうかの問題が先に来る

 あれから少し落ち着いた唯斗ゆいとは、占いに書いてあった『相手の言葉を否定しない』という言葉を考え直してみた。

 これは機械的に否定の意味を持つ単語を発さないということではなく、反対意見を出さないという意味なのではないだろうか。

 そういう前提に置き換えてみると、日常会話程度は何も気にすることなく行えるはずだ。


「ゆーくん、聞いてます?」

「え、あ、ごめん。ぼーっとしてた」

「もう、寝不足なんですか? やっぱり、佐々木ささきさんと夜な夜な何かしてたんじゃ……」

「そんなわけないじゃん」

「……はっきり否定するのも、それはそれで失礼な気がしますね」


 苦笑いする晴香はるかに見つめられ、家から持ってきていたらしい携帯ゲーム機ヨンテンドーBotannで遊んでいた夕奈ゆうなはキョトンとした顔でこちらを見る。

 どうやら何も聞いていなかったらしい。聞いていたなら調子に乗ってからかってくるだけだっただろうし、唯斗にとってはある意味ラッキーだ。


「ところで、今日は何しに来たの?」

「いえ、特に用はないんです。朝起きた時にゆーくんの声が聞きたいって思ったので来ちゃいました」

「それは嬉しいけど、来るなら早めに連絡してね。家にいなかったりしたら申し訳ないからさ」

「次からはそうします!」


 常にニコニコしながら話してくれる晴香に連られて、唯斗も自然と口角を上げていると、何やら夕奈が面白くなさそうな顔をして間に割り込んでくる。

 ただ、何と言えばいいのか思い付かなかったのだろう。突然右腕を引っ張ったかと思えば、ぎゅっと抱きついてスリスリと頬を擦り付けられた。


「……マーキング?」

「ち、ちゃうわ! せっかくお泊まり中なのに、夕奈ちゃんを居ないものとして扱うから怒ってるんだし!」

「別に居ないものなんて思ってないよ。居るものとして無視してるだけで」

「その方が辛いんだけど?!」

「嘘嘘。ハルちゃんはお客さんだし、優先するのは当然でしょ? それに夕奈とは夜にいくらでも話せるじゃん」

「むぅ……話してくれないくせに……」

「それは夕奈がしょうもないギャグばっかり言うからだよ。普通の会話ならしてあげるから」

「……言ったかんな?」

「約束は守るよ」


 彼女は少し悩んだようだったが、真っ直ぐに見つめ返す彼の瞳を信用してくれたらしい。

 最後にもう何度かスリスリとしてから、「大人だから晴香ちゃんに譲ってあげる」と言ってまたゲームを再開した。

 その様子をしっかりと確認してから晴香へ視線を戻すと、今度は彼女の方が何か言いたげな表情をしているではないか。


「どうかした?」

「な、何でもないです!」

「隠してもいいことないよ。何を言われても、僕はちゃんと受け止めるし」

「じゃ、じゃあ、言ってもいいですか?」

「どうぞ」

「……その、私もスリスリってしてみたいです」


 不安そうな目でチラチラとこちらの様子を伺いつつ、本心を打ち明けてくれる晴香。

 彼女がどういう思いでスリスリしたいのかは分からないが、少なくともネズミーランドのマスコットたちにハグするのとは違うだろう。

 喜んで受け入れたい気持ちもあるものの、やはり易々と許していいものかという悩みもあった。

 ただ、夕奈という前例がある以上、断ると『自分では嫌なのか』と思わせてしまいかねない。

 そこまで思い至ってしまえば、唯斗が出せる答えはひとつしか無かった。


「うん、おいで」


 両手を広げながら指先だけをクイッと曲げて手招きをすると、晴香は「い、いいんですか?!」と驚きの混じった声を漏らす。

 それに対して頷くと、彼女は堪えきれないとばかりに頬を緩ませつつ、正面からゆっくりと抱きついてきた。


「えへへ、前から思ってたんです。ゆーくんの匂いはすごく落ち着くって」

「そうなんだ、嬉しいよ」

「こうしてくっついていると、気持ちが満たされる気がするんです。不安なことなんて、全部忘れてしまいそう……」

「ハルちゃん、何か不安なことがあるの?」

「あっ……あはは、つい口が滑っちゃいました……」


 晴香は「言うつもり無かったんですけど」と言いながら体を離すと、こほんと一度咳払いをする。

 それから「不安で、ゆーくんのそばで安心したかったんです」と呟いた後、心配の種についてを吐き出すように教えてくれた。


「来週、記憶喪失の最終診断があるんです」

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