第299話 本能には忠実に

「で、僕の女装が今の状況となんの関係があるの」


 唯斗ゆいとがそう聞くと、夕奈ゆうなは胸を張りながら「特にない!」と答えた。

 何となく予想は出来ていたものの、こうもハッキリと言われると怒る気にもなれない。


「まあ、本当は女装した可愛い姿を囮にして、私だけでも逃げようかなんて思ったけど」

「そんな簡単に着替えるわけないじゃん」

「集団の力はすごいかんね。いくら唯斗君でも、これだけの人数に期待されたら逃げらんないよ」

「その時は死んだふりでもする」

「じゃあ、夕奈ちゃんが人工呼吸してあげちゃう♪」

「……ちゃんと出来るの?」

「ふっ、一息で風船を割った肺活量舐めんなし」

「お願いだから他の人にして」


 とりあえず、囮作戦を諦めてくれてよかったと思いつつ、唯斗は根気よくここから抜け出す方法を探す。

 どこかに集団の裂け目でも出来れば、そこを狙って強引に突破も出来るかもしれない。そんなことを考えていると、本当に人集りの一部分が人一人分ほど開いた。


「何をしているんですか」


 それはモーセが杖を振ったわけでも、野次馬の親玉が現れたわけでもない。

 その身から放つ『いい女オーラ』で見る者を自然と後退あとずさらせてしまう。そんな僕たちの担任、下村しもむら先生だ。


「2人とも、困っているようですね」

「そうなんです。夕奈のせいで」

「私はカノちゃんたちを助けただけだしー!」

「なるほど。可愛い生徒のためです、先生が助けてあげましょう」

「助けるってどうやって……」

「ふふ、人集りの密度を減らせばいいんです」

「……暴力はなしですからね?」

「そういう意味の減らすではありません」


 彼女は「ある意味暴力的かもしれませんが」なんて言いながら微笑むと、少し横に移動しながらシャツの第2第3ボタンを外して腕を組む。

 言わずもがな下村先生は胸が大きい。夕奈の5倍……いや、重さにして10倍はあるだろう。

 そんな恵まれた物の持ち主がそんなポーズで少し前屈みになれば、人集りの半数程度いる男子たちの意識はそちらへ吸われてしまった。


「ほら、密度が減りましたよ」


 先生の言う通り、自分へ向けられる圧が減ったことで、チラホラと人集りに隙間が生まれ始めていた。

 しかし、これなら行けると確信した夕奈は、唯斗の方を振り返りながら「早く……」と言いかけて言葉を止める。


「うん、この景色は確かに暴力的だね」

「唯斗君が引っかかってどうするの?!」

「僕だって男だもん。つい見ちゃうものなんだよ」

「そんなの私ががいくらでも見せるから、ね?」

「……ふっ」

「こいつ鼻で笑いやがりましたよ、奥さん!」

「また隣町の奥さん出てきた」

「今、ネットカフェで寝泊まりしてるんだよね」

「妖怪地獄耳に何があったの」

「旦那さんと離婚調停中」

「……いや、ほんとに何があった?」


 彼女の頭の中のおばさんの過酷な人生については少し気になるが、今はそんなことを考えている場合ではない。

 唯斗がそれを思い出すと同時に、夕奈は彼の腕を掴んで人集りの抜け道目掛けて動き出した。

 厄介な男子が既に先生へ標的を切り替えているおかげで、少しの障害はあったものの簡単に壁を突破。追いかけられても困るので、そのままみんなのいるところまで走ることにする。しかし。


「あ、ちょ?!」


 前を走っていた夕奈が、向かってきていた赤い髪の小さな女の子とぶつかってしまった。

 一緒にいた男の子のおかげで転ばずには済んだが、それなりのスピードだったこともあってかなり驚かせてしまったようだ。


「本当にごめん!」


 しかし、こちらも立ち止まれない身。両手を合わせて謝った夕奈同様、僕もこれでは足りないと思いつつも頭を下げてその場を走り去ってしまう。

 それから背後に追っ手がいないことを確認し、彼らは体力を回復するためにとりあえず横道に身を隠した。


「……」

「夕奈、どうかした?」

「さっきぶつかった子、どこかで見た気がするなって。それも最近な気がするんだよね」

「あんな目立つ髪、知り合いなら分かると思うけど」

「いや、遠くから見ただけのような……」

「思い出すのは後にしようよ。とりあえずみんな合流して、様子を見ながら店に戻ろう」

「そっか、お金払ってないんだっけ」

「このままだと本当に警察に追われちゃうし」


 高校生だとしても、無銭飲食はなかなかにまずい。下手すれば将来に響く可能性もある。

 そんな事態だと言うのに、彼女は「美少女が食い逃げって報道されちゃう」なんてヘラヘラしていた。


「世界一可愛い食い逃げになっちゃうなー♪」

佐々木ささき 夕奈ゆうなと他4名が食い逃げって書いて欲しい」

「私だけ名前公表されてる?!」

「彼氏募集中とも書いておこう」

「余計なお世話じゃ」


 その後、先生が人集りを上手く分散しておいてくれたようで、平和を取り戻した店に事情を説明して会計をしに行ったことは言うまでもない。

 やっぱり注目を浴びるべきじゃないな。そう改めて深く思う唯斗であった。

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